第5話.ショタコンとリオの話(2)
その夜、リオは熱を出して寝込んだ。私はオリヴィアさんの手を借りて、母さんと一緒に看病した。
熱に浮かされ、不安が溢れるのか、リオは寝付くまでずっと「おねえちゃん、おかあさん、おとうさん」と私たちのことを呼んでいた。
父さんと母さんは始終複雑な顔でいたけれど、リオにうわ言で呼ばれればすぐに答えて手を握っていた。
真夜中になって、リオはやっと穏やかな寝息をたて始めた。相変わらず熱はあるけれど、もう苦しくなさそうだ。安心する。
「もう大丈夫かしらね……」
「ああ、そうだな、よかった」
「……うん」
寝室を出て、母さんと父さんとゆっくりハーブティーを飲む。オリヴィアさんはお茶をいれてくれたあと、気を利かせて部屋を出ていった。多分、近くには控えていてくれていると思う。
「…………アイリーン」
「なに、母さん」
看病の間も時折物言いたげな視線を私に向けていた母さんが、ついに重々しく口を開く。来たか、と思いながら首を傾げてカップをソーサーに戻した。
「私と、アイザックとでね、王宮へ来る途中、沢山話をしたわ」
そっか、と答えて父さんを見る。父さんは私の視線を受けて深く頷いた。
「あの子の、リオの生まれを知っても、あの子は私たちの息子。その思いは今も変わらないし、ずっと変わらないわ」
「私もそうだよ。リオは……リオが望む限り私の弟」
「そうだ。そして、その上で考えた。あの子にとって、何が最良の選択なのか……」
父さんがそう言って少し俯く。そこには父さんの葛藤が見えた。だから私も、二人が結論を口にする前に自分の考えを言うことにする。
「私もね、ずっと考えてた。リオが私の弟で、家族なのは変わらない。でも、その上で、リオが一番幸せな道は何なんだろうって」
「アイリーン……」
「うん……多分、リオは私たちと暮らすことを選ぶと思う。でも、どうなんだろうって少し、少しだけ思う」
ハーブティーは心を落ち着ける作用があるんじゃなかったけ。さっきしっかり飲んだのに、心臓はバクバクだし、胸は苦い汁でいっぱいになったみたいに苦しい。
「リオには魔法の才能があって、勉強もすごくできるしとっても賢いよ。火の精霊に愛された子だから、きっとものすごい魔導士になる」
でも、と膝の上の両拳を握り締めて続ける。
「そうなるには、ジゼット村じゃ環境として不十分だって、分かっちゃう。師匠はすごいし、私も他の同級生よりよっぽど魔法の勉強をした状態で学園に入れた。でもそれは、私が『精霊の愛し子』だったからっていうのも大きい」
リオは火の魔導士で、師匠は水の魔導士だ。どうしたって今後、師匠では足りないところが出てきてしまう。二人はお互いに申し訳なさやもどかしさに悩むことになるだろう。それは、どちらにとってもマイナスで、良くないことだ。
「その点、王宮には魔法の研究機関もあるし、王国最大の図書館もある。学ぶ意欲があれば何もかもが叶えられる場所だよ」
「……アイリーン、貴方は、それでいいの」
「…………どうだろう、わかんない」
視界がぼやける。ほろほろ涙がこぼれ落ちていく。それをぐしぐし拭って顔を上げた。
「幸いにも、今の王宮は政治的なゴタゴタも少なくてそれなりに安全らしいし私の知り合いもいる。陛下も、あれだけ言ってるんだから全力で守ってくれるでしょ」
必要なら陛下でも何でも私が脅してやろうか。リオに不必要な大怪我をさせたり悲しい思いをさせたら、この私が大暴れしてやるぞって。
王領の、民間人を巻き込まないでけぇ原っぱとかを焼け野原にしてやる。あるいは国外へ出てやろうか。有事になったら私が敵に回るんだぞ。最悪だろ。
「住む場所が違ったって私たちは家族だよね」
「それは勿論だ」
「当たり前でしょう」
「うん……なら、きっと大丈夫」
生きていくのに、住む場所によってはしなくていい苦労や、得られる学びがあるって言うのなら、絶対そっちがいい。
リオは寂しがるだろうし、もしかしたらとても怒って私の弟じゃなくなっちゃうかもしれないけど、長い目で見ればきっと、その方がいい。
手紙のやり取りだってできる。私はこのまま学園所属の魔導士になるだろうから、リオが入学したらそこでまた会える。
「リオはきっと、私に相談してくる。そのときに、背中を押してもいいかな……?」
上手く笑えていないと思うけど、無理矢理微笑みを浮かべて二人にそう訊ねる。母さんは泣きそうな顔で私を抱きしめ、父さんは深く深く溜め息を吐いた。
「お前は、姉と言うより親みたいなことを言うなぁ……大人になったな、アイリーン」
「そうかな……でも、リオには、幸せになってほしいから、ね」
「そうね、ええ、そうよね……」
真夜中の静かな家族会議はこうして終わった。今夜は眠れそうにない。
―――――………
翌日、リオは微熱でぼんやりとしていたので大事をとってベッドで過ごすことになった。
私は色々考えがまとまらないので、一人でふらふらと王宮の庭に出た。夏の緑を楽しむための、青々とした庭の中、ぽつんと佇む白い四阿にするりと入り込んで、ぼんやりと座り込む。
「……はぁ」
案の定昨晩は眠れなくて、頭が上手く働かない。でも、昨夜話し合ったことは間違っていないと思う。リオは、傷つくと思うけど。それが、ものすごくつらい。
「正解なんてあるのかなぁ……」
多分、ないんだろうなぁ。
「――ここにいたか」
「……? あ、殿下」
座席の上で体育座りして、両膝に顔を埋めていたので近づいてきた人の気配に気づくのが遅れた。
やって来たのは何か久しぶりな感じがする王太子レオンハルト。台詞的に、私のことを探していたみたい……なんで??
彼はすたすたと四阿に入ってきて、私の向かいに腰を下ろした。
「出発前以来ですね」
「そうだな。少し、立て込んでいて会いに来られなかったんだ。お前と、お前の弟が無事に戻ってきて良かった」
「ありがとうございます」
弟。そう言えば、リオが王宮に迎え入れられることになったら、レオンハルトとアーノルドの異母弟になるんだよね。
精神的な姉の座は絶ッッッッッッ対譲らないけど、制度上はそうなるんだって思うと少し切ない。
だからレオンハルトが、意識的か無意識的かは知らないけど「お前の弟」って言ってくれたのが嬉しかった。
「何か、ご用事でしたか?」
「いや、お前と少し話をしたかった」
「……話?」
私が問い返すと、レオンハルトは鮮やかな翠玉の瞳を斜め下に向けて、金の髪をいささか乱暴に掻いた。
「父上からの話があって、悩んでいるだろうと思った」
「……なるほど」
色々なことが頭の中を巡っていて、良い返しができなかった私の淡白な返答に、レオンハルトは眉を若干ハの字にした。ちょっと申し訳ない。
「俺の立場では、お前に何と言葉をかけてやればいいのか分からない。だが、お前は弟を一等大切にしているようだから、後悔のないように、とだけ言っておく」
正面から翠玉の瞳が私を見据える。随分と、立派になったなぁと親戚のおばさんみたいな感想が浮かんで消えていった。
「……殿下、一つだけ訊いても構いませんか?」
「ああ、いいぞ」
「もしもリオが貴方の弟になったら、彼を大切にして、守ってくれますか?」
あまりにも真っ直ぐな目で私の質問を待つものだから、気まずくなって、言いながら目をそらしてしまった。
レオンハルトが息を飲む微かな音が、緑の庭の草木を柔らかく揺らす風音に紛れて耳に届く。そして、しばらくの沈黙。
「アイリーン……」
絞り出すように私の名前を呼んで、レオンハルトは再び黙する。けれどやがて、決意したように口を開いた。
「……勿論だ。当たり前だろう、俺の弟である前に――友であるお前の弟なのだから」
ハッとして顔を上げ、レオンハルトを見る。彼はとても穏やかな顔をしていた。そういう表情をすると陛下とよく似ているなと、そう感じた。
「殿下……」
色々な思いが頭を駆け巡って、上手く言葉が出てこない。でも、これだけは伝えなきゃ。
「ありがとう、ございますっ……」
声が震えたけど、そう言ってレオンハルトに深く頭を下げた。
良かった、これなら大丈夫だ。初めて心からそう思えた。その意味も含めての感謝だった。




