第6話.ショタコンは砂になる
翌日。
体調が回復したリオは、言葉少なく朝食の席についた。私はせっかくのマッシュポテトを食う気も起きず、リオを気にしながらサラダをつつく。
みんな表情が死んでる。
父さんも母さんも食べているようで全然皿の上の朝食は減っていないし、リオもパンを小さく小さくちぎっては、ぼんやりと食んでいる程度。私もサラダをフォークでつついているだけ。
そりゃそうだよな……
リオは多分、今日私たちの誰かに自分の今後について相談するつもりだ。そして私たちは、王宮で暮らすことを勧める。
お互い覚悟が必要なことを控えているからこんなにも顔が死ぬのだ。仕方ない。
そんな状態で、ものすごい時間をかけた朝食。一応完食だ。ほぼ昼食の時間まで引きずっていた。どんなに時間がかかっても食事を残さないのはまあ、私たちが庶民的な家族だからだね。
そしてその昼下がり。
「……お姉ちゃん……少し、おはなししてもいい?」
こちらを見上げて、不安そうに首を少し傾げて訊くリオ。ついに来た、と唾を呑んで頷く。
「……うん、いいよ」
彼の小さな手を引いて、庭の四阿へ向かう。
緑の庭に吹き抜けて私たちの髪を揺らした風に夏の終わりを感じた。波乱万丈だった夏が終わろうとしている。
四阿に並んで座って、風に揺れる木々を見るともなしに見ながら、リオの言葉を待つ。
「……あのね」
やがてリオは、小さな声でそう切り出した。
「僕、ずっと考えてたんだ……」
両膝の上に乗せられた小さな手が、ぎゅっと握り締められる。震えるその手に自分の手をそっと添えて「ゆっくりでいいよ」と優しくさすった。
「……僕、王さまのおはなしをきいて、すごく、悲しかった。だって僕は……お姉ちゃんのほんとうの弟じゃなかったんだ……」
リオの声は、私が触れている手と同じくらいに震えていた。
「でもきっと、お姉ちゃんは、ほんとうの弟だって言ってくれる。お母さんもお父さんもそうだよね」
彼はそう言って、菫色の瞳を不安に揺らしながら隣の私を見上げた。
私たち家族に対してそう思ってくれているリオの信頼が嬉しい。私たちは確かに家族なんだって、そう感じられる。
だから「当たり前でしょ」と笑って、触れていただけの手を強く握った。
「お姉ちゃん、ありがとう……」
リオは安心したように、ここでやっと薄く微笑んだ。いつも笑っている子だから、昨日今日と笑った顔を見られなかっただけで随分久しぶりに感じる。
「……それで、あのね、僕、どうしたらいいのかな? 王さまは僕に、来てほしいって言ってた、よね……? でも、僕……」
「……リオは、どうしたいと思ってるの?」
「…………」
ここでリオが、自ら王宮に行きたいと答えるならそれを後押しするだけだ。
「ぼく、は……」
リオは私から目をそらして俯く。
「……わかんない、だって、こんなの考えたこともないよ」
「うん、そうだね、こんなに突然じゃ困っちゃうよね」
「うん……」
「でも、ゆっくりになっても、決断はしなきゃいけない。それは分かってるよね」
リオはこくんと頷いた。
「でも僕、分からないんだ……だから、お姉ちゃんの意見をききたい」
ここまでは想定内だ。
密やかに息を吸い、吐いて目を閉じる。
目を開いて、気を引き締めた。
リオへの愛情の向け方を間違えるな。思うからこそ、私は彼をここで突き放さなきゃいけないんだ。
「……私はね、リオはすごい魔導士になると思ってる」
私を守ろうとしてひらめいた赤。私の魂を招いてくれたあの紅蓮。いつだってリオの魔法は優しくて、力強かった。
「リオはその力でいつも私を助けてくれたもん。それをもっと鍛えれば、私以外にも沢山の人を助けられる。それはとても尊いことだよ」
「人を、たすける……」
「うん……でもね」
リオが不安げに顔を跳ね上げた。
ごめんね、でも。
「――ジゼット村じゃ、力不足。リオは満足に学べない」
「お、おねえちゃ……」
「いずれ必ず学園に行くのだとしても、それまでにどのくらい学べているかは、大きな差になる」
リオがゆるゆると菫色の目を見開いていく。その中に沢山の感情を見た。一番大きな揺らぎは驚愕の色。多分リオは今、私の言葉を「信じられない」という気持ちで聞いている。
「だから私は……――リオは王宮へ行った方がいいと思う」
「っ……」
「私たちはどんなに離れても家族だよ。でも、だからこそ、そう考えてる」
分かってね、とは言わない。今は分からなくてもいいから。
リオが息を飲んだのが聞こえた。握っている手が更に震える。
「っ……!」
「リオ?」
声にならない息を鋭く漏らしたリオがバッと立ち上がった。そして問いかける私の声に構わず、こちらを振り返ったリオは泣いていた。
「っ、リオ」
「ふ、うっ」
ぼろぼろ涙をこぼすリオは、くしゃりと顔を歪めて、悲しそうに苦しそうに私を睨む。
「っ、お姉ちゃんなんか、お姉ちゃんなんか――きらいだ!!」
「!!」
叫んだリオは泣きながら走り去っていった。きっと私に引き留めてほしかったんだろうなとか、ショックだったんだろうなとか、これでいいんだとか、様々な思いはあったけれど。
「ヌ゜ァ…………」
あまりにも衝撃すぎて砂になった私は動けなかったし、何も考えられなくなってしまった。
数時間後、姿を消した私を探してラタフィアとジェラルディーンがやって来た。
砂になっている(ショックすぎて色々なところが色褪せていた)私を発見した二人は「キャーーッ!!」と女の子らしい悲鳴を上げた。
「ど、どうしたんですの?!」
「生きているわよね?!」
「ア、アァ……」
「駄目そうね」
「やはりあの話通りだったのですね」
私は砂になっているので、二人が話していることはあんまり分からなかった。
「姉と言うか親と言うか……あれだけ愛しているのに、いえ、いるからこそ、ね。貴方がそんな選択をしたことに驚いた」
ジェラルディーンの手が頬に触れる。
「ア゜……」
「つらかったでしょう、アイリーン」
ラタフィアは私の手に触れた。
「相手を思えばこそ。愛情の注ぎ方が大人すぎますわ。それを止めはしません。けれど、そんなに急いで大人になる必要はありませんわ。だから……」
二人がそのままそっと隣に座る。
「私たちの前では、泣いていいんですよ」
「ここにはわたくしたちしかいないもの」
「あ、え……」
途端に、ぶわりと涙が溢れた。
「ふ、うぐ、うっ、あぁぁぁっ!!」
二人に縋りついて思いっきり泣く。
「ほんとは、ほんとはいやだ!! リオにはそばにいてほしい。せいちょうをっ、みまもりたい! うっ、でもっ、えられるかんきょうは、さいだいげんに、ぐすっ、えて、かつようしてほしい!!」
「ええ、そうですわね」
「さみしい、さみしいよぉぉっ!!」
「そうね」
「かなしませちゃった、きらわれたっ、うう、うぁぁぁぁぁんっ!!」
二人は時折相槌を打って、肯定して、私の背を撫で続けてくれた。人払いをしてくれていたのか誰も来なかったから、誰も私の泣き声を聞くことはなかったと思う。
そのまま私は泣き続け、砂から人に戻ったけれど、今度はあんまりにも泣きすぎたからそのまま気絶するように意識を手放してしまった。
目を覚ましたらもう部屋の中で、母さんから、リオが陛下に王宮へ行くという意志を表明したと聞いた。
それで安堵と悲しさの衝撃を再び食らった私はそのまま寝込んだ。
そしてさようならも言えないままジゼット村に帰ることになってしまった。母さんと父さん曰く、リオは一応元気ではあるらしい。
手紙を書く、と言ってくれたそうだ。私には、書いてくれないかもしれない。でも私は書こうと思う。読まれなくても彼を思う気持ちを送り続けたい。
いつかまた、会えることを祈って。




