ショタコンと闇の精霊珍道中 後編
そこは天然の、しかし現世とは確実に切り離された場所にあるプラネタリウムだった。何故なら、朝だというのにそこには満天の星空があったからだ。
濃紺に、金銀の粒。それらを引き立たせるようにそっと塗り広げた緑青と紅桔梗。何も思う余地のないほどに、それは星空だった。
私が立っていたのは、淡い黄金の草が生えた小さな島。その周りはこの美しく、いっそ凄絶と形容してもいいほどの星空を映した湖だ。
綺麗、と吐息交じりに呟くことすら無粋に思えて、私はただ両手をぎゅっと握り込んだ。感動と同時に、囁くような寂寥感が胸を打った。
なるほど、ノワールが「喜ぶと確信している」なんてことを言うわけだ。何だかんだ長い付き合いで、やつも私の好みをよく分かっている。私は、そういう感性を持っているようには見えないかもしれないけど、こういう神秘と幻想が大好きなのだ。
「な、来てよかっただろう、アイリーン」
「ノワール……うん、ありがとう。来てよかった」
ふわ、と背後に現われた気配。振り返らないまま答えて、そのまま座り込む。
「……ねえ、ここ、どういうところなの」
穏やかで、ささやかに頬を撫でる程度の風が私の銀の髪をわずかに揺らす。明らかに現世と切り離された、不可思議なこの場所。精霊であるノワールが知っていることに疑問はない。ノワールなら、この場所のことを知っていると確信して訊いた。
「そうだなぁ……ここは、うん、そうだな……ここは精霊の故郷で、墓場だ」
「え……」
思わず振り返った。私の斜め後ろで、立ったままじっと星空を見上げているノワールは「故郷で、墓場なんだ」と繰り返した。
「じゃ、じゃあ、消えてしまった精霊はここに……?」
改めて辺りを見渡す。そこに、いっとう優しい橙色が見えないかと思ってしまったのだ。そんな私の姿にノワールは小さく苦笑する。
「空じゃない、下だ――と言っても、俺たちには見えないけどな」
下、それってこの湖のことだろうか。少し身を乗り出して水面を覗き込む。星空の映り込みが鮮やかすぎて、その向こうを窺い知ることはできそうにない。
「本来、ここは精霊が生まれる場所だった。ずっと昔、俺たちはここから旅立って、そしてここに還ってきていた。今では還るばかりだが」
「……いつからかここは固く閉ざされて、新たに生まれ出る精霊はいなくなった。人に触れ得る身はここの入口を通ることができなくなり、器なき魂ばかりが通ることを許された」
「それが千年に一度だけ、決まった星の重なる日に、昔のように通れるようになるんだ。それでも、新たに生まれる者はないが……かつての輝きが少しだけ、戻るのを感じるんだ」
静かに語るノワールはひたすらに穏やかだった。確かに彼はここから生まれたんだと、何故か私に感じさせた。その表情が、いつか私がしたような、切なく叶わない望郷の色を浮かべていたからだろう。
――ああ、だからここは少しだけ寂しいのだと分かった。
「『精霊の愛し子』に見せたかったんだ。精霊がどこからやって来て、どこへ還るのかを。君に、知っていてほしかった」
うん、分かったよ。
ノワールが祈るように言う意味が。
「帰ったら書かなきゃいけない記録が増えたね、ノワール」
「……ああ、そうだな、うん、いくらでも話そう」
「実体験に勝るものなし」
私の筆力でこの場所のことをどれだけ書けるかな、って不安はあるけど。
ノワールは私の言葉に笑って「ありがとう」と小さく言った。
そう、この世界も不変じゃない。
全てのものは流転して、常に移り変わっている。
私はその流れの中、押し流されていないように見えて少しずつ、本当に少しずつ動かされている精霊たちの記録を残している。邪神ファンのような過ちが二度と起こらないように、私のように苦労する愛し子が私以降いなくなるように。
だから……いつか、ノワールもここに還る日が来るのかもしれない。
それはきっと、私が死んで、生まれ変わって、また死んで、のサイクルを何百回と繰り返した後だろうけど。
憎らしいやつだけど、彼はもう私の友達だ。そんな彼が最後に行くのがここなら、それはとてもいいなと、そう思った。
「「帰ろっか/帰るか」」
言葉が重なって、顔を見合わせて笑った。
――――――
「いやここどこーーーー??!!」
「ほんとにどこだここ?!」
水! しょっぺぇ!! 海水?! マ????
「こんなことある?! 酷くない?!」
「確かに帰りは行きと違うところに出るんだがっ、こんな場所は初めてだ!」
「それ先に言えよ!! わだぁぁぁぁッ足になんか触った!!!!」
「なんだ?! 大丈夫か?!」
「わ、わかめ……?? 見えないけど……心的健康のためにわかめと信じッずわぁぁぁぁっ?! わかめじゃないわかめじゃないっ! ほぎゃぁあぁぁ! なんか意志を持って動く何か!!」
「待ってろ確認してやる……いや、大丈夫だ、何もなかった……」
「目をそらすな闇の精霊ッ! それでも精霊かッ!! どう考えてもいるだろ早く正体を言えぇぇぇッ!!」
「いいのか……後悔、するぞっ……!」
「見知らぬものに触られるより分かってるものに触られた方がマシだ!!」
「ぐっ、いいんだな……知らないぞ……!」
「構わん来いッ!!!!」
「……非常に、鋭利な牙を持った、恐らく肉食で、魚類の、魔生生物だ……」
君の足を鼻先でつついている、と「非常に苦渋!」という顔で締めくくったノワールを思わずぽかんを見上げる。
「『ショタコンVS魔法サメ~2~』かよッ!!!!」
意地で蹴散らして帰った。
爆発にはノワールも巻き込まれてたけど構わない。
良い雰囲気だったのもサメと共に吹っ飛んだのである。
私は当分ノワールとは出かけないことを心に誓い、研究仲間の一人(画伯)が書いた猫の絵(どう見ても宇宙から来る系クリーチャー)を眺めて心を癒すなどした。




