第8話.ショタコンの銀光
私とレオンハルトは学園長室に戻ってきた。私は学園長の顔を見るなり、ガバッと頭を下げる。
「ごめんなさい、学園長のこと、誤解してました!!」
下げたのと同じ勢いで、シュバッと頭を上げると、机の前で水晶玉を眺めていた学園長は、ポカンとその綺麗な目を見開いて固まっていた。
「あ、ああ……ごめんなさい、アイリーン。私も、気が急いて……怖い思いをさせてしまったわ」
「じゃあお互い様と言うことで、ここでこの謝罪は終わりにしましょう!」
私がそう言うと、学園長はパチクリと目を瞬いた後「ふ、ふふ」と笑い始め、終いには堪えきれなくなったらしく「ほーっほっほっ」と悪役魔女っぽい高笑いを始めた。すごく似合う。
「面白くて、素敵な子ねアイリーン! 貴方がこの学園に入ってくれることを、とても喜ばしく思うわ!!」
「あ、ありがとうございます」
高笑いにびっくりして微妙な返事しか返せない。
しばらく笑っていた学園長は、やがてふーっと息を吐き、笑顔のまま机から水晶玉を取り上げた。
「じゃあ、見せてくれる?」
「はい!」
学園長が差し出した水晶玉に、私は手を伸ばす。
多分、学園長も信頼できるし、攻略対象はもっと信頼できる。
だってほら、攻略対象だからさ。バットエンドルートに突入しているならともかく、まだ共通ルートの前哨戦なのだから、危険は無いと判断して良いだろう。
まだ制服を貰っていないから私服なのだけれど、その胸元でぽかぽかと暖かい気配が私を勇気づけてくれる。
リオのくれた彼の祈りの石。菫色の花弁は、微かに宿る彼の火の魔力でぽかぽかしていた。
ひた、とつるりとした水晶玉に手を触れる。変換せず、ありのままの魔力を流し込んだ。
奔放で、自由、何にでもなれる可能性の煌めく私の魔力。髪の色に似た鮮やかな白銀の光流。
私の魔力は細い糸の様にして水晶玉の中に溜まっていく。学園長は目を丸くしてそれを見つめていた。
魔力を注ぎ終えた直後。ふるり、と水晶玉の中の魔力が震える。
「あっ……」
水晶玉から、ぶわっと銀光の蝶が溢れ出した。舞い踊る銀光の蝶の群、囁き合う様に静かな羽ばたきの音。その背後に、微かに聞こえる精霊たちの歓喜の声。
学園長室の高い天井近くまで、蝶の群は精霊たちの声を乗せて飛んでいる。
その神秘的な光景を見上げて、私は呆然としていた。
……なっんじゃこりゃ?!
まさかこんなことが起こるとは。
勿論、現世の光景とは思えないほどに美しいものを見られたから嬉しくはあるけれど……すごく目立つじゃんね。
恐る恐る、天井から視線を下ろしてきて正面に立っている学園長を見る。
学園長はぽってりした赤い唇を薄く開いて、珪孔雀石の目に薄く涙を浮かべて銀光の蝶の舞に見入っていた。
な、泣いてる……そんなに……?
きょろ、と左右に目をやる。
一番印象的な表情をしていたのは、美少年枠メルキオールだ。
彼は唇を震わせて、両拳を腿の横で固く握り締めて銀光の蝶を見上げている。
大きく見開かれた紅色の瞳には驚愕が色濃く浮かび、舞い踊る蝶の銀光が降って、まるで星紅玉の様だ。
次にその隣のエドワード。
蝶の色に似た透石膏の瞳をキラキラと輝かせている。
その唇が何やらもしょっと動いた。同じことをゆっくりと繰り返しているようなので必死に読み取ってみる。
『よ、い、ま、りょ、く、だ、ぜ、ひ、て、あ、わ、せ、ね、が、い、た、い』
→「良い魔力だ。是非手合わせ願いたい」
ひっ?!
何その思考回路。
貴方の名前エドワードでしょ、私の勝手な偏見だけど英国紳士っぽいじゃない? レディーファーストしてくれよ!
自分がレディーだと言い張るつもりはないけど!
これが武人キャラか……ヒロインだろうがお構いなしだな、恐ろしい。今のところ一番危険な人だ。
さて次はレオンハルト。
何とまあ、ゴーイングマイウェイ王太子であるからして、皆が蝶の群を見上げている中、一人だけ何故か得意気な顔で私に笑いかけている。
何だろうか……見覚えのある表情だ……
あっ。
あれだよ。
皆が知らなかったことを自分だけ知っていて、それが披露された時、やったのが自分じゃないのに何故か得意気な顔をするおちびさんと同じ表情だ。
何だかそう考えたらほっこりしてきた。
仕方ないな、おちびさんは、と苦笑を返す。すると嬉しそうな顔をしたので、ますますおちび感が増した。
最後にギルバートを見る。
彼は舞い踊る蝶に、何故か寂しげな顔を向けていた。
しかし次第に魔力が尽き、蝶がパラパラと淡い銀の燐光になって雪の様に散り始めると、その水宝玉の目に、ゆるゆると決意の様な鋭い光が宿り始めた。
まるで、蝶の名残が宿ったみたい。
それにしても、何故そんな顔をしているのだろうか。分からぬ。まったく何事も私には分からぬわー。
彼は一体何を考えているのだろう?
「…………美しい、魔力ね」
私が内心首を傾げていたところで、学園長がようやく口を開いた。
彼女に目を戻すと、その珪孔雀石の瞳は真っ直ぐ私を見ている。
「やはり貴方は『精霊の愛し子』なのね」
「……はい」
「それが何であるか、何をもたらすか、理解しているのね?」
「はい」
「使いこなす術も身に付けているのかしら?」
「はい」
私は力を込めて頷いた。三年間の血反吐を吐くような修行。あれは確かに私を強くした。
「そう……それは、独力で?」
「いいえ、師がいます」
私の答えに学園長は不思議そうに目を瞬いた。
「貴方の様な子を、ここまで上手く制御する術を持つまでに育てた人が? それは……誰かしら」
「ええと……師匠のプライバシーもありますから言えません……」
あの人、多分嫌がるよね。宮廷魔導士長の位を退いた理由も理由だから、宮廷魔導士とも繋がっていそうな学園長には知られたくないはずだ。
「そう、残念ね……」
ふぅ、とやけに色っぽい溜め息を吐いた彼女は大きく息を吸って気持ちを切り替えたらしい。
「それで、話は殿下から聞いた?」
「はい、邪神信徒がこの学園にいると」
バレたら死への回避不可能一直線コースとなる。ジ・エンド・オブ・私だ。
「貴方の様な存在は、魔導士を育成する機関を代表する私たちが、必ず守らなければならない存在よ」
天然記念物かな。
「『精霊の愛し子』は四百年生まれていないの」
それってバレたら学園に潜んでいる隠れ邪神ファン以外も殺到してくる奴じゃね? と思うのだが。
「貴方は水魔法を使い慣れている様だからアクア・パヴォーナ寮に配属します。その力を、隠しなさい」
「はい」
まさに命がけで。
「それからギルバート」
「は」
蝶の名残の銀光を水宝玉の瞳に宿したまま、ギルバートが私を真っ直ぐ見ていた。
「貴方は彼女を全力で守りなさい」
「はい。カスカータ侯爵家嫡男の誇りにかけて」
いや、そこまでしてくれなくていい。相手の力量が分からない間、守ってくれるのは有り難いけど。
相手の力量が判明して、何とかなりそうだったら自力で何とかするからさ。
て言うか侯爵さん家だったかぁ……身分の高い人とはあまり関わりたくないな。面倒事に巻き込まれたくないし。
「ギルバート」
「殿下? 何か」
そこへレオンハルトが口を挟む。
何だいおちびさん。
彼は翠玉の瞳に、ギルバートと同じく銀光の名残を宿していた。
その目は、諸刃の正義感に煌めいていたあの時とは違う。銀光を受けて、目映くそこに在るのは確たる意志の輝きであった。
おちびさんなのに、何だか凛々しい。少しだけ、胸がドクンと鳴った。私の胸はおちびさんの成長に、高鳴っているらしい。
「頼む」
たったそれだけの言葉であった。
しかし、ギルバートは驚いたように目を見開いている。やがてその表情はゆるゆると苦笑いに変わった。
「御意」
御意しなくていいよ、と思うが、何やら心で通じ合っているらしい主従の間に私が入り込む隙は無さそうだった。
学園長には高笑いが似合いそう、という感じの感想をいただきましたので早速させてみました。




