第2話.ショタコンの友と成長と
王国軍と共に、数日かけて王宮に帰還した私たちは、速攻国王陛下に謁見することになった。
休ませろぉぉぉっ!!
それなりの期間劣悪な環境に置かれていた小さなリオが、数日間の行軍で疲れきっているでしょうがッ!!
そんな私の怒り。勿論声には出せないので心の中で叫ぶにとどめる。声に出せたら良いけど、相手はこの国で一番偉い人だからな。
「皆、よく戻った。その子も……うむ、無事なようだな。負傷者はすぐに医官を手配するゆえ手当てを受けるように」
リオは疲労もあるだろうけど、相手が国王陛下ということで緊張しているのか、じっと私の手を握って離れない。
陛下の緑瑪瑙の瞳は、救出作戦に参加した他の人に話しかけている間も時折ちらちらとリオに向けられていた。それも気になるみたいで、リオは落ち着かなそうにしている。
様子からして、リオに彼の生まれの話をするのは明日以降になるのかな。とにもかくにも身体を休めてほしいからそれなら良かった。
陛下からの言葉は端的で、まあ簡単に言い換えれば「お疲れ様、大事な話は後日するから今日は休んでねー」みたいな内容だった。これだけのために帰りたてほやほやな私たちを呼びつけるんじゃねえ。
与えられた部屋へ行くと即風呂、からの手当てだった。湯船につかれる文化で良かったと思う。乙ゲー世界最高。
出発前も私の世話をしてくれていたオリヴィアさんが今回も付くことになったみたいで「ご無事で良かった」と抱きしめられた。ふんわり柔らかくて、いい匂いがして少しそわそわした。
リオはナーシサスに切られた二の腕に注意しながらお風呂につけられて、ふにゃ~っととろけていたらしい。そんな顔も見たいけど、ショタコンだからって弟の風呂を覗くのはまずい、と理性で堪えた。
その後ご飯を食べて(リオにはお腹に優しいものを出してもらった)やっと人心地ついた。リオはすぐにこっくりこっくり船をこぎ始めたので、そっと抱きかかえてベッドに寝かせた。
その傍らに座って小さな頭を撫でる。
帰還のための行軍中も何度も繰り返し思ったけど、リオを取り戻せて本当に良かった。悲しい別れはあったけど、私の最愛がこうして生きているから乗り越えられる。
「……よかった」
呟いてすぐ、不意にぶわっと涙が溢れ出した。この瞬間まで緊張していた糸が、もう安心していいんだって感じてついに切れたみたい。
簡単には止まりそうにないから、流れるままにして目を閉じ、リオの頭を撫で続ける。そのぬくもりに更に涙腺が熱くなるけれど手は止めない。
「よかったぁ……」
やっと安心した。
そんな安心感に満たされて、ほろほろ泣いた。
―――――………
目蓋を白い朝日がくすぐって、眩しいなぁって目を開ける。そして何度か瞬きを繰り返し、意識が明瞭になって気づいた。
寝落ちしてた。
でも、座ってたはずがちゃんとリオの隣に寝かされている。オ、オリヴィアさんに重労働を強いてしまったのだろうか……
リオはまだ健やかに眠っている。
起こさないようにそろりと身を起こしてベッドから下りた。
昨日寝落ちしたのは確か夕方頃だったから結構寝たな。もう元気いっぱいだ。
「ふぁぁ……おなかすいた」
あくび、同時に腹の虫が盛大に空腹を訴えた。朝ごはんは何だろう。マッシュポテトはあるだろうか。
「君の腹の虫はいつも元気だな」
「ぅ、っわ」
いきなり隣から声をかけられて飛び上がりつつ、リオを起こさないように驚きの声を手で無理矢理押さえ込む。そのまま声の主を睨んだ。
「……心臓飛び出るかと思った。おはよう」
「ははは、おはよう。君、いつも挨拶するところは律儀だよな」
「まあね」
隣にいたのは黒紫水晶の長髪をふわふわ宙に漂わせ、黄金の双眸を朝日に輝かせた闇の精霊ノワールだった。
金環の耳飾りを揺らしながら、彼は「背中の調子はどうだ?」と小首を傾げる。
「塞がってるって。あの時は考えてる余裕なかったからあれだったけど、塞いでくれたのノワールだよね?」
「ああ、そうだ。気づいたか、流石俺の愛し子だな」
「貴方のではない。傷の辺りに残ってた魔力でね」
「……そろそろ頷いてくれてもいいと思うんだがなぁ。君、俺のことが特別嫌いじゃないだろう?」
そう言ったノワールが手を伸ばしてきて頬に触れる。手首の金環が触れ合って玲瓏とした音を立てて耳に心地好い。
「まあ、最初に比べればね」
だってこいつ、最初は不法侵入系セクハラ不審者だったからね? 途中からマシになったけれど、絆されて頷いたら神隠しルートだって知ってるんだからな……む、精霊だから精霊隠し……? いや、とにかくニュアンスが伝われば何でもいいよ。
「でもここには、私の大切なものがいっぱいあるから」
そう答えると、ノワールは曖昧な表情をして私の髪に指を通す。そう言えば切られたところを揃えてもらうんだったと思い出す。
ふと、ノワールが視線を上げてこちらを真っ直ぐ見た。結構な距離で目が合う。
黄金の瞳が切なげな色を帯びていた。そのくせ瞳孔は獲物を狙う様にきゅっと縦に細くて、妖しい魔性の気配に絡め取られそうだった。
「……っふ」
数秒の沈黙の後、不意に小さく微笑したノワール。人ならざるもの特有の気配が霧散して、無意識に詰めていた息がすっと楽になる。
「そうだよな、君という人の子は」
「え……」
「分かっている、君が頷くことはない……だが、だからこそ俺は君を……いや、これはよそう、詮無いことだ」
「……?」
「分からなくていい。君はそのくらい鈍いのがお似合いだ」
「……悪口?」
「褒めている」
「ううん……?」
よく分からん。でも、何かノワールは自分の中で納得したみたいで、首を傾げる私を見てくすくす笑っている。
やがて満足したのか、彼は眩しそうに目を細めて「じゃあな」と姿を消した。何だったんだろう。
「アイリーン様? もしやお目覚めでいらっしゃいますか?」
そのまま、ぼんやり窓辺で外を眺めていたら寝室の外からオリヴィアさんの声がした。話し声が聞こえたかな。はーい、と小声で答えて扉を開けた。
―――――………
昼過ぎ、オリヴィアさんに先触れ等を頼んで、リオと一緒にラタフィアとジェラルディーンのところへ行くことになった。
リオはザハード公爵邸滞在期間に二人とは幾度も顔をあわせ、会話をしているので緊張はないようだった。それどころか「心配かけちゃったから、あやまりたい」と言う。
んんんぅ……よいこ極まりねぇ……
込み上げる欲求のままに頭を撫で撫でしておいた。王宮の高級なシャンプーの良い香りがふんわり漂う。
これすごいな。流石王宮の備品。リオのうるつやキューティクルの維持と向上に効きまくりそうだ。
出発前に二人に会った薔薇園に足を踏み入れる。相変わらず爽やかな薔薇のいい香りがする場所だ。
そんな緑と紅、白の中に鮮やかな青と薄紫が見えて、ハッと顔を上げた直後には駆け寄ってきた二人にぎゅっと抱きしめられていた。
「アイリーンッ……」
「っ、良かった……」
「ラタ、ジェラルディーン……ただいま」
二人は黙ったまま私に抱きついていたけれど、しばらくしてそっと離れた。目元がほんのちょっぴり赤い。
改めて「ただいま」と告げる。二人とも色々言いたいことがあるのか、眉をハの字にして私をじっと上から下まで見つめているので、こちらも見つめ返すことに。
ジェラルディーンが薄紫を着ているのは新鮮だった。いつも紅色の印象だからね。でもとても似合っている。
ラタフィアは落ち着いた印象の青のドレスで、いつもは下ろしている栗色の髪をふんわりと結い上げてあった。可愛い。
やがて、言いたいことがまとまったのかジェラルディーンが口を開いた。
「……おかえりなさい。貴方が、そしてリオ、貴方も……無事で本当に良かった」
「うん、ありがとう」
「心配をかけて、ごめんなさい」
「いいの、謝らないでちょうだい。無事に戻ってきたのだから、それでいいのよ」
リオの前にしゃがみこんだジェラルディーンは、彼のまろい頬を優しく撫でてそう言い微笑んだ。こく、とリオが頷いたのを確認して立ち上がる。
「信じていましたわ。貴方たちなら大丈夫だって」
ラタフィアはそう言って私の頬に手を伸ばしてきた。その手にすり、と頬を寄せると彼女の淑やかな笑みが深まる。
「何か、沢山のことが起きたのですね。アイリーン、貴方、いっそう綺麗になっていましてよ」
「え、そう? へへへ」
「ええ、長い年月を経た宝石の煌めきにも似た……少し、大人になりましたわね」
照れから出たふざけた笑みがその言葉で引っ込む。驚きで目を見開いちゃって、ジェラルディーンに「分かりやすすぎるところは簡単には直らないわね」と言われてしまった。
「……ラタ、すごいね」
「ふふふ、それほどでも」
「なんか、嬉しい。ありがとう」
その実、物凄く嬉しい。邪神の領域で親友に再会して、彼女だけが大人になってしまった事実に少し打ちのめされたから。
彼女との別れを経て、自分の中で確かに変わったものがあるんだと他人に教えてもらって初めて、自分の変化を実感できた。
だから、ありがとう、と囁くように繰り返す。ラタフィアは眩しいものを見るように青風信子石の目を細めて「どういたしまして」と頷いた。
「できる範囲で構わないから、話を聞かせてちょうだい」
「ええ、貴方がどんな経験をしてきたのか教えてくださいな」
「うん、分かった。リオは大丈夫?」
「うん! お姉ちゃんの格好良かったところ、いっぱいお話しするよ!」
「んぬぅっ……」
かわいい……かわいい……
先を歩く友人二人の後を、リオの手を引いて歩きながら、その眩しい景色を目に、心に、そっと刻み込む。
私も、ちゃんと大人になれるよ。この世界の素敵な友人たちに手を引かれて、ちょっとずつでも進むからね。
見ててよ、とは言えないけど大丈夫。彼女なら分かってくれるはずだ。だから迷わず進める。
何も怖いことはない。
未来は、輝いているはずだから。




