閑話.師匠と弟の話
ショタ不足に我慢できなかった作者。
リオの様子をちらっと覗きましょう。
降り注ぐ陽光は暖かく、家の周りを取り囲む森林からは爽やかな新緑の香りが届いている。
春を迎え、柔らかな黄緑色に揺れる芝の真ん中にある切り株に腰掛け、水の魔導士サラジュードはごりごりと乳鉢で薬草をすり潰していた。
(……さて、もうすぐかの)
潰れた薬草を挟んで、乳棒が乳鉢を擦るごりごりという音の中、そっと目を閉じ耳を澄ませれば、遠くから微かな足音と荒い呼気の音が聞こえてくる。
「はっ、はっ……ししょー、さん!!」
やがて木々の狭間から姿を現したのは、金の髪を麗らかな陽光に輝かせ、白くまろい頬を赤くしたリオであった。
形の良い額に、汗でしっとりと濡れた前髪が張り付いている。彼は彼の姉であるアイリーンが行っていた水汲みの修行を行っている最中である。
「これで、さいごっ!!」
手にした木のバケツから、森の奥の泉から汲んできた清水をサラジュードの前に置かれた大きな水瓶に注ぎ込んで、リオはその場にくってりと倒れた。
「うむうむ、流石、筋が良いのぅ。この分ならすぐにアイリーンより早くなろう」
「ほんとう? お姉ちゃんより早く?」
「ああ。七歳で、すごいのぅ、リオは」
「ふふ。よかった」
芝の上に転がって乱れた息を整えるリオの言葉にサラジュードは首を傾げる。
「何が“良かった”なのじゃ?」
「あのね、ええと、お姉ちゃんより早くせいちょーできるってことは、ぼくは、お姉ちゃんにすぐおいつけて、おいぬけるってことでしょ?」
「そうじゃな」
「そしたら、ぼく、お姉ちゃんを守ってあげられる! だからね、早くつよくなれそうで、良かったって」
「っ~~尊い、ゲフンゲフンッ!! ……偉いのぅ、リオは」
弟子の病がうつったな、とサラジュードは口を押さえた。
最近リオを見守っているとこうしてあらぬ言葉が飛び出す時がある。
思い返せばアイリーンも同じ様に何かを誤魔化す様な仕草や言葉が多かった。なるほどな、と誰にともなく頷く。
「ししょーさん、かぜひいたの?」
「いいや、大丈夫じゃ。お主が可愛ゴホンッ、唾が気管にの……」
危ない危ない。
こてん、と小首を傾げて、心配そうに菫色の瞳を揺らすリオがあまりにも可愛らしかったのでサラジュードは目を閉じて微笑んだ。
「お主はきっと、アイリーンを守れるほどに強くなる。そしてきっと、アイリーンを守れるのはお主だけじゃ」
何となく、しかし確信していた。
そう告げるとリオは心配の色を消し去って真剣な表情になった。そんな幼いながらに凛々しい顔も、とても愛おしいと思いながら、サラジュードはリオの言葉を待つ。
「……ぼくね、ほんとうは、お姉ちゃんに学園へ、いってほしくなかったんだ」
リオは芝に転がったまま、服の胸元から金の細鎖を引っ張り出した。
その先に揺れるのは、アイリーンの魔力が生み出した金紅石入水晶である。
日の光を透かして、きらきらとあちこちに光を投げるそれに目を細めて、リオは続けた。
「おべんきょう、したい気持ちはよく分かる。ぼくも、できるならしたい。でも、ししょーさんのところでも、できるんじゃないのって……」
リオが渡した菫の花弁の石には彼の祈りが込められていた。
姉が傷つけられることのないように。どこにいても、自身の魔力を分けた存在がそばにいるように、と。
「……ぼくは、だれかに、お姉ちゃんを、とられちゃうのがいやなんだ」
「そうじゃのぅ」
「お姉ちゃんが、だれかと、どこかへいってしまうのがいやなんだ……」
ふる、と揺れてしまいそうになる菫色の目をリオはぎゅっと瞑った。
泣き虫だった彼は、修行を始めてから泣かなくなった。
ひたすらに強くなろうと足掻く彼を、サラジュードは力の及ぶ限り助けたいと心から、強く思っている。
「大丈夫じゃよ、リオ」
「うん……」
「アイリーンは約束したろう。必ず、お主のところへ戻ってくると」
「……うん」
「お主の姉は、嘘つきではないはずじゃ」
「うん」
「信じよ。大丈夫じゃから。そして待つのじゃ。あの子が驚くほどに成長してな」
「うん!!」
リオは力強く答えて目を開けると身を起こした。転がっていた木のバケツを拾い上げる。
「ありがとうししょーさん! ぼく、もう一回いってくる!!」
「おお、良かった。行ってこい」
「うん!!」
健やかに、若木の様に日々成長している身体に、赤く赤く、そして熱く燃える火の魔力が巡る。
跳ね回る若い牡鹿の様な身のこなしで、リオは森の中へと駆けていった。
その背を見送り、サラジュードは止まっていた手を動かす。膝に擦り傷を作って戻ってくることのあるリオのために毎日作る傷薬だ。
「……そろそろ、いらないかのぅ」
サラジュードは手元の乳鉢に清水を注いで、ふぉふぉふぉ、と笑った。
(アイリーン、お主の計画は上手く行かんかもしれぬな)
全てを守る、と息巻いていた白銀の髪の弟子の姿を脳裏に思い浮かべる。
(リオは、お主より強くなるじゃろう。お主の欠けた面を補い、お主が傷ついた時の寄る辺となるはずじゃ)
稀少な魔眼に『精霊の愛し子』という特異体質を持つ彼女はその心に、愛するものを守るためならば自身の命すら擲ってしまう危うさを孕んでいる。
(きっとリオも、それに気づいておる)
だからリオは必死になっている。聡明な彼には色々なことが見えているから。
「……まあ、見えぬ未来のことをいくら考えても詮無きこと。あの子等ならば、何であろうと乗り越えられよう」
サラジュードはそう呟いて再び、ごりごりと薬草をすり始めたのであった。
可愛いお話を作る予定が、頑張る凛々しいリオ君に……舵取りが上手くいかない時はキャラクターに任せるのが一番。
彼等もまた、彼等なりの考えのもと動いているのです。




