シンシア教授の日常と金菫の王子 第2話
私が情緒的に殺されようとも時間は進む。
五限目は水寮アクア・パヴォーナの二年生の必修科目『水属性魔法鍵言発音学』。一年生の必修『鍵言発音基礎』の進化系かつ水属性特化、という授業だ。勿論火も土も風もあるよ!
更には鍵言に関して無敵の私が在籍しているので、今までは指導が少々困難だった、派生属性が強く出ている生徒の鍵言発音もしっかり指導できる。
基礎の四大属性から派生した属性って結構多いからね。
四大属性の方がどうしても人口に占める割合が多くて、派生属性は少ない上に種類が非常に多いという、教えられる人の少なさが学園の課題だったのだ。
貴族はこの辺、自分たちの先祖が積み上げてきた指南書とかを持っているから強いんだけども、平民にだって派生属性の子は生まれる。
むしろ、継いできた血統から派生属性が大体絞り込める貴族より、何が出るか分からない平民の子の方が育成が大変ってわけ。
シェイドローンの入学許可証が届くのは身に宿す魔力量が一定の基準を超えている子だからね。しっかり指導しないと彼らの生活に響いてしまうんだ。
「はぁい、皆、今日もやっていこうか~」
「「よろしくお願いします!」」
皆よい子で眩しいや。
ここは訓練場。魔法の実践をする授業は大体ここを使う決まりだ。
「じゃあいつもの準備運動から」
といっても体を動かすわけじゃなくて。
「水」
「「スイー」」
「海」
「「カイー」」
「川」
「「センー」」
こうして「水属性魔法の鍵言でよく使う単語」の発声練習をするのだ。
私にとっちゃ意味が丸分かりの漢字音読みなんだけど、この世界の子たちにとっては違うからねぇ……どうしても「すい」は「スィ」に近づくし「かい」は「カィ」に近づく。ちょっと中国語的な発音の多様性を感じるのだった。
でもこれをやり始めたら生徒たちの魔法の威力が上がり始めたから、よい準備運動なのだと思う。考えた私、天才か。ちなみに一年生の基礎の授業では「あかさたな」からやってるよ。
そんな感じで私はしっかり教授業をやっている。
ノワールがたまに覗きに来ては「信じられない」って顔をして去っていくけど。
超絶失礼か。こちとら美貌の学園長のお墨付きをもらった名物教授やぞ。
私が教授になってから留学生も増えたんだからね。
――――――
そうして翌日。
今日は放課後、メルキオールの研究の手伝いだぁと思いながら行動する。
「おはよう、アイリーン」
「アッ、オハヨ」
一限目は火寮三年生向けの実践演習なんだけど、廊下でばったりリオに会ってしまった。いや、決して嫌なわけじゃないんだけども! 色々と、心が大変と言うか!!
「今日は貴方の授業がなくて寂しいよ」
「ホァッ、エ、ア、ソッカァ……」
待ってくれリオその術は俺に効く……リオの「寂しい」は姉特攻なのだ。心が血を吐いて死にそう。
「ジャ、ジャア、モウ、行くので……」
少しずつカタコトがはずれるのは、熊から距離を取るかの如く後ずさりしているからだ。物理的距離があるとショタコンは人間でいられるの……
「……うん、じゃあ、またね」
寂しげなリオの微笑みにこちらも曖昧な微笑み(怪物が歯を見せる様子)を返して廊下の角を曲がる。
「――しぬ」
「エッ、教授、大丈夫ですか?!」
いたんかワレェ……誰かと思えば火寮一年のミリー少女……誰もいないだろうと思ってたのに……
「うん、だいじょぶ……ちょっとね……」
「本当ですか? 医務室に行きますか?」
「ダイジョブ……」
こちらを何度も振り返りながら歩いていくミリー少女にふらふらと手を振って見送る。なんていい子なんだ、眩しい、てぇてぇ。
けれどきっと彼女も進級するごとに「またですか」「今度はどんな弟さんショックですか」って適当に対応するようになるんだぜショタコン知ってる。個人的シェイドローン七不思議の一つだ。
ふらふらしたまま授業を行う訓練所に向かう。
いざ授業が始まれば、今日も今日とてしっかり教授なので、慣れた三年生には「さっき奇行を働いてうちの一年を困らしていた人と同一人物とは思えない」などと言われた。見てたんかワレェ……
――――――
そうして昼休み。
もりもりマッシュポテトを貪っていたら、ふと視線を感じて「?」と振り返る。
生徒や教授でごった返した昼の大食堂、しかし私の目は非常に良いのでその視線の主を即発見できた。火寮の一年生だ。深みのある赤髪の美少女。何だろうな、今日は火寮に当たる率が高い日……??
私が気づいたことに相手も気づいたようで、バッと分かりやすく目がそらされた。
はて……??
その時は特に何も気にしなかった。
如何せん私はこの美少女詐欺な顔面で大変目立つので、見られることには慣れている。
あと、学生がかかってきても簡単にいなせるという強者の余裕があるからね。
マッシュポテトの美味さに、私を見つめる生徒のことなどすっかり忘れてしまってそのまま辿り着いた放課後。
「やっほー、来たよー」
「入って」
「お邪魔しまーす」
戸に『メルキオール・シルヴェスター』の名札がかかった部屋を訪問。この学園の教授が生活棟の部屋とは別に、学園の中に与えられる研究室だ。私の研究室にはちゃんと『アイリーン・シンシア』の名札がかかってるよ。
植物の匂いがする研究室はメルキオールの城だ。彼が、数ある研究室の中で最も日当たりが良い部屋をもぎ取ったのは、彼の魔力で育てられる魔生植物たちのためである。アニー的危険物はいない。ありがてぇ。
「来てくれてありがとう。早速だけどこれ読んで」
「ん」
研究記録だ。メルキオールはマメなので、ほぼ論文のクオリティだった。サーッと目を通して「なるほど」と頷く。
乾燥地帯で、少ない水分をしっかり吸収できるように植物の根の生育を魔法で補助するという内容。流石の出来栄えだ。
「で、この問題は鍵言ってことね?」
「そう。色々な植物属性の魔法からヒントを得て構成したんだけど……」
「ふぅん……『植物水強吸』ね……」
ざわわっ、と研究室内の植物たちが蠢いた。
「危ない……魔力込めてないんだけどな……」
「……反応はするんだけど、思ったように生長している気がしない」
「うん、何となく分かる」
私は漢字の意味が分かるから、頭の中で適切に語を配置することができて、オリジナルの魔法創造も容易いけど、普通は分からないからね。
この鍵言の場合なら「水」の位置がおかしい。目的が水をより多く吸い上げる根を育てることなのだから「強吸水」とか「強吸水根」とかにしなきゃ駄目だと思う。
そのことを簡潔に伝えてみる。
「それから、これ、多分だけど『水』の字が入って属性に混乱が生じてる」
「……それって」
「うん。水属性かもって、精霊が混乱するんだと思うよ」
「はぁ……むずかしいなぁほんと……」
鍵言は大気中の目に見えないほど小さくて弱い精霊たちに魔法という神秘の構成式を伝える言葉だからね。言葉のチョイスによっては結構簡単に目標がブレるんだ。
「そもそも『根』には『吸う』概念が付与されてるはず。だって根っこは養分と水分を吸い上げるものじゃん。敢えて『水』を入れなくても大丈夫だと思うけど……」
この天才魔導士メルキオールがわざわざ『水』の字を入れたのだ。そこには明確な意図があるはずだ。例えば……
「今のままじゃ吸えないほど深部の水に根が届くようにしたかった、とか?」
「……はぁ~、察しがいいよねぇほんと。そうだよ、普通じゃ足りないんだ」
「なるほどやっぱり」
頷く私の前で、メルキオールは机に突っ伏した。
「はぁ……」
溜め息。それからその手がのろのろ机の横の本の山に伸びる。
「こっちの方法はなるべく採用したくないんだけど……」
「何か別案があるの?」
「これ」
差し出された分厚い本。
そのタイトルは『異属性の同調魔法構築について』。
「……なるほど、結構な難易度になっちゃうねぇこれは」
「でしょ」
メルキオールは乾燥地帯の人々が自力で農作物の栽培をできるようにするのが目標なんだもんな。
それが、同調魔法構築かぁ~……ううん、確かに悩むなぁ。
私は本を開きつつ、うむむと唸ったのであった。




