第4話.ショタコンを嫌う伯爵令嬢の話
サラサッタ視点です。
サラサッタ・ラツィア・ドロマミュールは伯爵令嬢である。
この国立シェイドローン魔法学園に入学した彼女は、両親もかつて所属していた土属性のスオーロ・チヴェッタ寮に入った。
艶やかな茶色の長髪に、甘い桃色の目をもった整った容姿。小柄な彼女は、黙っていればとても愛らしい。
不機嫌そうな表情さえ、魅力的だと称賛する者がいるのだから、中身が邪魔をしているだけで、その美貌は本物である。
サラサッタにとって運の良いことに、土寮の一年生には伯爵位以上の貴族家の子供がおらず、彼女は土寮の一年生の中で一番上の立場の者となった。
媚びへつらう取り巻き令嬢の群に、常に顔色を窺う平民の生徒たち。
男子生徒は時折意味ありげな視線を投げて寄越した。それを素知らぬふりで受け流す寮生活。
サラサッタは束の間女王の気分を味わった。
しかし、それは本当に束の間の輝きだったのである。
サラサッタは土寮長メルキオール・シルヴェスターのことが好きであった。
さらりと流れる黒髪に、華奢な印象の白皙の美貌に煌めく紅玉の瞳。この学園に三年も早く入学を許された天才魔導士。
彼の父親は平民の出でありながら宮廷魔導士長の地位にまで登り詰め、貴族ではないが王から家名を与えられた所謂“地位ある平民”である。
母親も同じく平民であったが、何年も前に流行り病で死んだそうだ。
伯爵令嬢であるサラサッタと婚約するのは難しい立場であった。
(どこかの貴族の養子になれば問題ないわよね)
サラサッタは常々そう考えていた。
勿論、彼女の勝手な将来設計である。
そんな彼女の将来設計は、ある少女の登場でガラガラと崩れた。
簡単に手折ることができそうな、儚げな花に似たその少女の名はアイリーン。
風に流れる銀の絹糸を束ねた様な艶やかな長髪に、蕩ける様な琥珀の瞳をした、水寮の生徒だ。
どこか遠いところに意識を向ける様に、じっと口を噤んでいる時、その白皙の美貌は哀切の色を帯び、銀月の様に冷艶である。
しかし一度、桜桃の粒の様な唇を開けば、雪解けの後に開く花の様に暖かく可憐な微笑みを浮かべて、友人と言葉を交わすのだ。
そんな、比類無き宝石の至高の一粒の様な少女に、授業の補佐にやって来るメルキオールが顔を寄せて、何事かを囁く時がある。
(何よ、何よ何よっ!!)
非現実的で、絵画の様に美しいその光景を思い出して、サラサッタは拳を強く握った。
ここにアイリーンがいて、彼女の考えを聞いていたとしたら「いや、メルキオールは意地悪を言うだけだし、仲良しじゃないし」とか、色々なことを言ったろう。
しかし勿論ここにアイリーンはいない。
よって、サラサッタは悲しい誤解を抱えたまま、腹立たしさに歯を食い縛って温室の外を歩いていた。
芝を踏み、温室から十分に離れると、授業時間であるから、人の気配は全くと言って良いほどに無くなった。
木陰に腰掛け、大きな木の幹に背を預ける。メルキオールから常に感じられる、強くしなやかな若木の気配に似た暖かみに、少し苛立ちの火照りが冷めた。
(今日は何もかも上手くいかない。何であたしがこんな目に遭うの?!)
自己中心的に考えるからである、という答えをくれる者はいない。
「最悪の気分だわ……」
サラサッタは木陰から空を見上げてポツリと呟いた。風が髪を揺らして、白い肌に乱れかかる。
「水寮のアイリーン……いつか必ず、あたしに口答えしたことを後悔させてやるんだから」
ざわり、と風向きが変わった。
「力が欲しいか」
唐突に、背後からそんな声がした。
木の幹を挟んで、背中合わせの向こう側に誰かがいると知ったサラサッタは少しゾッとした。しかしその言葉の内容に興味をひかれる。
「……どういう、こと?」
振り返って相手を見ようと彼女は身じろいだ。直後「振り返るな」と鋭く命じられる。
男なのは分かるが、低く、どろりと蠢く黒を感じさせる不明瞭ながら内容がはっきりと聞き取れる声。
とても不気味だった。
「そのままの意味だ」
「……力を、くれるの?」
「心から願うのなら」
「…………」
サラサッタは両膝を引き寄せてそこに顎を乗せると少し考え込んだ。
途轍もなく怪しい。
しかし、この不気味な声には何故だか抗いがたい魅力がある。
「あの女を、後悔させてやれる様な、そんな力を……?」
木の影に溶け合った影を伝って、サラサッタの心に忍び寄る黒。
見えない話し相手が、ニヤリと笑む気配を感じる。
「ああ」
サラサッタはギュッと拳を握り締めた。
桃色の目から最後の理性の色が消え、ぼんやりとした憎悪の黒が花を枯らす様にちらつく。
「欲しいわ。あいつを、アイリーンを、苦しめる力が」
「そうか」
「あたしに力を寄越しなさい! あんたが悪魔だろうが何だろうが構わないわ! さあ、力をっ!!」
いいだろう、という答えはサラサッタの頭にぐわんぐわんと響いた。
直後、全身を襲う激痛。皮膚がすべて裂ける様な、肌を焼かれる様な痛み。
影を伝って全身に回る猛毒の様な黒々とした新たな魔力。木陰にじっとしていた彼女の影が濃さを増して、ぐにゃりと形を歪めている。
「ぎっ、あああっ、痛い痛いっ!!」
耐えろ、力が欲しいのだろう、と脳を侵食する黒の声が囁く。サラサッタは叫び、木陰に倒れて苦痛に暴れた。
「ひっ、ぐ、ぎゃああっ!!」
青々とした芝に乱れ流れる髪の先までじっとりと、執拗に染め上げていく黒。
爪先に、そして身体の奥底、魔力の源にまで及んで、じわじわと蝕む黒。
影が歪む。断末魔の悲鳴を上げるように一度大きく揺らいでそして…………
「……っは!!」
サラサッタは目を見開いた。
全身を襲っていた恐ろしい痛みは消え、しかしその激痛が彼女を襲ったことの証明に、全身が汗にまみれている。
そっと身を起こし、茶色の髪を整えた。
芝の上にある指先を見つめる。
自分は果たしてどこかが変わったのだろうか。
短く呼吸を繰り返し、手を握ったり開いたりと確かめるように動かす。
「何だったの……?」
その時、目の端に微かな銀光が映った。
ハッとしてそちらに目をやっても何も無い。しかしその先には温室がある。
その瞬間、サラサッタはすべてを理解した。
「……あはは、そう言うことね」
彼女は立ち上がった。足元に延びる影は黒々と闇深い。
「ふふっ、あははははっ!!!」
心底おかしくてたまらない。
憎めば憎むほどに溢れ出す力が自分の全身を駆け巡っているのを心地よく感じる。
甘く死をもたらす劇薬の様だ。
「あはははっ、ふふっ、はぁ……」
サラサッタは空を仰いだ。
頬を赤く染め、夜の女王である最上級の娼婦の様な笑みを浮かべて、彼女は呟く。
「殺してあげる、アイリーン。そしてあたしはメルキオールを手に入れる」
そしてサラサッタは歩き出した。
まずはこの力に慣れなくては、と鼻唄を歌う彼女が先程まで立っていた芝は、絶望した様に枯れ死んでいた。




