第7話.ショタコンと進展
学園長室を出たレオンハルトは、私を振り返ることなくずんずん進んでいた。
階段を下り、一階まで来ると今度は外に直通している回廊から緑の鮮やかな庭へ出る。
そのまま、繁みを掻き分けてガサガサと低木の群の中に突き進んでいった。
レオンハルトのお陰で落ち着いてきた私は、いつも通りの思考が戻ってきて、彼の金糸の髪に引っ掛かっている葉っぱやら小枝やらが気になり出した。
「あの……」
頭のテンコに芋虫……と続けようとしたとき、さぁっと視界が開けた。
「あ……」
緑のカーテンの向こう側には、木々に囲まれた芝の広場の真ん中、澄んだ池に浮かぶ小島があった。
薄桃色の蝋細工の様な蓮が咲いている。今は季節的には春のはずなんだけど……と私は夏を思わせる蓮花を眺めた。
ここは、何なんだろうか。
池の真ん中の小島まで、白い石製の橋が渡されていた。レオンハルトは迷いなくそこを渡る。
橋の先、小島の中心には白い四阿があった。私の手を引いたまま、レオンハルトはそこへ入り、備え付けの白石のベンチに座る。
この間、彼の頭のテンコには相変わらず芋虫が乗っていた。
「……大丈夫か」
「あ、はい。歩いていたら、だいぶ良くなりました」
ありがとうございました、と言葉を締め括る。私はきちんと礼を弁えたショタコンだからね。
「……本当に、憶えていない訳じゃ、ないんだろう」
「…………」
さて困った! どうする私。
「アイリーン……」
「!!」
少しかすれて、微熱を帯びた甘い声音。乞う様な翠玉の瞳が、私をじっと見つめている。
そろ、と冷たい石のベンチの上で動いた彼の手が、私の膝の上の手に重ねられた。さっきまでベンチに触れていたのに、その手はとても熱い。
多分、世のお嬢さん方なら息を呑んで、頬を赤く染めて、訪れる奇跡みたいな幸福な瞬間を待つんだと思う。
甘く、特別な奇跡。目を閉じて待てば訪れる、そっと優しい抱擁や、触れるだけで蕩ける様なキスが降る瞬間。
……自分で言っといてアレだけどやばい。乙女ってすごい生き物なんだな。
助けて芋虫。
私は、ここに来てずっとレオンハルトの頭のテンコに乗った芋虫が気になって仕方なかった。
それをこのピンチを乗り切るのに利用しようと考えたのである。
ただ問題は、この状況のせいで口が上手く動かなかったこと。
「殿下……」
囁くように言ってしまう。
頭に芋虫が、と言う声は喉の奥で絡まって出てこなかった。先程までのストレスがまだ少し残っていたらしい。
レオンハルトの目が見開かれ、そこに喜びの光が煌めく。
私はそっと手を伸ばし、隠しきれない期待に輝く表情の彼の頭へ……
「……よし、取れました」
無害そうだったので適当に指先で摘まんだ芋虫をペイッと四阿の外へリリース。
「……?」
「御髪に芋虫が付いていましたので」
「芋、虫……」
「言わない方が良かったですか?」
よし、喉の調子も回復してきたし、良い感じだ。
私はリリースした芋虫がもいもいと動いて芝の間に消えていくのを眺める。元気でな。私のピンチを救ってくれた英雄よ。
「はぁ……」
レオンハルトが溜め息を吐いた。
それから、その溜め息の音の尻がかすれた笑い声になる。
「俺を“殿下”と呼び、その調子で話すと言うことは、本当は憶えているんだな」
ギクッ!!
「ナ、ナンノコトデショウ……?」
「もう誤魔化しはきかないぞ」
「う……」
私は項垂れ、小さく頷いた。
完全に、油断してのミスだと思う。田舎から出てきた新入生は知らないはずの彼の身分を、さらっと呼んでしまった。その上馴れ馴れしくお話……
ん? あっ。これ、はめられたのでは?
だってさっき学園長がレオンハルトの名前を紹介していた気がする。半分くらいしか聞いていなかったのを逆手にとられた鎌掛けでは?
あーーっ、頷いちゃった。もう言い逃れはできない。
しくじった……
「良かった。お前が、俺を憶えていてくれて」
「……はぁ、そうですか」
そんな良い思い出かしら?
「多分、学園長はお前のことを守ろうとしている。ただ、やり方が強引だ。お前が、今にも倒れそうだったから、気づいたら飛び出していた」
「邪神ファンじゃなかったんですか……?」
「ふぁん……?」
「熱心な信者のことです」
「ああ。学園長が邪神信徒な訳がないだろう?」
「そう、ですよね……」
確かに、名字までしっかりあったから身分が確かな人だろうし、王族も通う学園の学園長に変な人据えられないよね。
「ただ、学園長がお前の魔力について知ろうとした理由は、邪神信徒に関わる」
「え……?」
どういう意味、と私は首を傾げた。何だか嫌な予感がする。
「……先日、この学園に、邪神信徒が潜り込んだという情報が入った」
「…………」
何も言えねぇ。学園長は隠れ邪神ファンじゃないと判明してホッとした直後にこれだよ。突き落とされたよ。
「誰かは分からないから、寮長全員にお前のことを知らせて、全方面から守ろうと言う算段なのだろう」
「そ、うですか……」
絶望じゃん。全方面包囲じゃん。どう足掻いても攻略対象から逃れられないヒロインの宿命だ。
乙ゲーのヒロインになんてなるもんじゃないな……死亡率高いし。
絶賛ヒロイン中だよこの野郎っ!!
嫌だよ死にたくない。
「大丈夫だアイリーン」
脳内で一生懸命大騒ぎして現実逃避しようとする私の、つい震えた肩にレオンハルトの手が伸びてきた。
そしてそのまま、自然な流れで引き寄せられる。
え? ちょ、ちょ、えっ?!
ぽすん、と私はレオンハルトの腕の中に収まってしまった。
年頃の青年のくせに、何だか良い香りがする。制服越しでもその胸にしっかり鍛えられた筋肉が付いているのが分かった。
「俺がお前を守る」
頭の上から、すごく近距離で彼の声が聞こえる。背中に回って私の銀の長髪を梳く手の感触。触れているところから混ざっていく体温。
な、ななな……
何だこの王太子、さっきまで……さっきまで、頭に芋虫乗っけてたくせに!!
「今度こそ、守ってみせる」
ん?
その言葉に、私は無理矢理両腕を彼の胸に突っ張って距離をとった。
「“今度こそ”?」
「ああ。三年前、お前をサラジュードのところから助けられなかったから……」
「は?」
おいまさか。
この王太子、まだ師匠のことを誤解したまんまだったのか?!
ああそう言えばあの後、王宮の使者来なかったもんね。そうだね、王太子がそう言い張ればそうでしょうよ。結果としてはありがたいけどさ!
「どうした? アイリーン」
「師匠は、悪い人じゃありませんから。それは、殿下の誤解です」
「アイリーン……」
「庇っているとかではないです。本当にあれは殿下の誤解なんです」
「そう、なのか……?」
「はい」
お? 何だか前より話が通じる!
すごい、成長しているじゃないかタップダンス王太子のくせに!
「それは……悪いことを、した」
「分かっていただければいいんです」
すごい成長だ。
「……馬鹿にしていないか?」
「まさか」
「……いや、しているな。“憶えていない”と言った時と同じ表情をしている」
「え? どんな顔ですか?」
「教えないぞ。意識しないでいてくれれば考えを読むのに役立つからな」
「なっ」
ふんっ、と得意気に笑うレオンハルト。何だか子供っぽい。
それに加えて成長も見てしまったので段々と彼がおちびさんに見えてきた。
青年王太子だと思うと塩対応しちゃうから今度からはおちびさんだと思って対応しよう!
「そろそろ学園長室に戻った方がいいですよね?」
「あっ、そうだな、戻ろう」
忘れてたな。
そうして何となくレオンハルトと和解した私は、二、三歩先を歩く彼を微笑ましく思って眺めながらその後に続き、学園長室へ歩き出した。
乙ゲーって意外と死にまくるらしいですね。
進展した関係……? 後退する王太子の立ち位置。
※少々改稿。王太子の鎌掛けに関して悩んでいた部分を修正。




