第2話.ショタコンと高飛車with取り巻きABC
手がひりひり痛むのと、差し出していたハンカチが地面に落ちたことで、水寮の女子生徒はようやく手を叩かれたことに気づいたようだった。
呆然と顔を上げた彼女に、土寮の女子生徒は平手打ちをした姿勢のまま冷たい視線を投げつける。
「最悪の気分だわ。雑用で加点されるからって浮かれた水寮はうるさいし、寮長は休みだし、挙げ句の果てに平民に水をかけられるなんて!」
その言葉に私は絶句し、ラタフィアは微かに眉をひそめる。
冷たい言葉の中に“平民”という単語があったことで相手が貴族であるということに気づいた女子生徒が震え始めた。
そうなんだよね。この学園、敷地内の平等を謳いながらも結局格差はあるし、意識的にも平民は貴族に怯え、貴族の多くは平民を見下している。
この女子生徒はその典型だな、と私は目を細めて彼女を観察した。
艶のある茶色の長髪をハーフアップにまとめ、黄色いリボンと同色の六角形のバッジを胸元に飾った土寮の女子生徒。
その白い小顔は、恐らく美人に分類されるはずの整い具合である。
しかし、嫌悪を滲ませた桃色の瞳と不機嫌そうに引き結ばれた唇、その他「何もかもが気に入らない!」といった感情が、その美貌に翳りにも似た険を帯びさせており非常に残念だ。
……て言うかさ、さっきこの子「寮長は休みだし」って言ったよね?
おいっ、授業の目的はメルキオールかよっ! 不純だな!!
青褪めて震えている水寮の女の子は……確かマリー、だったっけな。ほら、初日に魔力草の説明をした子。
そそっかしい印象だったけど、どうやらその通りだったようで、招いた事態が現状である。
「本当にごめんなさい!! つい楽しくなってしまって、不注意でしたっ!!」
水寮の生徒も、土寮の生徒も、ハラハラと二人を見つめていた。マリーと水遊びをしていた子たちは真っ青で、しかし援護に踏み出せない様子だ。
私はどうしようかなぁと考えている。
だってね、非情なようだけど、私は(ショタ以外の)ヒーローになるつもりはないんだわ。
リオのためなら空も飛ぶし、岩でも割るよ? 国だって盗っちゃえるかも。盗らないけどね。
それに、助けに入って、あんなちょっと頭ヤバそうな高飛車お嬢様の矢印がこっちに向いたら困るじゃんね。
同寮と言えどマリーとの接点はほとんどなく、今回のことは、可哀想だけれど明らかに彼女の考え足らずと失敗で招いたことだ。
まあ、所謂対岸の火事。消火しようにも水は届かない。
届くなら水を投げるけどね?
ただ、無関係の私がのしのしと突っ込んでいくのも変だし、私は平民だから火に油を注ぐかも。
結局傍観になる。ラタフィアに頼むのもまた違うしなぁ。
ラタフィアは侯爵令嬢だから、相手が公爵令嬢でもない限りは、そこそこ強く出られる。
まあ、言動の端々に見える粗野さ乱暴さからして、土寮の彼女は公爵令嬢じゃないだろうと思うけど。
しかし、ラタフィアにはマリーを助ける理由がない。
そして、ラタフィアが自分から、身から出た錆で危機に陥っているマリーを助けようと動く可能性も低い。
何故なら彼女は、他者の利益しか考えない行動を、相手のことも考えた上で好まないからだ。
その理由は色々あるらしいけれど、何はともあれ、彼女が時折貴族的な冷徹さをその美しい瞳にちらつかせるのにはしっかりと納得できる理由がある。
彼女もまた、すべてを背負わされるヒーローにはなりたくないのだろう。
私はそんなところも好ましいと思っているんだけどね。事情を知らない人々には非情だって思われちゃうから残念だ。
「あたしが風邪でもひいたらどうしてくれるの?!」
「本当に申し訳ありませんでした!!」
いや、ひかねぇだろ。阿呆か。
濡れたの足じゃん? しかもちょっと。それで風邪をひくかもって思うなんて、そんな顔赤くして怒鳴ってますけど、もしかして虚弱体質だったりする?
なら怒鳴るのやめなよ死ぬぞ、と思う。
「そうよ、平民風情が!」
「サラサッタ様のお身体を冷やすようなことをするなんてっ」
「許しがたい蛮行だわ!!」
む?! あれは……っ!!
取り巻き令嬢ABC!!
何てこった、虚弱体質(仮)貴方もしかしてっ……
ジェラルディーンが悪役令嬢っぽくないからって、世界から第二の悪役令嬢の役目を押し付けられた系女子なの?!
えぇーーっ?! 単純に可哀想!! まぁ知らんけど!!
それにしても、いやー、こちらの取り巻き令嬢ABCは、ジェラルディーンと私が最初に会った時の彼女の取り巻き令嬢ABCと違って、何にも可愛くない。
あぁ、それは顔とかじゃなくてさ、態度と言うか、表情から滲む内面とかの話。
ひよこっぽさのあるジェラルディーンの取り巻きーズと違って、こちらはハイエナっぽかった。
取り巻きーズの出現で、マリーはますます青褪め、助けたいけど踏み出せなかった友人たちは更に足が動かなくなったようだった。
バサッと肩に掛かる髪を払い、虚弱体質(仮)――あーなんだっけ、さっき取り巻き令嬢B辺りが名前を……そうだ、サラサッタ、とか言ったっけ?――は、フンッと鼻を鳴らす。
「取り敢えず、同じような目に遭ってもらおうかしら?」
高圧的に腕を組み、サラサッタはそう言い放った。
その言葉に、取り巻き令嬢Aが心得たという様子で一歩前に出ると無造作に手の中で魔力を固めた。
あ、と隣でラタフィアが小さく呟いた。
彼女にも感じ取れたのか、ふむ。
なら問題ないだろう。
え? 何がって?
うーん、説明は面倒くさい。時間がないし。まあ見てなって。
取り巻き令嬢Aが広げた右手の上に土、と言うか泥っぽい塊が生まれた。
呆然とそれを見つめるマリーへ向けて振られる右手。突撃する泥団子。
私は目立たない様に、スカートのプリーツに隠して、右手の人差し指をくいっと曲げた。
それから、隣のラタフィアに主語も目的語も省いて「頼むよ」と囁く。
突然のことに流石のラタフィアも困惑の表情を見せるがすでに泥団子は勢い良くこちらに向かってきている。
接近してくる魔法の気配に、ラタフィアはハッとそちらを見て、私の真意に気づいたようだ。
よし、ラタさん、行くぜよ。
こくりと頷き合い、私たちはスッと息を吸い込んだ。
オッシャァ、食らえ、渾身の――――
「「きゃあっ!!」」
ふっ、決まったぜ……と思いながら、私はラタフィアが展開した『水壁』にぶち当たる泥団子を眺めていた。




