第5話.ショタコンと前哨戦
校舎の中に入り、建物自体が芸術作品であるかの様に美しい回廊を行く。
二人分の靴音が響く。外に直通している回廊には爽やかな風が吹き抜けていた。
初代国王が創立した五百年前からある古い校舎。それだけで価値のある建造物なのにそれに加えて美しいって凄い。
三階まで上がり、ギルバートは一つの扉の前で立ち止まった。黒檀の様にどっしりとした木製の大きな扉である。
「ここです」
玄関でもあるまいに、猛禽の顔の様な形のドアノッカーが付いていた。ギルバートの手がそれを握り、軽くコンコンと扉をノックする。
すぐに部屋の中からくぐもった返答があり、私を振り返って頷いたギルバートは扉を開けた。
あかんやつやあかんやつや。
私は脳内に謎の関西人を召喚しながら、ギルバートに続いて足を進めた。
あーーー……
私終了のお知らせ。
学園長室に入ると、そこは思っていたより広かった。
左右と奥、すべての壁を上から下まで埋め尽くした本。この部屋に満ちた心落ち着く紙のにおいは明らかに多すぎるこれらの本のせいだ。
宙には赤青緑黄の四つの玉がふよふよ勝手に漂っている。その大きさは大体同じだ。何だあれ。
そして奥に三段高くなったところがあって、そこに横長で本や紙が沢山載った机がある。
「貴女がアイリーンね」
ぼんっきゅっぼんっ。
いや、自分でももっとマシな言い方ができないものかと思うけど、予想を裏切られすぎてこんな言葉しか出てこなかった。
一番偉そうな場所にいるし、その堂々たる様子と圧倒的な魔力からして、多分彼女が学園長なんだろうとは思う。
襟足に触れるくらいに切り揃えられた、藍晶石を紡いだ様に艶やかで美しい深青の髪。
瞬けば音がしそうに長いまつ毛に縁取られた瞳は珪孔雀石の輝きだ。
ぽってりとした赤い唇は、言葉を紡ぐために動くだけで蠱惑的である。
途轍もなく魅力的な肢体に纏うのは鮮やかな黄金色の裏地が覗く黒いローブで、緩やかに裾が広がる細身のスカート部分がきゅっと締まったくびれを強調していた。
が、が……
学園長って言うから、もっさもっさの白髭の、師匠みたいなおじいちゃんを想像していたのに!!
こんな夜の女王みたいな蠱惑的な美女だとは誰が想像できたろう。
そしてその左右に一人と二人に別れて立っている三者三様な美形。そんなものを左右に置いているから余計に女王様感がするんだ。
「連れてきてくれてありがとう、ギルバート。さあ貴方もこっちへ」
「はい」
今なら「一人にしないで」とギルバートにすら縋れそうだったが、彼はすたすたと歩いていってしまい、慣れた様子で学園長の左隣に並んだ。
「……さて、アイリーン?」
「ひゃっ?! はいっ!」
噛んだ。
そんな私を見て学園長は可愛いものを眺める目になって笑った。やめて、恥ずかしい。
「緊張しないでちょうだい。何も怖いことはしないから」
自分でも赤くなって震えているのを理解しながら、私はコクコクと頷いた。
よろしい、と学園長は笑む。
「もう分かっているでしょうけれど、私が学園長。コリアーン・レティ・レイバーンよ。よろしくね」
「あ、はい、よろしくお願いします……」
「まず、ここにいる者たちは信頼できるから安心してほしいわ」
はーい先生、一名確実に信頼できない人がいます!
その人、翠玉の瞳をキラキラさせて、さっきから無視してるのにずっと私のことを見てます!
何を隠そう、我らがレオンハルト・タップダンス王太子殿下です!!
「彼らはこの学園にある四つの寮の寮長でね。さあ皆、簡単に名乗ってくれるかしら」
「うむ、では俺から行きましょうぞ!」
私の脳内の挙手は当然ながらスルーされて、話を進めた学園長の言葉に燃える様な赤髪の青年が手を挙げた。
キリッとこちらを見た切れ長の目は、月光にも喩えられる透石膏の様な白銀。
その鮮やかな色彩は明らかに攻略対象であるという左証。顔だけなら知っている。
そうかぁ……これは共通ルートの前哨戦。「これで全員じゃないけど取り敢えず顔を見て好きな男の子を決めようね☆」ってやつか。
「俺は火寮フォーコ・アークイラの寮長、エドワード・サラマンディオ・マクガヴァンだ!」
声が大きい、何か武士武士した気配を感じる。顔の系統は男前って感じだ。
「よし、次はメルだな!」
「は?! 何で僕なの? ありえないんだけど……」
エドワードに勢いよく促されて文句を言ったのは、彼の隣にいた、恐らくゲームの美少年枠であろう少年。
「土寮スオーロ・チヴェッタ寮長、メルキオール・シルヴェスター」
さらさら艶々の黒髪。周りの者たちより明らかに幼い白皙の美貌。
けぶる様な長いまつ毛に縁取られた紅玉の瞳は大きく、しかし今は不満げに半眼である。
「ふん。何か凄いのがくると思ってたのにただの田舎娘じゃん」
仰る通りで。なので帰らせて。
私はこっくりと頷いた。
あぁ、ちなみに。
メルキオールは私の守備範囲をギリギリ外れている。残念だけど、どう足掻いても興味は出ないから安心してね。
ちくしょう、もう少し幼かったら学園での癒しになったかもしれないのに……
「私はもう名乗りましたからよろしいですね。ほら、殿下」
「押すな、ギル」
はい来ましたよ。
でもね、私はさっき脳内挙手をスルーされた時に対応を脳内会議で決めていたのである。
この策なら完璧だ。タップダンス王太子なんかに学園生活を掻き回されてたまるかってんだ。
「……久しぶりだな」
レオンハルトはそう言って、少し頬を赤くして微笑む。
何その、しばらく会えなかった親しい人にする挨拶的なのは。
「その……あの時は……」
その口が「助けられなくてすまなかった」と動く前に私は作戦を実行に移した。
「……あの申し訳ないのですが、……どこかで、お会いしましたでしょうか……?」
そっと口許に手をやり、心底困惑しているという様子で小首を傾げて、私は会心の一撃を放った。
固まるレオンハルト。硬直し冷えていく室内の空気。目を丸くする学園長に、レオンハルトを恐る恐る窺う三人の寮長。
うむ。
私は手応えを感じて満足した。
効果は抜群だ!!!
「お、お……」
ようやくレオンハルトが口を開く。その翠眼には絶望の色。
「憶えて、いないのか……?」
何だか泣きそうだ。泣きたいのはこっちだと思いつつも、この状況は少し楽しい。
「申し訳ありません……まったく」
そして慈悲は無い。
「そんな……」
レオンハルトは項垂れてしまった。
それを見ていた学園長が強張った笑みでパンパンッ、と手を叩く。
「ごほん。彼は風寮ヴェント・ファルコの寮長レオンハルト・ブリッツ・レーベ・バイルダートよ」
無理して明るい声を出させてしまって申し訳ない。学園長は何も悪いことをしていないので流石に悪いな、と思った。
「アイリーン、貴方をここへ呼んだのは貴方の魔力について話したいことがあったからよ」
「魔力……?」
まさか、知っているのか。
他所の人に知られたら隠れ邪神ファンに聞きつけられて心臓を狙われる可能性があるので、師匠やリオは絶対に外へ漏らさないはず。
怖い。何故知っているんだ。
「私の風の魔力は“視る”ことに長けていてね。偶々知ってしまったの」
肩を竦めてそう言った学園長は「来て」と私を手招いた。
その先に、何の変哲も無いように見える水晶玉を見た私は何となく何が行われようとしているのかを察して青褪めた。




