第12話.ショタコンと水底の闇
自分の支配下に置いた魔除けの白花の根を更に伸ばし、メルキオールは黒いものの正体を探ろうと近づいていった。
アイリーンは水の底で、黒いものの混じった水の力に押さえ込まれているようである。
苦しげな彼女が、その琥珀色の瞳を一度閉じ、カッと見開いた。
その瞳は内側から魔力によって燦然と輝く黄金色に変化しており、黒の混じった青の底で、キラキラと煌めいている。
(これが彼女の魔眼……)
メルキオールは一時、その美しさに目を奪われた。
鮮やかすぎるその色。白い美貌の中、まるで黄金色の満月を閉じ込めたような輝きが、強い魔力を秘めて、魅力的に煌めいている。
(……すごい)
そう思った直後、ひゅるりと伸びてきた黒いものがその目を閉じてしまった。アイリーンの表情がますます苦しそうなものになる。
(ギルはまだ?!)
焦りを感じながら、視線を上に向ける。
強大な魔力を纏って、水流を操るギルバートは、アイリーンに近づこうと必死だった。
しかし、アイリーンのそばを離れて伸びてきた黒いものがその邪魔をしている。
(水中でギルを苦戦させるなんて……)
メルキオールはゾッとして、それから根を使って水中に魔力を広く展開した。
「ギルが苦戦中。援護する」
「ギルバートが水中で苦戦だって?」
「それは……」
アーノルドとエドワードが話している声がメルキオールの意識から遠退く。
魔法を使うために、全力で意識を水中の根に向けているからだ。
池中のすべての魔除けの白花を支配下に収め、魔力を込めていく。
天才と称されるメルキオールだからこそできる芸当である。
意識をいくつにも分断して魔法を行使するのだから、並大抵でない精神力と魔法行使の腕が必要なのだ。
(……『樹腕』!)
花々の根が魔力を受けてバキッと姿を変える。伸びた根は途中から自由自在に動く枝に姿を変え、ギルバートを妨害する黒いものに突撃した。
「っ?!」
黒いものの一部が、メルキオールの『樹腕』の攻撃に反撃してくる。全力を注いでいくつもの魔法を操作するが、黒いものは恐ろしく素早く動いた。
「大丈夫か?!」
「黙ってて!」
エドワードが心配そうに傍らに膝をついた気配がしたが、それに意識を向ける余裕はなかった。
(何なのこれ、魔法が、喰われる!!)
支配下の花たちに与えた魔力がどんどん喰い荒らされて、分けた意識が一つ、また一つとメルキオールの元に戻ってくる。
(くっ、すごく嫌な感覚っ!!)
その時だった。
『見つけたぞ、そこだな』
黒いものと枝がぶつかった瞬間、魔力を伝ってメルキオールの意識の中に声が響き渡った。
(なっ……?!)
次の瞬間、枝にぶつかっていた黒いものがすべて、メルキオールが一番最初に支配下に置いた白花に向かってきた。
黒い海蛇の様なものが、ひゅるりと身をうねくらせて近づいてくる。その不気味な姿に、メルキオールは思わず震えた。
『動くなよ』
そして海蛇は白花に噛み付いた。
ブツンッと意識の繋がりが絶たれ、反動でメルキオールは頭を殴られた様な衝撃に襲われる。
バタッとその場に倒れた彼に、様子を見守っていた二人が駆け寄った。
「メル?!」
メルキオールは、ハッハッと短く息を吐いて震えている。エドワードはそれを支えながら、青褪めた彼の表情を見た。
「どうした」
「あれは……そんな……」
「落ち着いて、メルキオール。水中は今、どうなっているんだ?」
アーノルドがメルキオールの背を柔らかく叩いて息を整えさせる。
長いまつ毛に縁取られたピジョンブラッドには、涙の雫が浮かんでいるのではと錯覚するほどの怯えの色があった。
「あれは……精霊だ」
「何?」
「精霊だよっ!! アイリーンを捕まえてるのは!!」
ずっと池を覗き込んでいたレオンハルトが振り返る。
身体の震えを抑えようと俯いたメルキオールは、もう一度小さく「精霊だよ……」と繰り返した。
エドワードは透石膏の目を細め、アーノルドは険しげな表情で眉根を寄せる。
「あいつが『精霊の愛し子』だからか」
かすれる声で、レオンハルトはそう言った。
青い水面は、ただ静かに凪いでいた。
―――――………
はーい、こちら水中のアイリーンです!
誰か、マジで助けて!!
黒っぽい靄に擬態した変態の精霊がスケベしてきます!!
引きずり込まれたときに黒っぽいものが見えていたから嫌な予感はしてたよ。
やっぱりこいつ、何らかの手段で私をストーキングしていたんだ!
『まったく、お喋りな愛し子だな』
くそっ……この変態め!
水圧で肋骨やら胸骨やら、あちこちがミシミシと軋んでいる。痛くてたまらない。
息は続きそうにないし、魔法で何とかしようにも放つ魔力はすべて、ノワールがぺろりと喰い尽くしてしまう。
チートかこの野郎!!
っ、あれは。
青々とぼんやりしているけど、誰かが潜水してこっちに向かってくるのが見えた。
あの常人には有り得ない速度的に、ギルバートだろう。良かった、後先考えず、レオンハルトが雷を落としたりしなくて。
感電死は嫌だし。
『ふむ、邪魔をする気だな……げっ』
何かこいつ今、げって言ったぞ。何でだ?
私の疑問を他所に、ノワールは『カスカータの……』と呟いている。もしかして知り合いなの? マジか。
その後、水中に薄ぼんやりと別の魔力が広がっていくのを感じる。暖かな樹木の気配……メルキオールだ。
まずい、息が……
ごぼっ、と口から泡が溢れて青の中を昇っていく。本格的にまずい。もしや、ノワールは私をここで溺死させるつもりなのだろうか。
それは嫌だ。苦しすぎるし、こんな奴が死因とか、最悪だ……けど。
視界が暗く狭くなっていく。
酸素がめちゃくちゃ足りない。
本当に、これは、死ぬかも。
『おっと、そう言えば君は人だったな。すまない、忘れていた』
薄らいでいく意識の中、ノワールが最高に酷いことを言っている気がした。
直後、ずるりと何かが身体を伝って喉から顎に伸びてくる。冷たくて、闇の気配に満ちた何かだ。
『すぐ楽にしてやるからな』
何、を……ん? んんっ?!
黒い靄が私の口をこじ開けて、ずるりと滑り込んできた。
舌をからかう様に何度か弄び、不思議なことにしっかりと質量のあるらしい靄はそのまま喉へ。
うっ、何これ、気持ち悪っ……明らかに飲み込んじゃいけない、やつだっ……!!
噛みちぎって吐き出そうと顎に力を入れると『駄目だぞ』と幼子を諭す様な口調で囁かれ、顎を押さえる力が強まった。
『愛いなぁ。このまま取り込んでしまいたいくらいだ』
目を開けていられないから見えないけれど、正面からノワールに抱きしめられている感覚がする。
こいつ今、実体無いよな……どうやっているんだろう。
それにしてもマジで苦しい。何かがずるずると喉を下っていく感覚に私は身をよじった。
げほげほ噎せそうなものだが、その余裕も与えられず、人体に有害な気がする闇の力が肺腑を満たしていく。
『これなら呼吸の必要はない。どうだ、もう苦しくないだろう?』
確かに、苦しくなくなってきたけども! すんごく気持ち悪いんだよ!
くすくす、と直接脳内に響くノワールの笑い声。頬や喉をくすぐる指先の感覚。
『君の中に俺の一部を注いだ。何とも最高の気分だ』
ち、くしょうっ!!
目を開き、黒い靄の塊が正面にあるのを確認。一度目を閉じて魔力を込める。
魔眼は純粋な魔力でその身を構成している精霊には効きにくいけど、体外に魔力を放出する魔法は喰われてしまう。
だから、やるしかない。
おりゃあっ!!
脳内で気合いを込めて、両目をかっ開く。とにかくノワールを自分の近くから引き離さなければ。
どうやらギルバートもこちらに近づけず苦戦しているようだ。
メルキオールの援護があっても、人に擬態できる様な古くから生きているらしい強力すぎる精霊相手では分が悪かろう。
『それも禁止だ。それに、今の君は俺の力が混ざって魔力が濁っている。君の魔眼は効かない』
なにぃぃぃっ?!
何してくれとんじゃこの変態は! ま、混ざっただと?! 嫌すぎる!!
喉を鳴らして笑っているノワールに、私は悔しさと嫌さで泣きそうな気持ちになった。
魔力の濁りって、治るかな。元に戻らないとか、無いよね?
『邪魔が多いなぁ……』
ノワールの言葉の後、メルキオールの魔力が池の中から追い出された。
ギルバートはついに靄に絡め取られてザパーンと水上へ打ち上げられてしまう。
私は死を覚悟した。
絶望的な状況だ。
死にたくない。
誰か、助けて。




