第7話.ショタコンと婚約者たちの密談
風が木の葉を揺らす微かな音が辺りを満たしている。悪戯な旋風に巻かれて、小さな緑葉が一枚ひらりと空を舞う。
「……アイリーン」
ひっ!!
アーノルドの声が降ってきて、身を固くした私はぐるぐると思考を巡らせた。
さぁ、次に何を言われるかで私の運命は決まる。
私をショタコンにした神よ、私をヒロインにした神よ、ロリコンまで追加しても良いから、どうか命だけは。
俯いたことによってさらりと銀の髪が肩を滑り落ち、胸の前で揺れている。
その先に、アーノルドの靴が見えた。制服用の黒い革靴。蹴っ飛ばされはしないだろうが、近づいてくるのが怖い。
微かな衣擦れの音。目の前にアーノルドが芝に片膝をついてしゃがんだ。
「私の説明不足で、怖い思いをさせてしまったね。すまなかった」
……む? これは。
生存ルートでは?
私の頭の中にハレルヤが途轍もなく元気に流れ出す。神はいたよ、と私は内心ガッツポーズをした。
「……こっ、こちらこそ、とても無礼なことをしました。申し訳ありませんでした」
顔を上げると(思わぬ至近距離にアーノルドの顔があったので一瞬ビビった)私はそう言ってぺこりと頭を下げる。
「構わない。君を追い込んだのは私だからね」
「っいえ、焦って変なことをしたのは私です」
ぺこりぺこりの応酬が終わらねぇ。
王子なんだからサックリ終わらせてくれよ。こちとら平民様だぞ、王子に謝らせて終わりってのはキツいんだ。
アーノルドも似たようなことを考えているのか、苦笑して溜め息を吐く。
穏やかに細められた橄欖石の瞳。さら、とこぼれた金糸の髪を優美な指先で耳に掛け、アーノルドは「じゃあこうしようか」と言った。
伸びてきた手が私の額から前髪を優しく掬い上げる。
むっ、まずい!!
心が焦ったことで、私の身体は何を思ったのか咄嗟に、さっきから地面についていた手を握ると、そこに青々と生えていた芝をむしりとった。
……芝むしってどうするよ?!
投げつけんの?!
それこそ不敬じゃん!!
私が手の中の芝に、自分の応用力の無さを苦く噛み締めている間に近づいてきたアーノルドが、私の額に柔らかく口付けた。
おいおいおい、何してるよ王子?!
目を丸くして固まる私に、アーノルドはフッと笑った(フッ、じゃねえよ)。
「これで手打ちだ、いいね?」
よ、よ……
良くねぇよぉぉっ!!!
これは生存ルートではなく、どうやら好感度上げルートだったらしい。
壁ドンされて、どうしてこうなるよ、と私はアーノルドの心中がまったく理解できずに苦しんだ。
―――――………
ジェラルディーンに厳しいことを言われまくり(ラタフィアが助け船を出してくれたが、それもまた彼には厳しいもので更にへこんだ)レオンハルトは段々自分に自信がなくなってきていた。
そんなところへ、アイリーンをつれてアーノルドが戻ってきた。
アイリーンはやけに神妙な顔で若干眉根を寄せ、桜桃の粒の様な唇をきゅっと固く引き結んでいる。
(手に何か……あれは、芝か?)
アイリーンの白い繊手に握られた芝を見て、何故、とレオンハルトは内心首を傾げた。
何はともあれ、彼が恐れていたこと――例えばアイリーンが頬を染めて微笑みながら弟と手を繋ぐようなことになる何かしらとか――は起きていないようだ。
全身で安堵し、それから令嬢二人の口撃によってげっそりしているであろう表情をキリッとしたものに整え、輝くような笑みを浮かべる。
「戻ったか」
隣でジェラルディーンが微かに肩を震わせたが気にしないこととする。
「お待たせ、兄上」
「いきなり副寮長を連れていってしまって申し訳ありませんでした」
「いや、構わない。ところで何の話を……」
「風寮のお仕事があるのではありませんでしたの?」
「やっぱりでしたか?! 本当にごめんなさい、どうぞお仕事に……」
邪魔をするな、という目で右隣の婚約者を見る。鮮やかすぎる紅玉髄がレオンハルトを見返した。
(アイリーンがいらん気を遣うだろう!)
(あら、わたくしが、何故遮ったのかお分かりにならなかったのですか?)
(……なに?)
(秘密の話の内容を聞き出そうとするなんて無粋が過ぎますわ)
(くっ……その通りだ……だが……)
(何ですか?)
(き、気になるだろう!)
(ええ、そうでしょう。ですからアーノルド様が殿下にお話しになるのをお待ちになった方がよろしいのでは?)
(話してくれるわけがない……見ろ、あの顔だぞ)
(…………)
(ほらな!!)
(……潔く諦めましょう、殿下)
(くっ……)
(ちなみにわたくしは、アイリーンにそれとなく訊いてみるつもりですわ)
(なに?! 人のことを無粋だと言ったその口でか?!)
(何も直接“何の話だ”と訊くつもりはありませんもの)
(それは……)
(あの子はよっぽどのことでなければ教えてくれるでしょう)
(ず、ずるいぞ……)
(可愛らしいことを仰りますのね。単純に信頼度の差ですわよ)
(し、信頼度……)
(あぁ、ほら、そろそろ……)
ふ、と目を細めたジェラルディーンは微笑む。
「殿下、アーノルド様を待たせてはいけませんわ。お仕事は手早く片付けることが一番ですもの」
「……分かった」
レオンハルトは抱えていた書類の束を半分アーノルドに押し付けて、歩き出す。
一度立ち止まって振り返り、アイリーンに「またな」と言ってからその翠眼をジェラルディーンに向けた。
(……聞き出せたら教えてくれないか)
(さあ、それは殿下次第ですわ)
くっ、と眉間にしわを寄せ、この場での交渉を諦めた彼は渋々弟と共に仕事に戻ったのであった。
王太子カップル、実は相当仲良しだろ(`ロ´)




