第5話.ショタコンと叱られ王太子
結局サラサッタは帰ってこなかった。
少し気がかりだけれど、そう思えるのは相手が敵として弱すぎるからだってラタフィアが言っていたから、じゃあ仕方がないかな、と思うことにした。
確かに、サラサッタが――例えばノワールを超えるくらいに恐ろしく強くて、私じゃあとても勝てないって感じだったら、逃げてくれたらホッとするもんね。
自分は弱者を無意識に哀れんでるのかって気づいたら、何か嫌だし、放っておこうって思う。
世界から悪役令嬢の役目を押し付けられているかもしれないことは、ただひたすらに可哀想と思う。かく言う私もヒロインのさだめに苦しめられているからね。
「それにしてもさー……」
私は夕食の席で相も変わらずマッシュポテトをつつきながら口を開いた。
「もしかして土寮では、メルキオールが私を気にかけてるっていうの、共通認識なのかな?」
もしゃあ、とスプーンに有り得ないほど山盛りにして口に突っ込む。
お上品に食べているラタフィアは「さあどうでしょう?」と首を傾げて美味しいお肉をフォークで刺した。
「彼女……ドロマミュール伯爵令嬢の思い込みにも感じられましたわ。みっともない嫉妬ですわね」
「へぇ……」
え? ドロマミュール?
……何がとハッキリは言わないけれど、結構酷いよね? 誰が名付けたの?
土属性だからかなぁ……
攻撃も泥だったし。
「確か彼女は幼少期から、シルヴェスター土寮長を気に入っているという噂がありましたわ」
「……そう言えば『魔法生物学基礎』の初日にちょっと(意地悪を)囁かれた時、睨まれてた気がする」
「あの時、何を言われましたの?」
「えっ、あ、秘密」
まさか「少しは力を隠したら? もしかして死にたいの?」とか言われたなんて口が裂けても言えない。
それに言ったら私が『精霊の愛し子』だって知らないラタフィアにはメルキオールがヤバい人だって思われてしまう。
流石の私でも、自分の苦労を避けるためだけに他人をヤバい人扱いにはしたくない。
私の返答にラタフィアは「そうですか」と薄く微笑んだ。えっ?! 何?! 何なの?!
お茶会でも、そっぽ向かれたり無視されたりしたけど、別に彼が嫌な人だとは思わない。
意地悪も、ジェラルディーンと話す時みたいに頭にツンデレ翻訳機を積んでおけばただの心配だって分かるもんね。
……お茶会?
あっ、心の奥底にもやっと引っ掛かっていたこと、今思い出した!!
あのお茶会は寮長四人+アーノルドで構成されていたじゃない?
私が『精霊の愛し子』だって知っているのは寮長四人と、あとは学園長だけのはずなのに!
王子だからか?! 王子だからなのかぁぁっ?!
レオンハルトだな。自分の弟だから信頼できると思って話したな?
確かに信頼できるかもしれないけれど、機密情報っていうのは知っている人が多ければ多いほど外へ漏れる可能性が上がるんですよぉぉぉっ?!
知らないんですかぁーーーーっ?!
私は苛立ち、悲しみ、焦りとも違った微妙な感情(例えるなら眉をひそめ、目も細めて唇を噛みたい様な心持ちだ)に溜め息を吐いてマッシュポテトを口に突っ込む。
今度会ったら追求しなきゃ。
もしゃっもしゃっとリスの様に頬を膨らませてマッシュポテトを食べる私を、ラタフィアは微笑ましいものを見る目で眺めていた。
アイリーンは、この時の焦りのためにこの後、本人が思い出しては死にたくなる様なことをするのだが、勿論この時の彼女が知るよしもなかった。
―――――………
翌日、昼休みに昼食を終えた私とラタフィア、そしてジェラルディーンは(最近ひよこ令嬢たちは付いてこない。ひよこはひよこで仲良くやっているようだ)中庭を散歩していた。
「昨日は大変だったようね」
「あ、うん」
「ジェリーが気にする様なことではありませんわ」
「そうでしょうね。まったく、愚かとしか言い様の無い子が、愚かにも相手を見くびって手痛い反撃を食らったと愚かしい噂になっているわよ」
つまらない話だわ、とジェラルディーンは目を閉じて首を横に振った。
愚かって言い過ぎ。
それにしても、そんな適当に見える仕草でも鼻白むほどの気品が溢れ、その美貌は陽光の下で輝かしく、私は「黙っていれば、これぞ悪役令嬢」と失礼だが思う。
何故なら、サラサッタは黙っていればただの高飛車っ子にしか見えないからだ。
「えぇ~、噂かぁ……」
目立つじゃんね。
「アイリーン!!」
「あら、殿下」
えぇ~、レオンハルトかぁ……
目立つじゃんねぇっ!!
満面の笑みで駆けてきたのは、私につい犬の尻尾を幻視させる様子の王太子殿下レオンハルトである。
どうして婚約者のジェラルディーンじゃなく私の名前を呼んで走ってくるかな?
「ご機嫌よう、殿下」
「あ、あぁ、元気そうだな……」
ほらぁ、ジェラルディーン怒ってるよ。
紅薔薇の美貌に、炎の様に苛烈で美しい笑みが浮かんでいる。
肩に掛かった金の髪を払う仕草の、指先一つ、髪の一筋にすら優美さが溢れて仕方がない。絢爛で目映すぎる特権階級の輝き。
白い花顔に完璧な配置で収まった紅玉髄の瞳がレオンハルトを見上げる。
ジェラルディーンがこれ以上無いほどに綺麗で、その動作のすべてが最高に優美な時の笑みは、激怒の合図である。
「婚約者を差し置いて先に声をかけるほどお気に召しているのでしたら、時と場を弁えるくらいの配慮はするべきではありませんの?」
おふぅっ、苛烈だ。
レオンハルトが「ギクッ」ってした。
一瞬、ふらふらと逃げ場を求めて宙に泳いだ翠玉の目がジェラルディーンの方へ戻ってくる。
バチッとかち合う鮮やかな赤と緑。うん、やっぱりお似合いだよ、この美人カップル。
そうなんだよね。レオンハルトが私の名前を呼んでぶっ飛んでくるから、私はいつも、事情を知らない貴族の生徒たちに睨まれるのよ。
ちなみに、今もそう!
ただし、今は直前まで私がジェラルディーンとラタフィアと仲良さげに話しながら歩いていたから困惑顔の方が多いよ!
「す、すまなかった。今後は、気を付けよう……」
「ええ、是非そうしてくださいませ。わたくしの友人が謂れのない中傷を受けるなんて、到底許せることではありませんもの」
「うっ、そう、だな……」
ありがとう、ジェラルディーン。
私は彼女の気遣いが嬉しくてつい微笑んでしまった。
その時、レオンハルトが走ってきた方向にもう一つの金色頭が見えた。
「いきなり走らないでくれるかな……」
ぐったりとした様子で現れたのは、肩で息をするアーノルドである。
なるほど、仕事か何かでレオンハルトと話しつつ歩いている途中で、私たちを見つけたレオンハルトが走り出してしまい(散歩途中に好物を見つけて突然走り出すワンコかな)見るからに文系なアーノルドは抱えている書類の束のせいもあってよたよたと遅れてきたらしい。
あ!
アーノルドだ!
知らないはずのことを知っている、場合によっては「それは君が知っていていいことじゃないんだよ……消えてもらおう」とか実力行使に移らなきゃならない相手じゃんね!
レオンハルトに教えてもらったのなら、学園長の許可は取っているのかとか、色々聞かなきゃ!!
「あのっ、すみませんっ、ちょっと重要なお話が!!」
そして焦りから血迷った私は、アーノルドの手をむんずと掴み、彼が抱えていた書類の束をレオンハルトに押し付けて、ズダダダダと走り出した。




