第7話.ショタコンの知らぬ間に
落ち着いたモノトーンに深い緑と、上品な金色を添えた一室――風寮ヴェント・ファルコの寮長の部屋に、副寮長であるアーノルドがやって来た。
「兄上、私も例の彼女に会ったよ」
そして開口一番、部屋の主である寮長レオンハルトが飲んでいたお茶を噴きそうになる爆弾を落とした。
激しく噎せながら「ど、どういうことだ」と弟に問うレオンハルト。
翠玉の瞳には噎せたことによって涙が浮かんでいる。
そんな兄の視線を受けて、肩を竦めたアーノルドは「そのままの意味だよ」と橄欖石の目を細める。
「いつも休日に行く教会の子供が誘拐の被害にあったから、何か手懸かりでもないかと思って魔法を発動しながら王都を歩き回っていたんだ」
そうしたら、友人が誘拐されたと言う兄の婚約者とその親友に遭遇したので、その提案を受け、誘拐された者の強大な魔力を目印に誘拐犯の拠点を発見した。
「それで、その誘拐された子が兄上が気にしているアイリーン嬢だったんだ」
「誘拐だと?!」
ガタッと立ち上がった兄を「もう解決したよ」と宥める。
「ごほんっ……あの小児連続誘拐事件に巻き込まれたのか。事件解決の報告は聞いていたが、まさかアイリーンが関わっていたとは……」
レオンハルトの言葉を肯定するように頷き、彼女は不思議な子だね、とアーノルドは続けた。
「短時間で何人かの子供と仲良くなって脱走の手立てを考えていたらしい」
ブレナン男爵家の長男は、保護されてすぐにアイリーンの心配をした。
無事な姿を確認したことでホッとした表情を浮かべ、小さく「よかった……」と呟いていたらしい。
「教会に通っている子供もかなり気にしていたよ。助けた時も二人の少年を庇っていたし、彼女は子供に好かれるんだね」
「あいつには年の離れた弟がいるからな」
「弟……」
アーノルドはそう呟いて窓の外に視線を投げた。同じくレオンハルトも、ぼんやりと暗くなった外を眺めている。
雨になりそうだ、と大気に満ちた湿っている風属性の魔力を感じて目を伏せた。
「……まあ、無事で何よりだ。ご苦労だったな、アーニー」
「……ああ。そう言えば兄上、一つ訊いても構わないかな?」
「何だ?」
ふっと翠玉の目を言いよどむアーノルドに向けるレオンハルト。
それに対して、橄欖石の瞳を若干泳がせてから溜め息を吐くアーノルド。
「アイリーン嬢は、ええと……」
「どうした? 何かあったのか?」
「……上手い言い方が見つからないんだよ」
アーノルドはしばらく口ごもり、やがて顔を上げて口を開いた。
「……彼女は、武闘派なのかい?」
「…………」
二人の間に奇妙な沈黙が降りた。
アーノルドは「自分でも何を言っているのか分からないしできることなら分かりたくないが少し気になる」と言う細やかな感情を的確に表した微妙な表情をして、じっと兄の返答を待っている。
対するレオンハルトは「自分の弟がいったい何を考えているのか分からないがそう考えるに至った経緯を少し知りたいような知りたくないような」と言う苦渋い表情で口をつぐんでいた。
やがて、沈黙に耐えられなくなったアーノルドが、消え入りそうな声で「忘れて」と言い、身を翻して部屋を出ていこうとした。
「待て」
その背にレオンハルトが思わず制止の声をかける。
兄の声にピタリと立ち止まったアーノルドは「あまり聞きたくないがやはり気になって仕方がない」と言う曖昧な顔で振り返った。
レオンハルトは眉根を寄せ、金蘭の美貌に険しい真剣さを乗せて口を開く。
「……彼女が武闘派であるかどうかはわからない」
若干ホッとしたアーノルドが放とうとした言葉を音になる前に遮り、レオンハルトは続ける。
「だが、アイリーンなら……その、何をやったか知らないが、やりかねない、と言っておこう」
言いながら、レオンハルトは脳内で頭を抱えた。
自分だってそんな「やりかねない」と思うような驚愕の光景に遭遇したことはないのに、何故かそう思ってしまったのだ。
あの可愛らしく、可憐な乙女がそんなまさか。でも、何かやりそう、と彼は葛藤していた。
その実、彼の想像は正しいので、普段はあまり賢そうに感じられない(アイリーン談)彼も、実は直感に優れた青年なのであるということになる。
アーノルドは完全に曖昧な表情で固まった。
そんな弟の様子に、自分の想像にげんなりして俯いていたレオンハルトは顔を上げ、つい出来心で訊いてしまった。
「具体的に、彼女は、何をしたんだ?」
アーノルドの曖昧な表情が奥歯にものが挟まった様な、むず痒いものに変化する。
「……彼女がやったか、定かじゃないんだ。でも、状況的に彼女がやったとしか思えないんだけれど……」
ごくり、とレオンハルトは唾を飲んだ。
「その……誘拐犯の頭領は、左頬に強烈な一撃を食らって昏倒していたんだよ……」
「…………」
二人の脳内に、銀糸の束の様な美しい長髪に、とろりと蕩ける琥珀の様な瞳の美少女が、麗しい微笑みを浮かべて拳を握る様が浮かんだ。
「あの部屋にいたのは、頭領の他に、彼女と、二人の子供だけだったんだ……」
アーノルドの脳裏に、アイリーンの側に落ちていた千切れた魔力縛りの縄が浮かんできた。
彼女の華奢な手首には縛られていたであろう赤い痣が残っていたから、多分、あれは彼女を縛っていた縄であろう。
(千切ったのか……まさか、そんな柔なものじゃない……)
フンヌッと縄を余裕で千切る美少女の姿を想像しかけ、アーノルドは慌てて「縄が元々傷んでいた」と自分に言い聞かせた。
「……彼女が無事で良かった。そして事件が解決して良かった。この話はこれで終わりだ。もう、部屋に戻って寝ろ」
そして寝て忘れろと。溜め息を吐き続ける兄の姿に、アーノルドは曖昧に頷いて寮長室を後にした。
(兄上が興味を持っているから、少し気になっていたけれど……)
廊下を歩みながら、アーノルドの口元には微笑が浮かんでいた。
(面白そうだな)
アイリーンという少女に少し興味が湧いたアーノルドであった。
―――――………
「わ、何かいきなり鳥肌が立った」
自室のベッドの上で手首にできてしまった痣を観察していたアイリーンは、突如襲いかかってきた寒気によって鳥肌が立った腕を撫でた。
「嫌だなぁ、怖いなぁ……」
変態の精霊襲撃の合図だったら嫌だと、彼女はカーテンを閉めた。
変態はカーテンも鍵も関係なく突っ込んでくるので、少しの気休めにしかならないが。
「あーもう、早く寝ちゃお」
アイリーンはそう呟いて布団を被った。




