第11話.ショタコンを襲撃
やがて、エドワードが笑い終わったことでその場はようやく静かさを取り戻した。
あー、カオスだった。
未だに誰も私に状況を説明してくれないし。
誰か、さして好感度も上がっていないだろうに(そう信じたい)メルキオールがツンデレ風味に心配してくれて、彼の生来持ち合わせているのだろう優しさを垣間見させた原因について教えてくれないか。
「アイリーン、貴方はとても優しいのですね」
「え?」
優しい……? ギルバート、君は一体何を言っているのかな?
慈愛に満ちた水宝玉の瞳に、私は本格的に混乱してきた。
「まさか、自室に侵入してくるような生徒の今後を気遣うなんてね。メルキオールが心配するのも分かる」
「アーノルドまでっ……」
メルキオールがそう言って、しかし王族相手だからか何も言えずに大きく息を吐いてそっぽを向いた。
「……?」
かく言う私は首を傾げている。
いつ変態の今後を気遣ったっけ?
んんん?
事の始まりの言葉に戻ってみよう。私が伏せに伏せまくったあれだ。
――「その……(変態の報復が)心配だったんです。その生徒が、退学とかになったら(変態の突撃がどこから来るか分からず、私の生活が)どうなってしまうのか、と」――
で、伏せている部分を取り払う。
――「その……心配だったんです。その生徒が、退学とかになったらどうなってしまうのか、と」――
あーーーっ!!!
全力でやらかした。これはやらかした。
伏せている部分、私自身は脳内で(若干早口で)思い浮かべているから気づかなかったのだ。
伏せているとまるで、変態が退学したら彼の行く先がどうなるのか心配、みたいな文章になっている。
やらかした。
しかもようやく自分が犯した大いなるミスに気づいたのに、この「貴方とっても優しいのね!」みたいな空気が漂う中では言い出しづらい!!
もういい、とにかく変態が精霊で変態であると言うことを(混乱してきた)明かしてしまおう。
「あのっ、そうじゃな――っ?!」
あいつは変態なんだ、と言おうとした私を、背後からひんやりした何かが掴んで思いっきり引っ張った。
ふわり、と急な浮遊感。
びっくりしたが、取り敢えずふわふわするスカートを押さえる。
だって目を丸くした美男たちが私を見上げていたんだもの。隠すよね。
そうして私は、スカートが広がってまずいと言うことしか分からないまま、青い水に引きずり込まれた。
―――――………
不法侵入者がいたという話を聞いたレオンハルトは愕然としていた。
それでも薄く微笑みながら、震える手を気づかれまいとぎゅっと握りしめて、その侵入者を気遣うアイリーンの姿に「何故」とか「どうして」という、どこか懇願にも似た複雑な感覚が込み上げる。
何故そこまで他者を気遣うのか。
どうして自身の危険は二の次なのか。
メルキオールの、わざわざ真意を濁す様な言い方の警告に目を丸くするアイリーンを、レオンハルトは無性に抱きしめたくなった。
やはりこの少女は優しすぎる。
自分が守らなくては、と決意した。
そんな中、どうやら状況を上手く呑み込めていない様子のアイリーンにギルバートとアーノルドが「優しい」と伝えた。
そう言われたアイリーンは心底不思議だと言う顔をして首を傾げ、やがて何かに思い当たった様な表情になった。
「あのっ、そうじゃな――っ?!」
そしてその時、何かを言いかけた彼女の背後から、音も無く、細い水の帯が何本も伸びてきたのである。
学園の生徒の中で、最も優秀とされる寮長四人と、それに次ぐ副寮長一人がいたというのに、誰一人反応できなかった。
何故なら、五人全員が、この四阿のある池には、危険なものなど存在しないと考えていたからである。
その実、学園の歴史上、ここで生徒が襲われたと言う話は無い。水上に咲き誇る魔除けの白花が、邪悪を退けるからである。
だから、歴代の寮長たちは、ここで秘密の会議を開いてきたのだ。
生徒にも、邪悪なものにも、邪魔されることのない隠された聖域だったのだから。
アイリーンの華奢な身体を、黒い濁りを微かに混じらせた水の帯は捕らえ、ふわりと宙に浮かせる。
まるで、美しい蝶が、蜘蛛の糸に絡め取られる様であった。
琥珀色の目が見開かれ、その手は助けを求めるように宙をさ迷う。
銀糸の髪が風に広がり、アイリーンの身体は四阿の柱の間を抜けた。
「っ!!」
そこでようやく全員が立ち上がる。レオンハルトが伸ばした手は、アイリーンには届かなかった。
派手な水音と共に、大きな水飛沫が上がる。アイリーンは水の中に落ちた。
「アイリーンッ!!」
レオンハルトは無我夢中で水に飛び込もうと制服の上着を脱ぎ捨てた。
その腕をガシッとエドワードが掴む。
「殿下、待たれよ!」
「離せっ!!」
「殿下の魔法では、アイリーン嬢まで巻き込んでしまうぞ!」
「っ!!」
その言葉にレオンハルトは止まった。水中で雷を放てば、確かにアイリーンが巻き込まれる。
「っ……ギルバート!」
「はっ!!」
若干の悔しさと共にギルバートの名を呼ぶ。この状況では、一番の適役だ。
応じる声は早かった。恐らく、最初から自分が行くつもりだったのだろう。
淡く、薄青の魔力を纏って、ギルバートが水に飛び込んだ。
「メル、状況は把握できるか?!」
「待って、殿下。今やってる」
振り返るとメルキオールがすでに四阿の白い床に触れて魔力を流し込んでいた。
床の石材を伝って水中に進み、魔除けの白花の根に辿り着いたメルキオールの魔力は、その根を急激に生長させた。
それからゆっくり目を閉じて意識をそちらへ飛ばせば、その根は彼の目、彼の手足となって水中を動いた。
日光にゆらゆら揺らめく青の底に、鮮やかな銀色が煌めいている。アイリーンの魔力の色。メルキオールの胸を突いた、美しい可能性の煌めきだ。
「アイリーンも抵抗しているみたい。魔法を使おうとしてる」
ギルバートが水流を操って潜っていくのを横目に、メルキオールはアイリーンの様子に目を凝らす。
(……何、あれ?)
鮮やかな銀光を、黒々としたものが喰い荒らしていた。
「水の底に……何か、黒いものが……」
「それがアイリーンをっ……」
「落ち着いて、ギルを信じられよ、殿下」
「そうだよ、兄上。きっと大丈夫だ」
四阿を囲う彫刻のされた白石の柵に、レオンハルトが拳を叩きつける。
エドワードとアーノルドがそれを宥め、その目を水面に向けた。
青い水面は、恐ろしく凪いでいた。




