第15話.ショタコンが撃退
両目がじんわりと暖かい。きっと黄金色に煌めいているはず。
私はそんな両目で宙を、ノワールを、見つめた。
勝手に発動した魔眼に、空中で光の粒の様な小さな精霊たちが私の魔力を受け取って輝きを増す景色が鮮やかに映る。
精霊たちが細い銀糸で繋がれていく。私の魔力、可能性の煌めきで目映くて仕方がない銀の色。
「アイリーン……?」
私を片腕で抱き寄せていたレオンハルトから困惑の声が発される。
単純にうるさい。鋭敏になった聴覚に、レオンハルトの声は痛いほどだった。
なので「黙ってて」と、顔を見ることもなくその口に左手の指を押し付ける。
……ふにってした。
何か、すんごく柔らかくて、潤いぷるって感覚。何てこった、どんなリップバーム使ってるのか後で教えろよ。
ああ、違う違う。気がそれた。
こんなこと気にしているべきじゃない。今はノワールに集中しなきゃ。
もっと、もっと魔力を注げ、と私は伸ばした右手から宙へ魔力を放出し続ける。
私の魔力を受けてますます輝きを増していく精霊たちの塊は、突然、銀月の様な形でふわりと池の上に現れた。
「くっ、これはっ……!」
私が何をする気なのか観察していたノワールが、ようやく状況を把握したのか金の目を細めてたじろいだ。
目映い銀光を全身に受けて、彼の存在感や黒々とした魔力の圧はますます薄らいでいっている。
これはいける、と私は確信した。
『……ノワール、ここから出ていって』
魔力を込めた言葉を発するのは久しぶりだ。宙を伝う空気の振動、そこに乗った魔力が強制力をもってノワールに届く。
「この俺に、命令するのかっ……だとしても俺の、名前は違う……っ、なんだと?!」
やっぱり、言霊感がすごいな。
ノワールって名前は、もしかしたら偽名かなって考えていたけど今の言葉を考えるとその通りだったみたい。
けれど、私の魔力か気合いか(多分、気合いだと思う。変態を撃退したくてたまらないからね)が、名前の縛りを超えて命令を彼に強制しているようだ。
「くっ、アイリーンッ、君はいったい……」
変態撃退っ!!
私の意思に動かされふよふよと動く銀月がノワールに近づいていく。
そして銀月は、そのままパクンと彼を呑み込んでしまった。そのため、彼の言葉の続きは聞こえなかった。
そして銀光が消え去った後、そこには凪いだ青い水面があるだけで、闇の精霊の姿はどこにもなかった。
おっしゃぁぁっ!!
勝ったぞ、変態に勝った!!
最高の気分だ。今なら何だってできる気がする!!
「……消えた。消滅した、のか?」
おぉっと、上からレオンハルトの声が降ってきた。何だってできる気がするって言ったけど王太子の相手はご勘弁!!
「この場からいなくなってもらっただけです」
私はそう答えながら、ぽかんとして池を見つめているレオンハルトを軽く押し退けて距離をとる。
「あんな奴相手に……」
有り得ない、と呟いたのはメルキオールだった。その声にそちらを見れば、どこか悔しげなピジョンブラッドと目が合う。
すると彼は突然プイッとそっぽを向いてしまった。
えぇ~……?
何それ、無視しなくてもいいじゃん。
「アイリーン、力及ばず、貴方を助けられませんでした」
メルキオールの態度に片眉を若干上げていた私に、いきなりギルバートがそう言って跪いた。
ひっ、何で跪くの?! 怖い!
伏せられていた水宝玉の瞳が、ゆるゆると私を見上げる。
しゅんとした表情は、命令を遂行できなかった大型犬の顔に似ている。うん、美形は得だ。
「申し訳ありませんでした」
そして彼はスッと頭を垂れた。
侯爵家の跡取りがやっていいことじゃないぞ。
私、平民だからね、アーユーオーケー?
貴方の主人はレオンハルトでしょ、と私はちらりと横を見た。
あれぇ?
さっき距離をとったのに、何か王太子殿下が近いぞぉ?
あっ、お前、じりじり近づくな。反則だぞ。
さて、じりじり王太子レオンハルトは私の困惑した視線を受けて、真剣な表情になると、こくりと頷いた。
…………パードゥン?
頷くだけじゃ分かんねぇから!!
言葉で説明して! 野生児じゃないでしょ!!
貴方と私はパッションで意志疎通ができるほど仲良くないぞ!!
レオンハルトは役に立たない。翠玉の瞳が美しい、その秀麗な容姿でキリッとしてると、確かに決まってるよ? すごく真面目なこと考えてそうだもん。
でもね、役に立たねぇんですよ。
今、私が欲しい言葉は「お前だけじゃない、気にするな」とか「アイリーンが困ってるだろう」とかなんだけど。
……気にするなって、私が言うべき?
えぇ~……いくら相手が気にしていないとは言え、侯爵家長男に平民の私が「許す」とか言うのはちょっと、ね。
よし、別ルートで行こう。
君は頑張った、だから気にしないでね、と伝えることにする。
できることなら、私のことを忘れるくらい気にしないで欲しいけど。
「あの、寮長」
「はい」
私はヨッコラショとしゃがんで、ギルバートと視線を合わせた。彼はでかいのでこうしないと目が合わないからである。
「ええと……寮長含めて、皆さんは私を助けようとすごく頑張ってくれていました」
結局私の命を救ったのは、私の愛しい弟リオだったけどね。
助けようとしてくれたのは確かにありがたいと思ってるよ。ちゃんと思ってるからね?
「結果より、そのことが、ありがたくて、大事かなって思うんです」
社会生活での会話の八割は社交辞令でできている、と思っている私であった。
次に何を言おうか困って少し首を傾げると、さらりと銀の髪が落ちてくる。
それを伏し目がちに指先で掬って、耳にかけ、再び目をギルバートに向けた。
「だから、気になさらないでください。助けようとしてくれて、ありがとうございました」
少し微笑む。真顔じゃ、感謝しているようであまりしていないのが伝わっちゃうかもしれないからね。
するとギルバートは驚いた様子で目を見開いて、それから唐突にふわりとまるで花がほころぶみたいに微笑んだ。
ひぇっ、私流石に学んだよ。
攻略対象が、驚いてから笑うの、危険。
何でだよぉぉ、私何にもしてないじゃんかぁぁっ!!
この顔のせいか、そうなのかっ?!
そうだろうねぇ、可憐で神秘的な美少女ですもんねぇぇっ!!
何で君等はそう外見に惑わされがちなんだ?!
はぁ……今猛烈にリオをハグしたい。柔らかほっぺに自分のほっぺを当てて、ふにふにしたい。
「……感謝します、アイリーン」
げんなりする私の前で、ギルバートは穏やかに笑んだままそう言うと、膝を抱えていた私の右手をスッと大変自然な様子で持ち上げた。
「それから」
そして、何ともまぁ私が反応する間も無いほど自然に(自然すぎて最早大自然だよサバンナだよこの野郎)手の甲に優しく口付ける。
ひぎゃーーっ!! どういうこと、何してるのこの人?!
彼は目を細めて言葉を続けた。
「以前、私のことは“ギルバート”と呼んでくださいとお願いしたはずです」
「……ナンノコトヤラ」
「ふふ、意地悪な人だ」
どういうことよ何てことよ、と混乱する私の肩に、突然誰かの手が置かれる。
ビクッとして見上げれば、それはレオンハルトのもので、彼はむすっとした表情でギルバートを見下ろしていた。
「ギルバート」
「ちょっとした戯れですよ、殿下」
「立て、もう許されたろう」
「はい」
笑ってやがる。
私はからかわれたのだろうと感じて、さっさと立ち上がった。たちの悪い悪戯をするものだ。
「兄上も、そんな顔をしないほうがいい」
「俺はどんな顔をしているんだ?」
「随分と不満げだね」
アーノルドは指先でレオンハルトの頬を突いているし、メルキオールは放置されていた冷めたお茶を自棄になったみたいに飲んでいる。
何だ、この空間。
そこへ、のしのしとエドワードが近づいてきた。
見上げれば、月の煌めきの様な透石膏の瞳。燃える様な鮮やかな赤髪は四阿を吹き抜ける風に揺られて炎の様だ。
キラキラした少年の様な目に、私は言い様のない不安を覚える。
この人、何かヤバいこと言いそう。
「あの様な精霊を撃退できるほど、貴方は強いのだな!」
あっ。
「是非、手合わせ願いたい!!」
あーーーっ!!
「そこで、貴方に決闘を申し込む!!」
ほらねっ! ヤバいこと言ったでしょ!
あのさ、寮長にもなる様な人が、しかも男子生徒が、か弱い(様に見えるだけの)少女に決闘を申し込むって、絵面的にいいの?
私は内心で滅茶苦茶にわたわたした挙げ句、目を散々泳がせて、俯いた。
「お、お断りします……」
「何っ?!」
何っじゃないよ。当たり前だろ。
その後は、普通にお茶会して、解散となった(お茶会途中でも、エドワードは諦めが悪く、何度も決闘を申し込んできた。もしかしたら彼はアホの子かもしれない)。
なんだか、短時間だったはずなのに濃厚すぎて疲れた。明日授業が面倒だ。
でも、変態もいなくなったし、これで学園生活が少しは平和になるよね?
私はそんな日常にサスペンスがひそんでいる系アニメのヒロインみたいな、フラグ立て台詞を思い浮かべながら、沈みゆく夕日を眺めていた。




