第14話.ショタコンと悪役令嬢(2)
悪役令嬢であるとしか思えない、紅薔薇の様に気の強そうな美少女に、レオンハルトはたじたじ。私の方は必死に前世の記憶を掘り返していた。
『月花と精霊のパラディーゾ』って悪役令嬢いたか?!
いつものことながら、早送りとスキップが記憶を求める私の首を絞めている。
何が言いたいかって?
言わせるなよジョン。記憶がねえってことだよ。くそっ。
いやいやいや、退場してくれジョン。
私の脳内に存在しないマイケルやらが召喚されるのは、私が現実でかなり焦っている時である。
つまり今はヤバイってこと。
だってさ、悪役令嬢と言えばあれでしょう? 苛烈ないじめか、はたまた冤罪の断罪からのヒロイン「ざまぁ」でしょ?
でも、あれだよね。悪役令嬢の婚約者に手を出さなければ、いじめもざまぁも無いはずだ。
よし、ショタコンに死角無し。
「ご機嫌よう殿下。それにラタフィアも」
「あ、あぁ」
「ご機嫌よう」
近づいてきたジェラルディーンは、薔薇の花弁の様な唇に自信に満ちた笑みを浮かべたまま二人と挨拶を交わした。
ラタフィアはおっとり微笑んで「来てくださって良かった」と言っている。
もしや。
「ラ、ラタ? もしかしてさっき言ってた火寮のお友達って……」
思わずそう口を挟んだら、ジェラルディーンの紅玉髄の目がこちらに向けられた。
けぶる様なって感じではなく、瞬けば音が鳴りそうなタイプのまつ毛だ。明らかに気が強そうである。
「ええ、そうですわ。紹介致しますわね。ジェリー、彼女はアイリーン。私の新しいお友達ですの」
ジェリーだって?! まさかの愛称ジェリー?! 灰色の猫と“仲良く喧嘩”と称した死の追い駆けっこをする鼠と同じじゃないか……
私は恐る恐るジェラルディーンを見た。
刺し貫く様な鋭い眼光。紛うことなき支配者階級の目をしている。それを見て、私は何となく嫌な予感がしてきた。
「アイリーン。彼女は――――」
「わたくしは、ジェラルディーン・フェリシア・ザハード。ザハード公爵家の長女にして、レオンハルト王太子殿下の婚約者ですわ」
ラタフィアの言葉を遮って、ジェラルディーンは堂々と名乗りを上げた。
あーーっ!!!
嫌な予感は的中だ。彼女はレオンハルトの婚約者であった。
これは参った!!
しかもわざわざ「レオンハルト殿下の婚約者」と名乗っている。これはどう解釈しても私に対しての牽制、威嚇だ。
確かに、婚約者の立場から見れば、レオンハルトがやけに構おうとする私は邪魔で危険な存在である。
彼には婚約者がいるから近づくな、と言外に含められた警告。しかも私は庶民である。ジェラルディーンが正しい。
だがしかし!!
私はショタコンだ。レオンハルトには微塵も興味が湧かないし、できることなら近づきたくもない。
彼のことは嫌いではなくなった。だが好きでもない。彼は恋愛対象ではないのである。
苦笑しながら、転ばないよう遠くから観察すべきやんちゃなおちびさんなのだ。
だから家柄や取り巻きの数からして、学園の女子生徒に対して絶大な影響力を持っているだろうジェラルディーンに、誤解で嫌われるのだけは避けたい。
「殿下、貴方様も授業がおありでしょう。お急ぎになった方が良いのでは?」
「あ、あぁ。だが……」
「まだ何かおありですか?」
「あ、その……」
「はっきり仰ってくださいな」
「……何でもない」
つ、強い……
しょぼんになったレオンハルトは、肩を落としている。そしてこの状況で私に目を向けた。
「では、またな。アイリーン」
「……え、えぇ」
やめてほしい。ジェラルディーンの目が更に鋭くなったじゃない。
美人の怒り顔は怖いんだぞ。その様子なら絶対身をもって思い知ってるだろ!
でも無視するのも駄目そうだったから適当に頷いておいた。
そして名残惜しそうに何度も女々しく振り返るレオンハルトの姿が廊下の先の曲がり角に消えて、しばらく。
「庶民の分際で何様のつもりっ?!」
私は取り巻き令嬢Aに怒鳴られた。
茶髪茶目の地味な……明らかに取り巻きモブキャラである。いいな、その立ち位置。気が楽そう。
レオンハルトみたいな無意識に周胃爆撃をする奴に絡まれるのは楽じゃないんだからな。分かってんのかてめぇ。
「そうよそうよ!」
「殿下はジェラルディーン様のものなんだから!」
「卑しい庶民は引っ込んでいなさい!」
好き勝手言うなぁ。
それじゃあ拳で片付けっかぁ? と心の中のガラの悪い人が頭をもたげ、アップを始めた。
「お黙り」
「「「っ!!」」」
しかしそこへピシッと一言、短い言葉で取り巻きたちの口を閉じさせたジェラルディーン。
彼女は私より少し背が高い。華やかな紅薔薇の美貌も相まって、レオンハルトの隣に並んだらさぞかし見栄えが良かろうと思った。
「見苦しくてよ」
「も、申し訳ありません!」
「ただ、この小娘が……」
「思い上がってはいけないと……」
「ふん」
取り巻きのしどろもどろな言い訳を放置して、彼女はラタフィアの方を向いた。
しかしその目は私に向いている。少し顎を上げた高慢ちきな姿勢で、私を睨むその瞳には明らかな敵意があった。
「ラタフィア? 貴方、分かっていてわたくしに紹介しようと思ったの?」
「いいえ、知りませんでしたわ。ですが、アイリーンはそんな子ではないと思いますの」
「そろそろ口を開いたらどう? そうして俯いていて、恥ずかしくないのかしら?」
ぎょっ。私のことだ。つい考え込んじゃって俯いていたみたい。
何を考えていたかって? 勿論この大変よろしくない状況を打開するための策に決まっている。
私はガバッと顔を上げた。さらりと流れる銀の髪が廊下に差し込む光に煌めく。
意志の強そうな、真っ直ぐな表情になるよう心掛け、私はジェラルディーンを真っ正面から見つめた。
「申し訳ありません! 誤解なんです。私は王太子殿下と確かに挨拶を交わす程度の顔見知りではありますが、それだけです!!」
勢いで最後まで言い切る。散々内側に溜め込んできたことだ。折角の機会、吐き出させてもらおうか。
ジェラルディーンはじっとり睨む様な沈黙でもって私の言葉を受け止めていた。
「ぶっちゃけ、殿下は私のタイプではありませんから!!」
学園での楽しい生活のためなら、おしとやかを必死に取り繕うのも「もういいや」と思ってついぶっちゃけてしまった。
そこで初めてジェラルディーンの余裕の表情が崩れた。その顔は、信じられないものを見る様な、奇妙な新種の生物を見たかの様な、純粋な驚きの色に染まる。
「ふふっ……」
隣でラタフィアが堪えきらずに笑った。
「ごめんなさい、っふふ……」
「私変なこと言った?」
思いの丈を、ぶっちゃけただけだ。何故笑われるのか、謎である。
「あ、貴方……ええと、え?」
そしてようやく口を開いたジェラルディーンも混乱しているようだ。私は首を傾げて続きを待つ。
彼女は紅玉髄の瞳に困惑の色を乗せて、恐る恐る薔薇の花弁の様な唇を開いた。
「殿下に、興味が、無い……と?」
「はい!!」
「くふっ!!」
良いお返事をしたら隣で再びラタフィアが撃沈。お嬢様にも笑いを耐えられない瞬間があると知ったが、何故今なのだろう。
ジェラルディーンの取り巻き令嬢たちがこそこそと囁き合っている。
「殿下に興味が湧かないなんて!」
「不敬だわ、あの金蘭の方に……」
「でも、よろしいのではなくて……?」
「確かに……何も問題ではなくなりますわ」
「あら……?」
「わたしたちの勘違い?」
「まさか、そんな」
うん、その通り。阿呆っぽいと思っていたけど間違いに自分達で気づいたらしい。偉いぞ取り巻きーズ。
その声を背後に、目を見開いて微かに唇を震わせていたジェラルディーンに、ラタフィアが声をかける。
「どうでしょう、ジェリー。ふふ、面白い子でしょう? くふふ」
「……ラタ、笑いすぎ」
私は不服申し立てをしたものの、彼女は微笑んで「申し訳、ふふ、ありません」と答えた。効果無しだ。
ラタフィアにそう言われたジェラルディーンは、やがて、ゆるゆると口を開く。
「……勘違いで、責め立ててしまったこと、謝罪するわ」
ごめんなさいね、と少し目を伏せた彼女は、それでも鼻白む程の気品に満ち溢れていた。
取り巻きたちがざわめき、なにやら押し合い圧し合いしたのち、最初の取り巻きABCが進み出てくる。
「わ、わたしたちも、悪かったわね!!」
「で、でも殿下に興味がないなんて!!」
「ど、どうかしているんでなくて?!」
何か、可愛いな。
私はジェラルディーンと顔を赤くして謝る三人に、微笑みかけた。
「分かってくださったらいいんです。それでも、私は平民の出ですから、今後もまたこう言ったことがあるかもしれません。その時は、少しだけでいいですから、助けてくれますか?」
打算を添えて、謝罪を受ける。
三人の取り巻き令嬢たちはほっとした顔をして頷いたが、ジェラルディーンは伏せていた目をこちらへ向けた。
何を考えているんだろうか、と思っていたら彼女は紅薔薇が恥じらう様にそっと微笑んだ。
「……貴方、面白いわね」
「そうですか?」
「ええ。わたくし、計算高い者は好きよ」
ほぁぁ、それとなくバレてる。でも何か好かれたみたい。これなら安心だ。
「いいわ、気に入った。これから、同じ学舎で学ぶ者として、よろしく頼むわ」
「それはお友達ですか?」
「っな、何を言っているのかしら。ただわたくしは……」
「良かったですね、アイリーン。ジェリーは恥ずかしがりやさんなので、あれが精一杯なのですわ」
「ふふ、そうなの」
「ラタフィアッ! そのお喋りな口を閉じなさい!」
「閉じなければならないと言うことはそう言うことでよろしいですわね?」
「貴方っ……!!」
絢爛な美貌を、それこそ紅薔薇の花弁を頬に乗せた様に赤くして私から顔をそらす彼女は、尊大にしている時よりかなり年相応に見えた。
そしてそれはとても可愛らしく、打算抜きに彼女と仲良くなれそうで良かった、と私に思わせたのであった。




