第13話.ショタコンの弟の炎
母に頼まれて水汲みをしていたリオは、突然大好きな姉の声を聞いた気がして、思わず木のバケツを取り落とした。
カラン、と転がるバケツ。しかしそれを拾い上げることはせず、小さな手を震わせて、リオは辺りを見回した。
「お姉ちゃん……?」
姉は今、王都にある学園へ、魔法を学びに行っている。だからその声が聞こえるはずはないのに。
「!!」
そこでリオは気がついた。
胸元で肌に触れる、金鎖に吊るされた金紅石入り水晶が酷く冷たくなっている。
別れの前夜にアイリーンがくれた、彼女の魔力から生まれた、金針を閉じ込めた美しい水晶。
どこか姉に似た澄んだ儚さ。リオに、常に姉の存在を近くに感じさせてくれるお守り。
(お姉ちゃんが……危ない目に、あっているの……?)
結構大変な仕事である水汲みのため熱く薔薇色に染まっていた柔くまろい頬が、さぁっと青褪めた。
涙が出そうになって、リオは菫色の目をぎゅっと固く瞑った。泣いては駄目だ。そんなことは何の役にも立たないのだから。
リオは胸元から金紅石入り水晶を引っ張り出した。
「っ……」
その名の通り、金針を閉じ込めた氷の様な水晶に、ぼんやりと黒い濁りが見え、リオは息を呑んだ。
(何、これ……)
リオの中で驚愕の後、徐々に別の感情が浮かび上がってくる。
それは怒りだった。
誰かが姉を危険な目に遭わせ、そして……恐らく無理矢理魔力を濁らせている。
(勝手はさせない。僕が、お姉ちゃんを守る!)
何をすれば良いかは、すぐに分かった。
脳裏に、師であるサラジュードの言葉が浮かんできたからだ。
――「火は破壊と創造の両方の力を併せ持つ。悪しきものを払い、浄化して新たなものとするのだ。お前は優しく、強い子じゃ。心に清き火を持っておる」――
リオは金紅石入り水晶をぎゅっと握りしめた。
ふわり、と温かな魔力が周囲に満ちる。大気に満ちる魔力と絡み合い、リオの魔力は鮮やかな紅蓮の炎へと姿を変えた。
生まれた熱風がリオの金の髪をふわふわと揺らし、炎の赤を映して、夕日の様な色に染める。
風に舞う紅薔薇の花弁の様だ。鮮烈な真紅は、彼の決意によって色を深め、勢いを増していく。
(待ってて、お姉ちゃん!!)
絢爛な紅蓮の炎が、リオの手の中の金紅石入り水晶に注ぎ込まれた。
―――――………
絶望が私の心を満たしていた。
私はこのまま変態の元で、水の底を揺蕩い続けるのだろうか。
嫌だな……リオに会いたいよ……
ぼんやりとした青の中、自分の髪がふわふわと揺れている。肺腑を満たした闇が手足から力を奪っていく。
ここで、完全に呑まれたら、どうなるんだろ……
『眠れ、アイリーン。次に目覚める時にはもっといいところにいるからな。もう邪魔の入らない場所だ』
黒い大蛇が口を開けて私を呑もうとしている。マジ有り得ねぇとか、考えるのすら億劫になってきた。
――「お姉ちゃん!!」――
その時、胸元で菫色の石が燃えるように熱くなった。
同時に聞こえたリオの声に、私は重たく閉じかけていた目蓋を押し上げる。
直後、制服の胸元から金鎖に吊るされた菫の花弁の様な石がふわりと出てきた。
そこから突然ぶわっと紅蓮の炎が溢れ出す。水中にも関わらず、赤々と燃え盛り、鮮やかな不死鳥の翼みたいだ。
『なっ?!』
リオッ……ありがとう!!
私を羽衣の様に包み込んだ紅蓮の炎は、私に纏わりついていたノワールを威嚇するように燃えている。
水中でこれを維持するのは大変である。これを送ってくれているであろうリオの魔力切れが心配だ。
私はノワールが離れたのを好機と、魔力を展開してリオの炎を補助する。
取り敢えず水から上がらなきゃ!
身体が芯から温まるみたい。肺を満たして、手足を甘苦く痺れさせていた闇が取り除かれていくのを感じる。
私は魔力で水を操り、上昇を始めた。
『待て、アイリーン!!』
誰が待つか!!
補助を加えた炎を分け、追いかけてくる黒い靄にぶつける。
二人分の魔力が混ざっているからか、上手く呑み込めないらしい。ノワールの伸ばす靄の手はどんどん離れていく。
おりゃあっ!!
水面を割る。眩しくてありがたい日光に目が眩みそうだ。思い切り息を吸って盛大に咳き込む。
宙に浮いたらすぐ、風魔法に切り換えて落下を防いだ。そこでリオの炎は淡く宙に解けた。
ありがとう、リオ。ぐんぐん成長してるんだね。すごく、嬉しかった。大好きだよ私の天使ッ!!
「「アイリーンッ!!」」
レオンハルトと、びしょ濡れではなくほこほこ乾いているギルバートが歓声を上げる。
その奥に真っ青な顔のメルキオールと、それを支えるエドワード、アーノルドの姿があった。
ふわりと風を纏ったまま四阿に入る。着地しようとふよふよ高度を落としていたところへ、レオンハルトが飛びついてきた。
「わっ!!」
「良かったっ!!」
レオンハルトは制服が濡れるのも構わずに私をぎゅっと抱きしめた。
「ぬ、濡れますよ」
「構うものかっ……」
この人温かいな。体温が高いんだろう。
すごくぽかぽかする。
まあ、リオには敵わないけどな。
「すまない、何も、できなかった……」
「あ、いえ……」
「すまなかった……」
そんなに謝られても。
確かに大変だったけど、久々に大好きなリオの気配をすごく近くに感じられたし、結果元気に生還したのだから良いんだけどな。
じっとり濡れた身体が、レオンハルトの熱を分けられて段々温まってくる。
同時に、じめじめと濡れながら温いのが不快になってきた。
「あの、殿下、そろそろ離してください」
「何故」
うわぁ、耳に吐息混じりの声が触れる。
くすぐったい。貴方も濡れるからやめた方がいいのに。
周りで数人があたふたする気配が。多分ギルバートとエドワードだ。
「殿下、アイリーンが風邪をひいてしまいます」
「む、そうか……」
「俺が乾かしましょう!」
メルキオールを椅子に座らせていたエドワードが挙手しながら近づいてきた。
レオンハルトは短く「頼む」と答える。
エドワードが乾かすの?
もしや火属性だから? え、大丈夫?
私の微かな不安に気づいたのか(人の感情の機微を表情から読み取るのが苦手そうなのに)エドワードがニカッと爽やかに笑った。
「安心するといい!」
そう言って彼の手が私とレオンハルトの肩に置かれる。
透石膏の目をカッと見開いて、私たち二人を包む様に火のにおいのする魔力が展開した。
「では……『熱乾』!」
ぼふんっ!!
うわびっくりした!!
いきなりほっかほかになった。水分がすべて熱によって蒸発し、乾燥機にかけ終わった直後の服を着たみたいな感覚になる。
すごく温かい。便利だな。
憶えておこう。
そしてなるほどね、ギルバートがほこほこだったのもこれか。
「どうだろうか?!」
「ありがとうございます。ほかほかです」
「助かった」
にっこり笑顔のサービスを(か弱い少女だから決闘申し込まないでねという気持ちを込めて)する。
「ぬ?!」
“ぬ?!”って何だ?!
エドワードが目を見開き、いきなり顔をそらした。失礼な……
しかも、何故かレオンハルトが胡乱な眼差しでエドワードを見ているし。何なんだ?
その直後、ザバーーーンッと池の方からでかい音が響き渡った。
ノワールだ、と私は振り返ろうとし……レオンハルトに引き寄せられて後ろに下がらされた。
これこそ“ぬ?!”案件では?
私はびっくりしたまま、座っているメルキオールの隣にちょこんと安置された。




