第10話.ショタコンと図書館
ジェラルディーンは俯いて震えるサラサッタを見つめていた。やがて、ふと短く息を吐いて身を翻す。
「行きましょう。遅れるわ」
「あ、うん」
ラタフィアもこくりと頷いているし、サラサッタはもう何もしなさそうだからいいかな。
野次馬も少しずつ解散し始めている。サラサッタは一人廊下に取り残される。
ジェラルディーンの言葉は厳しかったけれど、じっくり噛みしめれば改心の手助けになるものなのになぁ。
一人でキャンキャン吠えていても――さっきは子猫扱いしたけど、虚勢っぱり具合は駄目な子犬だよね……――自分がつらいだけでしょ。相手は獅子だしさ。
大講堂に入る前に振り返ったら、この授業の担当である水寮寮監のナーシサス・ダグラス先生が廊下にぽつんと立ち竦むサラサッタに声をかけていた。
小学校の先生を思い出す。
サラサッタがぽろぽろ泣きながら頷いているから、もしかして優しいことを言ってくれたのかな。
先生は状況を知らないから仕方ないけれど、優しい言葉だけじゃ人は成長しないんだよ。
―――――………
その日以降、サラサッタは一人でいることが多くなった。
水と土は相性が良いとかで、水寮土寮合同の授業が多いんだけど、そこで見る彼女はいつも一人だった。
取り巻き令嬢は全員がサラサッタから離れて、それぞれ平和に過ごしている。
それを見ていて、私は少し言い様のない不安感を覚えた。
授業中、じっと黒板を見つめているだけのサラサッタの目が、日を追う毎に危険な黒をちらつかせている気がしたのである。
勿論彼女の瞳は変わらず桃色で、黒色の欠片も見受けられないんだけど……
「彼女自身の感情が魔力に影響して、他者にそう見せるのでしょう」
空きコマに図書館で宿題を広げながらラタフィアにそれとなく訊いてみたら、さらっとそんな答えが返ってきた。
「そういうことって良くあるの?」
長いまつ毛を伏せて、宿題の用紙に羽根ペンを走らせるラタフィアは「……」と少し黙考する。
「……あまり、あることではありません」
「…………」
それきり口を閉ざしたラタフィアに、私も宿題に集中することに決めた。
使う必要が無い上にしっかり日本語に聞こえてしまう鍵言を学ぶ『鍵言基礎学』は私の大の苦手科目である。
嫌な予感は忘れよう。私にはどうしようもないんだから。
そう思っても、やはり気になってしまうものだ。
私はふるふると頭を振って宿題を睨み付けた。
―――――………
その日の放課後。
「私少し調べものしたいから図書館に寄ってから帰るよ。先に帰ってて」
講堂で席を立ったラタフィアにそう声をかけると、彼女は少し目を細めたがすぐに微笑んで「そうですか」と頷いた。
バレてる。調べものの内容、バレてる。
しかもバレたのに見逃してくれた。
ラタフィア、恐ろしい子。
それでは、と帰っていくラタフィアを見送り、私は一人図書館に足を運んだ。
この学園の図書館はとても大きくて校舎と半屋外の廊下で繋がっている。位置的には校舎の北側だ。
放課後に勉強をしに来る生徒も多いので廊下はあまり静かではない。
しかし一歩図書館内に踏み込めば、そこは紙とインクの匂い、そして智の静寂に満ちており、とても過ごしやすい場所だ。
私はまだ棚の並びに慣れない館内をゆっくり歩きながら、魔力についての書籍の棚を探した。
とは言っても古今東西の書籍が揃った図書館であるからして、目的のものを見つけるのはとても難しい。
司書さんに頼るかな……
そう考えた私は、そのまま司書のテーブルへ足を進めた。
「すみません、魔力と感情の関係についての書籍はどこの棚にありますか?」
「魔力と感情の関係? ふむ、少し待っていてくれるかな。あったはずだ」
小麦色の髪に茶色い瞳のおじさんだ。ぺらぺらと何やら資料をめくっている。
渋メンだ……図書館のイケオジ。
初めて見る人だった。
いつもの司書さんではないから、別の司書さんかお手伝いさんだろう。
しばらく待っていると資料を確認し終えたらしいイケオジが顔を上げて「かなりの冊数がある。十七番の棚だ」と教えてくれた。
「君は一年生だね。無理せず、自分の学習状況に合った本を選ぶといい」
「ありがとうございます!」
「これが私の仕事だ」
微笑むイケオジに頭を下げ、私はすぐに十七番の棚を目指した。
「本当に、たくさんある……」
さてはて、どれを読めばいいのやら。
その棚に並ぶ本のタイトルは『魔力と感情の不思議』『感情変化が魔力に及ぼす影響について』『感情による魔力の表出』等様々だ。
厚さもそれぞれで、一番厚いのは横幅が二十センチくらいあった。誰が読むんだあんなの。
私は散々迷った末『感情による魔力の表出』という本を棚から取った。これが求めている答えに一番近い気がする。
手近な席に座り、パラリと本を開いた。
何々、くそ、細かい字が多い……「本書では感情による魔力の表出について、感情の変化が魔力に及ぼす揺らぎに関して触れながら考察していく」……うん、これかな。
これであってくれ、と祈りながら――小難しい本を読むのは苦手なので――私は本の世界に没頭し始めた。
―――――………
「――――……さん、お嬢さん」
「へぁっ?! おっ、降ります!!」
待って運転手さん、私降りるから!!
私の天使リオが上目遣いで可愛く「いっしょにいよう?」っておねだりするからさ、起きられなかったんだ!!
あの子可愛すぎない?! 反則だよ!
「くくく、寝惚けているね?」
「んん?!」
あれれ、バスじゃない?!
最高に可愛い私の弟はどこに?!
辺りを見渡せば夕暮れの茜差す図書館の中で、他に生徒はおらず、私の傍らには司書テーブルにいた例のイケオジがいる。
ハッとして下を見れば半分まで開いた本が置きっぱなし。
あ~……
調べものの途中で寝てしまったらしい。
だってつまんないんだよ、これ。論文系の本って何でこう楽しくないかな。
あの楽園は夢か、と悲しく思いながら、久々に“運転手さん”なんて単語、思い出したなと思った。
記憶を取り戻してから三年とちょっとしか経ってないからか、寝惚けると記憶が混線する。
私は苦笑しているイケオジを見上げ、眉がハの字になっている自覚と共にぺこりと頭を下げた。
「寝ちゃいました……すみません、閉館ですよね?」
「ああ」
にっこりと爽やかに笑むイケオジ。
渋いダンディーを感じる。すごい。
しかし。
……?
彼の微笑みはとても優しげだ。だが、それ以上に私の脳裏には何か、こう、デジャヴ的なものがちらつく。
ゆらり、揺らいだのは床に降りた夕日の茜に佇む黒い影か。はたまた、目の前のイケオジその人か。
「…………」
私は本を閉じ、窓から差し込んで棚の隙間を通ったことで複雑な形になった、赤すぎる茜色を見つめる。
じりじりと、目に痛いほどの赤に焼かれる様に緊張して、私はごくりと唾を飲んだ。
「お嬢さん? どうかしたかい」
声をかけられて、私はゆっくりと、茜の中、逆光で黒々としたシルエットに見える彼を見上げた。
確信を得るのは恐ろしかった。
けれど知らないままは危険だ。
意を決して口を開く。
「貴方は……――――?!」
その時、ドォン……と図書館が大きく揺れた。




