第7話.ショタコンのピンチ
「……どちら様かな?」
『我らは王宮の使者である。ここは元宮廷魔導士長サラジュード・ゴーシュの家で相違無いか』
「……左様」
クローゼットの戸に耳を押し当て、私は外の会話を一言も漏らさないように聞いていた。
王宮の使者だって?
元宮廷魔導士長って?
師匠、そんなに偉い人だったの?
私はぐるぐると混乱しながら耳を澄ましていた。がちゃりと扉が開けられて鎧の足音が十人分(ここで不安になりそっと隙間から外を窺った)。
そのせいでバッチリ見てしまった。
うわぁぁーーっ!! もう、どう見ても明らかにレオンハルト王太子殿下ですねありがとうございます帰れ!!
さらりとした金髪に、隠しきれない好奇心の輝く至宝の翠玉の瞳。
ガンガンに日が当たっていたと言うのに少しも赤くなっていない白皙の美貌。
まだ少年らしい薄い身体に、細やかな紋様の織り込まれた白地に金の縁取りがある上等な服を纏い、胸元には……あれ何て言うの? ひらひらして翠玉のブローチみたいなので留められてるやつ。それが非常に上品な装飾となっている。
細腰には、申し訳ないけど恐らくお飾りの立派な剣があった。
そして更に申し訳ないけど十五歳の彼は私のストライクゾーンから外れている。あれ、この情報要らない?
それにしても、認めたくないけどあいつ王太子だよね? 護衛十人? 少な!!
もっとさ、大名行列みたいになるんじゃないの? 実は大事にされてないの? 等と私はかなり失礼なことを考えつつ、そっと隙間から目を離した。
少数精鋭と考えれば、彼らは相当な手練れである可能性がある。ならば、視線だけで存在がバレるかもしれない。
「……それで? 王宮の使者殿が、この隠居爺に何か用かね?」
「無礼な口を利くなよ。このお方は……」
「知っておる。レオンハルト王太子殿下じゃろう」
師匠は大丈夫だろうか。十人の護衛は師匠になるべく気配を悟られないよう、ゆっくりと動いて部屋中に広がった。師匠の背後にも回っている。
私はその内の一人が重たい足音と共に近づいてきたとき緊張で息を呑んだが、バレてはいなかった。
ひぃ……早く帰れ……
「話が早くて助かる。お前の言う通りだ」
声変わりを迎えてまだ少し、という感じの少年の声。私は頭を抱える。
これがしっかり声変わりしたときどうなるか、簡単に想像できてしまったのだ。明らかにレオンハルト。攻略対象筆頭、メインルートのテンプレ王子の声である。
ちょっと偉そうで、それとなく「俺偉いんだぞ、ふんす」という自信が伝わってくるのは、十五歳でも変わらない様だ。
もう喋んないで。平安の姫君よろしく、従者に耳打ちして話して。
でないと私の精神衛生上よろしくない。
私の密やかな願いが叶うわけもなく、レオンハルトは更に続けた。
「サラジュード・ゴーシュ。お前は確か十年前に王宮で弟子が魔力の暴走を起こしたために、責任をとって職を辞したのだったな?」
え……?
師匠の過去にそんなことが、と私は固まった。そんな私は放置してレオンハルトは続ける。
「王宮に戻れ。お前の目が必要だ。宮廷魔導士長の座はすでに埋まっているから、以前より位は下がるが……」
「残念じゃが、わしの目はもう使えぬ。丁重に、お断りさせていただく。こんな耄碌爺、王宮には不要じゃろう」
「嘘を言うな。お前の目はまだ……」
「お断りじゃと言っておるのが聞こえませぬかな?」
尚も言い募るレオンハルトに、師匠は温度の無い声で訊いた。その瞬間、師匠の気配が膨れ上がり――これが外へ放出された魔力なんだと私ははっきり感じた――部屋の空気がビリビリと震える。
私は恐る恐る戸に目を近づけた。
護衛たちがたじろぎつつも剣に手を伸ばしている。レオンハルトは蒼白な顔で目を見開いて固まっていた。
うん、この点においては良い様だわ。
そして師匠は一見していつもと変わらない様子だったが、その青い目はギラギラと魔力の煌めきを帯び、年を経たことで萎れた様な、小さい身体から他を圧倒する肉食獣の様な攻撃的な気配を放っている。
あ、これすごいやつだ……
まさか自分の師匠がここまですごい人だとは思っていなかった。
私は少しだけその気配を怖いと思いながら、戸の隙間からじっと師匠を見つめ続ける。
「王太子殿下、お帰りいただけますかな? ここは、貴方の様な高貴なお方には相応しくない場所じゃ」
「……帰れない。お前に“戻る”と言わせるまでは帰らないと決めて来たんだ!」
「そうですか。ならばずっとこの村にいらっしゃると良いでしょう」
やめろ、と私は首を横に振った。あんなのがずっと村にいてみろ。私は家出する。いや、家族をつれて引っ越ししてやる。
師匠に冷たく断られたレオンハルトは、ぐっと押し黙って両拳を強く握りしめていた。
王太子の心よ折れろ! 帰れ、そしてお布団で泣いて眠るがいい!!
悔しげなレオンハルトの様子に、私は脳内でノリノリな呪詛を吐きかけた。
温室育ちのお坊っちゃん筆頭の様な彼のことだから、ここまで言われてしまえばすぐに帰るだろうと思われる。
しかし私の予想に反して、レオンハルトは負けなかった。多分、生来の気性として負けず嫌いなところがあるのだろう。
「では明日、また話しに来る。他所へ逃げてくれるなよ」
「何度いらっしゃってもわしの返事は変わりませぬよ」
師匠は肩をすくめてレオンハルトに背を向けてしまった。この無礼具合、本当に戻る気がないんだろうなぁと思わせる。
恐らくレオンハルトにもそれが分かったのだろう。顔をしかめていた。
その時、私も師匠もまったく予想していなかった事が起こった。
「盗み聞きしている者は誰だ?!」
その言葉に私は「!!」と戦慄したが、怒鳴り声を上げた護衛の男はドカドカと煩い足音で入口へ向かい、バンッと扉を開けて、そこに座り込んでいた小柄な者を引っ付かんで家の中に引きずり込んだ。
リオッ!!
男の武骨な手に襟首を掴まれて、人間に捕まった子猫の様に絶望した表情で青褪めていたのはリオであった。声も出ないらしく固まっている。
幼い子供では抵抗もできない。私は焦った。どうしてここに、と全身の血の気が引くのを感じる。
師匠はリオを見て、目を見開いて口を開けずにいた。私はギリギリまで戸に近づいて「どうしよう」と喧騒に紛れる小さな声をこぼした。
胸元のブローチで留められているヒラヒラしたやつ、名前は「ジャボ」です。