第1話.ショタコンと魔生植物
大騒ぎの末、変態の撃退に成功し、大変悲しいことに、何人かの攻略対象の好感度を上げてしまった気がする寮長会議の数日後。
私はすっかり立派に育ってしまった魔力草の鉢を(すごく重い)抱えて、よたよたと歩いていた。
時間は昼下がり。午後イチの『魔法生物学基礎』である。ディオネア教授は今日も今日とて身体のあちこちに植物をくっ付けていた。
何か間違いがあってはいけない、と言う至極真っ当な理由で、自分の鉢は自分で棚に取りに行って席に運ばなきゃいけないんだ。
「はぁ……重い」
隣で同じく若干ふらつきながら鉢を運んでいるラタフィアは、溜め息を吐く私に苦笑して「そうですわね」と同意を示す。
彼女の鉢は、私ほどではないけれど、やはりその魔力量のため結構な大きさをしている。
そして彼女は、物理を上げて殴る系の魔導士である私と違って生粋の深窓の令嬢である。
いくら「うわラタさん強い」と思わせる言動と動じない鋼メンタルを持っていようとも、単純な腕力ではそこらのご令嬢方となんら変わりないのだ。
そりゃあ重かろう。
葉から茎から、そして花までが鮮やかすぎる深青になった彼女の魔力草は、芍薬の様な形をしていた。
そこから感じられるのは濃密すぎる水属性の魔力。冷艶な清水と、奔放な激流の気配である。
ラタフィアの魔力は、人にしては純粋すぎて少し怖い。こうなるまで一族の水属性を成長させ、維持してきたカスカータ侯爵家すごくない?
……精霊とかに目を付けられてたりしないかな? 心配だわ。
さて、やっとこさ運んできた鉢をゴトッと机に置くことができた。腕が痛い。
自分の鉢を傍らに置きながら、教授の講義を聴くのがこの授業のスタイルである。
教授は分厚い緑色の教科書を取り出し、私たちに開くページを指示すると「今日は魔生植物の基礎の話だね」と内容を読み上げ始めた。
私はそれをぼんやり聴きつつ、カリカリと時折教科書に書き込んで、自分の魔力草を見つめる。
大きな植木鉢から、にょっきりと生えた銀色の太い茎。メルキオールが授業初回に見せた彼の魔力草の茎(ラガーマンの太腿くらいって喩えた記憶がある)と同じくらいに太い。
太いからか、どこか西洋の楽器にも似た優美さを感じる緩やかな曲線を描くその茎の根元には、これまた大きな平行脈(理科でやった奴、覚えてた私に乾杯)の銀葉が生えている。
そして上に伸びていくにつれて、徐々に細くなっていく銀の茎の先は、三ツ又に分かれて、ひゅるりと若干下を向いていた。
そこに付いた花は、サイズを抜きにして考えれば、恐らく鈴蘭であった。
柔らかな曲線の茎に等間隔で並ぶ、様々な淡色の鈴蘭。薄赤、薄青、他にも薄い黄色や薄い緑色の花もある。
全力で水の魔力ばかり注いで育てたはずなのに、どうしてこうなっちゃったんだ?
おかしい。予定ではラタフィアの花のように真っ青になる予定だったのに。
美しい銀細工に淡い色の宝石を沢山吊るした様なそれは、完成された芸術品であった(それは“芸術品”と言うにはあまりにも大きすぎたが)。
「……それで、魔生植物は、体内に魔脈と言うものを有している。これは魔生植物特有の器官だね」
端々を蔦に飾られた黒板に、ディオネア教授はカツンとチョークを当てて植物の簡単な絵を描いていく。
「人間は魔力を血管を通じて全身に回している。皮下組織、皮膚、と魔力を外へ滲ませて魔法を使うんだね」
人の絵も描いて、その中に血管の様な線を書き入れる。
「魔生植物は、大地から、大気から、魔力を吸収して全身に回している。それが特徴的な……例えば光るとか、そういう魔法的な現象に繋がるんだね」
眠気が訪れてぼんやりとしていた私の目に、緑色の何かがするすると教卓を登って いるのが見えた。
……?
よく見るとそれは蔓であった。
勝手に活動してるけど、蔓って言っていいのかな……?
私以外の生徒も気づいたようで、首を傾げたり、隣の人と囁き合い始める者がちらほらと増えてきた。
教授が教科書を無造作に教卓の上へと置く。そこへしゅるしゅると伸びていく蔓。
何をするつもり、と言うか何かをしようとか考えているのだろうか。甚だ疑問である。
私は面白くなってきて、自律稼動する蔓を眺めていた。
そして。
「あ」
「「「あっ」」」
教授の声と、生徒陣の声が重なった。
緑の蔓が、教授の教科書に絡み付いてパッと持ち上げる。
そしてそのままするすると、忍び寄ってきた(今考えるとそうとしか思えない動きだった)時の遅さとは比べ物にならない速度で引っ込んでいった。
教科書を捕まえた蔓は、呆然とする一同を放置して、瞬きの間にジャングルの様な温室の緑の中へ消えていく。
「「「…………」」」
生徒たちはそれを見送って、それからディオネア教授に目を向けた。
青玉の目をパチリと瞬いた教授は私たちの視線を受けて、苦笑と共に溜め息を吐く。
「……まったく、困った子だね」
(え)
私含め、生徒全員の心が一つになったと思う。
もしかして、ここでは植物が勝手に動いて、教科書をジャングルに隠すっていうのは珍しくないことなの?
困った子だねで済む系の話なの?
しかし、どうやら困った子だねで済む系の話だと考えているらしいディオネア教授は、頭の上の植物まみれの素敵帽子をぽすんと教卓に置いた。
「ジェームズはいたずらっ子でね。皆に慣れてきたから出てきたんだろうね」
ジェームズ、とな?
何てこった。このままいくと私の脳内の住人が減っていく。あれ、焦っているときに一周回って冷静になれるから助かるんだよ。いなくならないでほしい。
「教科書が無いと困るね。内容は覚えていてもページ指定ができないからね」
私はラタフィアと顔を見合わせる。まさか教授はあのジャングルに教科書を取りに行くつもりだろうか。
……そう言えば、あのジャングルの主人は教授であった。それに気づいて、私たちは微妙な表情になる。
「わたしはジェームズを捕まえてくるね。すぐ済むから、その間……そうだ、水寮の子たちはその辺の大人しい子たちに水やりをしてくれるかな? この時間にやらないとふて腐れてしまうんだよね」
唐突な雑用。教授が“その辺の”と指差した先には、大きく口を開けた蝿取り草が並ぶ棚がある。
これが果たして教授の言う通り“大人しい子たち”なのであろうか。
ガパガパと口を開け閉めして、まるで威嚇するように体を揺らしている(植物だよねこいつら?)蝿取り草の様子に、若干身の危険を感じた水寮の生徒たちはぶーぶー文句を言う。
「あれ本当に安全なんですかー?」
「めっちゃ動いてんですけど!!」
「加点くださいーー」
「安全だよ、噛まれても痛くないしね。加点は少しだけね」
「噛まれるってことじゃない!」
「加点があるなら良いかもー」
「頼むね。それから、土寮の子たちは待機ねー」
そして、ディオネア教授はザクザクとジャングルに踏み込んでいった。
一応加点があることを知った水寮の生徒たちはのろのろと机を離れ、蝿取り草の並ぶ棚に近づいていく。
「普段はどうやって水やりしてるのかな」
私は手の中に水の塊を生み出しながら隣で同じ作業をしているラタフィアに訊いてみた。
青風信子石の目で宙を見上げて「そうですわね、確か……」と呟いたラタフィア。
「普段はご自分で魔導具を用意なさって水やりをしているそうですわ。そうでない時はロジエス教授に頼むとか……」
「へぇ……」
私たちの話に、同じく水寮の女子生徒が食い付いてきて「そうなんだー」と横から声が飛んできた。
「それならさ、ダグラス先生に頼めばいいのにね」
「そうよねぇ、今の時間は確か授業無いって言っていましたし」
女子生徒たちの言葉に、ダグラス先生が苦手な私は「へぇ」と気のない返事をし、同じくダグラス先生が嫌いらしいラタフィアは顔を少し顰めた。
水の塊を適当に分けて、更に細かくしてから蝿取り草たちの上から降らす。
水を浴びた蝿取り草たちは、何ともまあ信じがたいことではあるが、水を得た魚の如くその場でびちびち動いて、鉢をガタガタ言わせた。
それと同時くらいに、さっきの女子生徒たちが水魔法で遊び始めたのが見えた。
確かにここは温室なので暑い。しかし私はラタフィアに教えてもらった『冷霧』と言う魔法――簡単に言ってしまえばミストである――を纏っているので快適だ。
仕方無いなぁ、気をつけなよ、と思った直後、バシャッと地面で弾けた『水弾』の水が、最前列で不機嫌な顔をしていた土寮の女子生徒の足を濡らした。
「あー……やらかしたね」
「仕方がありませんね」
やらかした方の女子生徒たちは、慌ててその女子生徒に駆け寄っていき「ごめんなさい!!」と謝っている。
そして『水弾』を放った子がハンカチを差し出した。
謝られた土寮の女子生徒はそのハンカチを見て、席を立つと、頭を下げている子の前にやって来た。
あの表情と態度、動き方……貴族かな。
私がそう考えた直後、バシッという痛々しい音が響き渡り、白いハンカチがはらりと地面に落ちた。




