第9話.ショタコンと
ある日、リオの手紙の始まりが突然『お姉ちゃんへ』から『アイリーンへ』に変わった。別れてから八年経ったときのことだった。
突然の他人風味に私はショックで血を吐いて倒れた。教授である私のそんな奇態はすでに周りの人間たちの知るところだったので、特に心配はされない。
リオの入学まであと一年というところでこれ。私なんかしたっけ、と前回送った手紙の内容を必死に思い返す。
……何もしてない、と思う。
いつもちゃんと、リオへの気遣いと配慮を忘れずに書いているから、流石に突然の他人ムーブメンツに繋がるようなヘマはやらかしていないはずだ。
「教授? どうしたんですか??」
「放っておきなよ。どうせ弟のことだろうから」
「シルヴェスター教授、え、でも……」
「いいから。授業に遅れるよ、ほら行った行った」
「はーい」
親切な新入生が廊下でブッ倒れている私に声をかけてくれたけど、私のことをよく知るメルキオールに放っておけと言われて去っていった。
こうして生徒たちは私のヘンテコムーブへのスルースキルを学んでいくのだよ……
「どうしたの、アイリーン」
「メルキオール……」
お前はスルーせんのかい、とのろのろ顔を上げる。この八年で青年らしくなったメルキオールは、紅玉の瞳に呆れたような色を乗せて私の前にしゃがみ込んでいた。
「あのね……これ、どうおもう……?」
「は?」
「りおが、りおが……『お姉ちゃんへ』じゃなくて『アイリーンへ』って……ヴッ……」
「……へぇ」
べそべそ呻く私に、メルキオールは小さく鼻を鳴らした。白皙の美貌に意地悪な笑みが浮かぶ。
「さぁね。ま、あの子も大人になったってことなんじゃないの?」
「ウッ……」
「そう言えばこの前会ったけど、僕身長抜かされてたんだよね。生意気じゃない?」
「会ったの……なんで……私、八年会えてないのに……」
「アハハ、何でだろうね」
笑うだけ笑って、メルキオールは「じゃあね」と去っていった。とても酷い。
何故私の周りはリオに会えるのに、私だけ会えないんだろう。
もしかしてしっかり嫌われたままなんじゃなかろうか。
ごめんなさい、というのは建前で、本当は「お姉ちゃんなんかきらい!」のままなんじゃ。
「ヴゴォァ……」
「教授ー、あれ大丈夫なんですか?」
「放っておいてやりなさい。いつものことじゃから」
「ほーい」
ついに私を「あれ」扱いする生徒が現れた……もうそれでいいから、本当にほっといてくれ。
そんなやり取りをした一年後。
リオの入学の日だ。
緊張して朝盛大にゲロを吐き、蒼い顔で参加した入学式。
寮分けの儀式で「エルメリオ・ルベリウス・バイルダート」の名前が呼ばれる。
進み出たのは、さらりとした金髪に優しげな菫色の双眸の青年。
新入生の女の子たちが微かに黄色い悲鳴を上げる。そうなるのも無理もないと思える穏やかで爽やかな美貌だった。
教授席で目を見開き、真っ青な顔でガン見する私には一瞥もくれず、彼は、大きくなったリオは、壇上の魔水晶に触れる。
水晶の中には収まりきらず、ふわりと大広間に溢れた紅蓮の花弁のような魔力の煌めき。見間違うはずもないリオの紅炎。
フォーコ・アークイラ寮の名が高らかに告げられる。制服と寮のバッジを受け取って火寮の席へ向かうその姿は立派だった。
結局そのまま、リオと目があうことはないまま式は終わった。悲しくて泣いた。
その後、いくつかの仕事を片付けて夕日の中とぼとぼ職員寮への道を歩く。
緊張のせいで昼食も入らなかった。ふらふらだ。いつも何があっても飯は食う私がこれとは、大変なことだと思う。
やっぱり嫌われたのかな……それとも八年分老けてて私だって分かんなかったとか?
これでも「美少女詐欺!!」と毎年新入生の一人か二人に叫ばれる身だから、それは少しショックかも。
詐欺で悪かったな、昔からだよ。自分で言うのもあれだけども。
「はぁ……」
「――――アイリーンッ!」
溜め息をついたとき、背後から走ってくる音がして呼び止められた。知らない声だなと思って軽率に振り返る。
「あ……」
肩で息をして、こちらをキラキラした菫色の目で見つめていたのはリオだった。
呼び方まで「アイリーン」になっていることに密やかにショックを受ける。けれど――知らず知らずのうちにほろりと涙がこぼれた。
大きくなったねとか、会いたかったよとか、色んな言葉が浮かんでは消える。
結局「リオ……」と吐息混じりに呼ぶことしかできなかった。
「ずっと、会いたかった」
「私も、だよ……」
「でも我慢してたんだ」
「なんで……」
マジでなんで……と眉根を寄せる私に構わず、リオは数歩歩いて距離を詰めた。手が伸びてくるのを静かに受け入れる。
「……こうして、迎えに来るため」
温かくて大きな手が頬に触れる。まるで愛おしいものを慈しむみたいな触れ方。くすぐったい。
「それ、どういうこと?」
「……うん」
リオの顔が見上げる位置にあるのは純粋な驚きだ。あんなに小さかったのに、八年で私の手の届かないところへ行ってしまった感じがする。
よく分からなくて首を傾げた私の額に、リオがこつんと自分の額をあわせてくる。
「あのね……アイリーン」
「ぅっ……うん、なに」
「あの日からずっと、僕は、考えていたんだ。どうして貴方が僕をあの時突き放したのかって」
「…………」
「やっと分かった……って言いたいけど、まだ少し、難しいや」
リオは苦笑しながらそう言う。
「でも、だからこそ今の道を選んだ」
陛下に言ったんだ、と彼は続ける。陛下のことを父とは呼ばないんだなと、驚きと嬉しさと、不思議な感情がない交ぜになった気持ちになった。
「僕は王子になって、その務めも果たすけど、大人になったらカローレ家を再興して当主になることと……結婚の相手は自分で選ぶこと」
「カローレ家を。そっか……」
「うん」
頷いたリオは額を離して、私を真っ直ぐ見つめた。小さい頃から変わらない真剣な表情。懐かしいな、と思った。
「だからね、そのとき僕の隣に立ってほしいんだ」
「…………ん?」
ん????
「駄目、かな……?」
「ちょっ、ちょちょ、ちょい待ち、待って待って、どゆこと??」
眉尻を下げて、不安げな表情をするリオに待ったをかける。ほんとマジで待って。
「えっと、待ってね、整理しよ」
深呼吸する。今日は何も食べていないから頭の働きが少しおかしいんだ。許して。
「リオは、成人したらカローレ家を再興するんだよね?」
「そうだよ」
「で、え、その隣に、わ、私……?? 姉として的な??」
「違うよ」
「ゑ」
リオがあまりにも真っ直ぐにこちらを見据えて否定するから声が裏返った。
「やっぱり、ハッキリ言わなきゃ駄目か」
困ったような、照れたような、そんな笑みを浮かべてリオが言う。そして彼は私の手を取って跪いた。
「ちょ、ま――」
「僕が成人したら、僕と結婚してほしい」
「マ゜」
冗談よしてなんて、彼の真剣そのものの表情を見たら言えない。顔に熱が集まるのが分かる。
リオの頬も少し赤らんでいた。夕日の中で金の髪が茜色を透かしてそれはもう鮮やかに輝いている。
彼の首元に金の鎖が見えて、リオも私と同じようにあのとき交換した石をまだ身に付けていることが分かった。
自分の胸元で、菫の花弁の石が熱を持っている。きっとリオの持つ金紅石入水晶も同じ。
「アイリーン」
「うっ、あ、わたし」
待って、そんな熱い目で見ないで。
どう答えよう。私は、私は……――――
「へ、返答にはしばしお時間をいただきたく!!」
前向きに検討します!!
リオからの思いもよらぬ言葉に、私はそうして全力ダッシュで逃走を図った。
その場から逃れることには成功したけれど、それから毎日のように学園内でリオから求婚されるようになってしまった。
自分を思ってあんな選択をしてくれた貴方が大切だとか、必死に自分を守ってくれた貴方を今度は自分が守りたいとか、離れている間に姉ではなく一人の女性として意識したとか……リオは求婚のたびにとにかく色々な理由を告げる。
生徒たちはすぐに「またやってら」と今までの奇態に対するものと同様のスルースキルを身に付け、これは学園お馴染みの光景になってしまった。
何故リオがこうなったのか全然分からないけどとにかく――――すまん、私はショタコンだ!!
これにて完結!
ここまで読んでくださった読者の皆様に感謝を捧げます。本当にありがとうございました!!
感想、ポイント、レビュー、いただけると完結まで書いてきた作者が更に幸せになります!
感想は一言でもとても嬉しいものです!!
完結後どれほど経っていようと嬉しいので、是非ともよろしくお願いいたします!!
長い物語の結末までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!!
※2022.11.1 以前に完結まで読んでくださった方々へ。
この最終話の前にお話を1話追加しました。ギルバートやエドワード等、攻略対象たちのその後を描いたお話です。お目通しいただけますと幸いです。




