第3話.ショタコンと邪神ファンの結末
その日の夕方、私たちの両親がジゼット村から王宮へやって来た。リオの今後を決めるのに必要だからと陛下によって招かれたそうだ。
リオが誘拐され、私がその救出に向かって……師匠から情報を伝えられていたとは言え、二人にはそりゃあもう不安な思いをさせたことだろう。
出会い頭にリオもろともぎゅっと抱きしめられ、それからちょっぴり叱られて、頭を撫でられた。無事で良かった、と母さんは泣いていた。
リオに関する話は、陛下とリオ本人と両親、そして私とで明日されることになった。家族の問題だから師匠は参加しないってさ。
王侯貴族の多い学園に通い、貴族の友人がいて慣れている私と違って、田舎村から出た経験のないド庶民な両親は、王宮の空気にそわっそわしていた。
こんなんで、明日陛下と同じ部屋で話ができるんだろうか。
そして夜が始まるくらいの時間に、ずっと昏睡状態だったナーシサスが目を覚ましたと連絡があった。
その知らせを運んできたのはアーノルドとギルバートだった。
流石に緊張して唇をむぎゅっと引き結んだ私に二人は「会うか否か」と訊いた。即座に「会う」と答えて一旦部屋に戻る。
「……ふぅ」
深呼吸。リオはすでに眠りについているので(やっぱりまだ疲れているみたい)オリヴィアさんにお願いして、ナーシサスに対面する覚悟を決める。
邪神が消えたこと分かってる? って訊いてこよう。邪神の消滅がナーシサスに伝わっているなら、他の邪神ファンにも伝わっているんじゃないかな。そしたら安心度がグッと上がる。
邪神ロストショック。是非伝わっていてほしい。てめぇらの信じた神は現代日本に渡ったんだ。もうこの世界にはいないんだよ。
よし、と両頬をパシッと両手で挟んだところで扉がノックされた。オリヴィアさんが扉越しに確認を一言交わしてから開けてくれる。
「えっ、あっ、師匠」
まず部屋に入ってきたのはまさかの師匠だった。師匠はひげをもしゃりと触りながら青い目を細めて笑う。
「こんばんは、じゃ。アイリーン、わしも付き添うでの」
「あ、こんばんは。それは心強いです」
その後に続いて入ってきたアーノルドとギルバートも表情を和らげて口を開く。
「我々もいますからね、アイリーン」
「寮長……」
「君に危害は加えさせないよ」
「ありがとうございます」
いただける助けはありがたくいただいておこう。感謝の意を込めて頭を下げる。
「さあ行こうか」
「……はい!」
―――――………
王宮の地下牢って「ザ・地下牢」って感じだなぁ。石造りの階段を下りて、初めて踏み込んだ地下牢を見てそう思う。
魔導具の灯りで薄ぼんやりと照らされたここは一時的な収容場所だからか、人が入っている牢は一つしかない――その一つがナーシサスの牢だ。
そこの鉄格子の向かいの壁に、寄り掛かって牢の中をじっと見つめている青年がいた。
魔導具の灯りに照らされた精悍な横顔には見覚えがあった。そこで彼が私たちの足音に気づいて、透石膏の瞳がこちらを向いた。
火寮長エドワードだった。こんなところで何してんの。貴族令息だよね貴方。騎士団は人員不足なわけ??
「来たか。今は大人しいが、貴方を見たらどうなるか分からない。警戒は怠らないように」
いつもの馬鹿みたいにデカイ声じゃなくて落ち着いた声音だったので驚いた。私の名前を呼ばないのはナーシサスを意識しての彼なりの配慮かな。なるほどね、と思ったので無言で頷いて答えた。
背筋を伸ばして、牢の前に進み出る。
鉄格子の向こう側は薄暗い。そこに、魔力封じの足枷と手枷をされたナーシサスが座っていた。
深緑の長髪はボサボサで、ほんの数日なのに随分とやつれたなという印象だ。私の気配に、俯いていた顔がゆっくりと持ち上がる。
黒く濁った目が私を捉えた。直後、その目はカッと見開かれ、白目が血走る。
勢いよく立ち上がったナーシサスがガシャンッと金属がぶつかり合う音を立てて鉄格子に張り付いた。背後でアーノルドたちが動いたのを手で制する。
「愛し子っ!! 我が、我が主っ、我が主をどこへやった?!」
そしてナーシサスは唾を飛ばしながらそんなことを叫んだ。その目は私への憎悪に満ちていたけれど、その奥に隠しきれない怯えや絶望の色が見える。
それで色々と察して、囁くように息を吐いた。
「何のこと?」
「とぼけるな!! 我が主はどこだ?! 感じられない……主が与えてくださった力を感じられないぃぃっ!!」
「…………」
これは邪神の闇の種のことだよね。ナーシサスは錯乱したように騒いでいるけれども、これは逆に言えばこちらの裏をかくための嘘なんかを上手につけないってことだろうから、むしろ都合がいい。
「そんなの感じられないならまた貰えばいいじゃん」
ま、そうなってもまた私が潰すけどね。
そう言うとナーシサスはガバッとこちらを睨み付けて、鉄格子をギリギリときつく握り締めた。
「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなっ!! 貴様、分かっているんだろう愛し子!!」
「何を?」
「っ、我が主は!! どこにおられるんだっ?! 貴様がやったのだろう!! 許さんぞ許さんぞ許さんぞっ!!」
騒ぐナーシサスを無視してゆるりと目を細める。悪役面になってるかも。
それにしても良かったや。邪神ロストショックはちゃんとファンにも伝わったんだね。同じように錯乱して暴れてくれる邪神ファンが他にも出れば確定だ。
うぅぅぅん、嬉しくてにやけそう。今の私、怖いものなしじゃん、ふふふ。
カツン、と一歩進む。背後でギルバートが「アイリーン」と咎めるような声を上げたけど無視する。こいつには散々困らされたから、少しくらいやり返させてほしい。私は聖人じゃないんだ。
「邪神がどうなったか、知りたい?」
「っ、やはり貴様か!! 我が主はどこだというのだ、言え、言えぇぇぇっ!!」
ナーシサスの必死さに、ふふ、と微かな笑みがついつい漏れてしまった。
「異世界って分かる? ダグラス先生」
異世界の概念あるのかなぁと思いつつ訊いてみる。案の定「ポカン」という顔をしたナーシサスに、伝わんなかったことを悟る。
「違う世界ってこと。この世界とは交わることがない、ずーーっと遠くの世界」
そう言い換えたことで伝わったのか、目を見開いたナーシサスの喉がヒュッと音を立てた。
「ま、まさか……そんな、有り得ない、有り得ない……」
「有り得ちゃったんだよなぁ、これが」
「う、うそだ、うそだ」
「嘘じゃないよ。ちゃんと分かってるんでしょ。邪神はもういないって」
「うっ、ぐ、そんな、いやだ、あぁ、わがあるじ、あるじ、うそだっ、あるじ、あぁぁ、ぅ、ぐぁぁぁっ!!」
「わっ」
発狂したように叫んで、頭を鉄格子に叩きつけ始めた。うわっと驚いていたらギルバートに腕を引かれる。振り返ると彼は物凄く渋い顔をしていた。
「消滅とだけ聞いていましたがそんなことがあったのですか」
「あ、はいそうです」
「まさかそんなことが有り得るとはのう」
師匠がナーシサスに視線を向けながらぼんやり呟いた。その後、その青い目がゆるゆると見開かれ、そして溜め息混じりの言葉が漏れる。
「なんじゃこやつ、魔眼持ちではないか。もったいないのう……」
「魔眼? それは……」
「アイリーンのものとは少し違うようじゃが……」
師匠はエドワードの疑問の声に答えて更に目を凝らす。
「うむ、魔力の属性を見るもののようじゃな。残滓からですら属性を判断できそうじゃ。使い方を間違えなければよい魔導士になったろうにのう……」
「……残滓」
呟いたギルバートが、次の瞬間にはハッとしたような顔をしてこちらを見た。
「アイリーン、入学初日のことを覚えていますか」
「ええと、学園長のところで『魔水晶』に触ったりしたあれですか……?」
「そう、それです。あの時、学園長室全体に貴方の魔力が銀の光として溢れた。それは純然たる無属性」
同じようにハッとしたアーノルドが「そう言えば」と続ける。
「あの直後に、水寮の寮監としてナーシサス・ダグラスがアイリーンの制服を届けに来た……まさかその時に?」
そう言えばそうだったや。まさかそんなところでバレるなんて思わなかった。
相手にも魔眼持ちがいるなんてこと考えもしなかった。だって魔眼はレアだって皆言うから……
入学者の中に『精霊の愛し子』がいると知って新任として学園に入り、入学式に来なかった不審な一人の魔力の残滓を魔眼で確認。そういう流れか。
あーーっ、もう!!
初日から呼び出したりしないで後日こっそり呼び出すとかで良かったじゃん。今更言っても仕方ないけど、もっとやりようがあったよね学園長!!
溜め息。ナーシサスは相変わらず牢の中で騒いでいる。
「とにかく上に戻ろう。これ以上得るものもなさそうだから」
「そうですね」
「ボサッとするでない。行くぞ、アイリーン」
師匠に手を引かれて歩き出す。エドワードは入れ替りでやってきた兵士だか騎士だかに見張りを代わり、一緒に戻ることになった。
「なんだかなぁ……」
「……そう言えば、サラサッタ・ドロマミュールですが」
「彼女も目が覚めたんですか?」
サラサッタも邪神ロストショックのせいか昏睡状態だった。利用されただけの可哀想な子だから、修道院送りくらいの処分にならないかなと思っている。
「……いいえ。魔力の源に随分と無茶なことをされたようで、当分、あるいは一生目覚めないかと」
「…………そう、ですか」
ギルバートは「残念ですが」と沈黙して視線を前に戻した。
サラサッタは高飛車令嬢で、嫌なやつだったけれど、世界から悪役令嬢の役を押し付けられたかのような哀れなところもあったし……ようは、ただの性格の悪い女の子だった。
利用されて変になっちゃっただけで、そんな一生か長期の昏睡なんて、重たい罰が必要なのかな。
少しだけ、複雑だった。
「アイリーン」
「……師匠」
「仕方のないことじゃ。あまり、気負うでないぞ」
「…………はい」
師匠に優しく背を撫でられる。
頷いたけど、しばらくは頭のすみに彼女のことが浮かんで離れないだろうなと思った。
……ノワールは私の傷、治したよね。
そういう精霊パワー的治療、『精霊の愛し子』である私にもできないかな。
邪神の力が無理矢理入り込んで、そして抜けた穴のせいで魔力の源が傷ついて目覚められないんだから、邪神と反対の精霊の力に近い私の力で何とかならない??
これは慈善事業じゃない。生きて罪を償ってほしいからやるのだ。修道院にブチ込まれてその性格直してこいこの野郎。
憎んでた私に救われたらさぞかし悔しかろうふははははは!!
後日王宮の図書館で勉強したり、ノワールに訊いたりしてみよう、と決めたのであった。




