第31話.ショタコンと守護者
真夜中の、それより深い闇に紛れて、闇の精霊が一つの窓をすり抜けた。
部屋の中、ベッドの上には穏やかな寝息をたてる麗しい銀髪の乙女がいる。
その姿を認め、精霊はほっと安堵の息を吐いて、顔に柔らかな笑みを浮かべた。
月夜の街を行く黒猫の様に足音を忍ばせてアイリーンに近づいた精霊――ノワールは、彼女の白磁の様な頬に触れようと手を伸ばす。
「こんばんは。良い夜ですわね」
「…………」
「お話は伺っておりましてよ」
ノワールはアイリーンに注いでいた視線を背後に向けた。
窓から差し込む月光を外れた暗いそこには、一人がけのソファーに優雅に腰かけた栗毛の乙女がいる。
「ほう、驚いたな。俺の正体に怯まないのか」
「あら、私の友人を襲った変態さんに、怒りこそすれ怯えるというのは有り得ませんでしょう」
「それは……」
「言い訳はいりませんわ」
微笑んだラタフィアは、ソファーの肘掛けに置いていた手をそっと持ち上げた。
直後展開する鮮烈な水の魔力。
精霊であるノワールが、一瞬驚愕に動きを止めてしまうくらいには純粋な魔力である。
「何の目的があってアイリーンを狙うのか存じ上げませんが、変態的行為を働く者は皆等しく乙女の敵ですわ」
かなりの暴言の後「『水槍』十槍」と唱えるラタフィア。ノワールはたじろぐ。まさか貴族とは言え一年生が、と彼は目を見張った。
ノワールを取り囲むように展開する十本の水の長槍。その向こうでラタフィアが笑みを深める。
「お帰りになって。そして二度と私たちに近づかないでくださいな」
今にも発射されそうな鋭い槍に、ノワールは真っ青になって部屋を飛び出した。
(恐ろしい娘だ……確か、水のが昔可愛がっていた者の末裔……カスカータ家の娘か! まったく……怖い怖い)
月夜に浮かび、ノワールはふるりと震えて溜め息を吐いた。愛し子を手中に納めるには中々苦労しそうである。
まあ手に入れるさ、と彼は微笑む。
「……それにしても」
彼は自分の脛をさすった。
「あれは痛かった……」
愛し子の抵抗も激しい。
闇の精霊の前途は多難である。
―――――………
柔らかな朝日が目蓋をくすぐった。
私はぼんやりと目を開け、そして眼前にラタフィアの白百合みたいな寝顔を確認して「……びじんがおる」と呟く。
その声に、ふるりと震えた長いまつ毛が持ち上がってその下から青風信子石の瞳が現れた。
くすっ、と花弁が触れ合う様な微かな微笑み。
「ありがとう、アイリーン。貴方も綺麗ですよ」
「……うふふ、聞いてたの」
二人揃って身を起こす。
大きく伸びをしながら、私は「何でラタの部屋で寝たんだっけ……?」と頬を掻き、そして「変態……」と昨晩のノワールの凶行を思い出した。
「…………」
「ふぁぁ……もう部屋に戻っても平気なはずですから、お着替えを……」
「うんそうする。ありがとう、ラタ」
「礼には及びませんわ」
ラタフィアの微笑みを後ろに、私は自室に戻った。昨晩は大慌てだったから鍵が開けっぱなしである。
危ない。でも、本当に危険な変態は鍵無視だからなぁ……
私は制服に袖を通し、部屋の前で待っていてくれたラタフィアと朝食を摂りに行った。
「明日はお休みですわね」
「街に買い物に行きたいんだけど、ラタは予定ある?」
「いいえ。是非ご一緒させてくださいな」
「やったね。私、王都に詳しくないから教えてほしい」
「勿論ですわ」
その時もりもりとマッシュポテトを口に突っ込んでいた私は知らなくて後で教えてもらったのだが、もりもりする私の背後で、すっかり人の姿に戻ったノワールが何とか私に接近しようとしていたらしい。
ラタフィアがおっとり微笑んで牽制していたようで、知らず知らずのうちに守られていたんだなぁと嬉しくなった。
その後、注意喚起と言う名の根回しによってノワールは水寮一年生女子全員に避けられることになった。




