第1話.ショタコンと夜明け
リオの手を引いて深い闇を抜ける。そこにはもう邪神が発していた気持ちの悪い気配はないけれど、暗い中に長居はしたくないから早足で階段を上った。
「夜明けだ……」
黒の森に満ちていた深い霧は邪神とは何の関係もなかったみたいで、相変わらず黒い木々をぼんやりと浮かび上がらせるように満ち溢れていた。
でもその向こうに、鮮やかに、青々とした夜明けの空が見える。突入前は夜になろうとしている夕暮れの終わりみたいな時間だったから、あれから随分時間が経ったんだなと思った。
でもさ、変な話だけど、こういうのって普通、外に出たら眩しい朝日が迎えてくれる、とかそういうのなんじゃないの。最後の戦いを終えた主人公たちの目に、眩しい朝の白い光が差すやつ。そのままエンディングムービーが始まるあれね。
まあ、夜明けっていうのも何かいい感じだけど……え? 突入が夕方だったから仕方ないって? おいおい、そりゃあ悲しすぎるだろマイケル……そうだね、うん。現実は時に非情である。
「アイリーン!!」
「あっ」
よっこらせ、と封殿の出入口の石の扉を押し開けたら、勝手に閉じていたそれを何とかこじ開けようとずーーーっと奮闘していたらしい学園長たちと合流した。
何でも、サラサッタを拘束して、三人の兵士に託してここまで来たら封殿の扉がガッチリ閉まっていて突入できなかったとのこと。
説明を聞きつつ、色々あったから彼らのことを普通に忘れてしまっていた私は、若干申し訳ない気持ちで頷いていた。
ごめん、悪気はないのよ。ショタ関係以外には記憶力のないショタコンだから……
最後の戦いに協力できなくてごめん、と謝る彼らに邪神の消滅を伝えると全員が喜んでくれた。アーノルド、ギルバート、メルキオールの三人は特にそうで「もう怯えて暮らさなくて良くなるね」と私の生活が変わることについても喜んでくれた。
「これからは公に君のこと研究できるってわけでしょ。付き合ってもらうから、そのつもりで」
「あらあらメルキオール。愛し子の性質に興味があるのは貴方だけではないのよ。独り占めはしないで頂戴ね」
「はわわ」
二人とも学術的興味からくる台詞だろうとは分かってるけど、特に学園長ね、貴方みたいな美女にそんなこと言われると語彙力溶けちゃう。
まあ私も自分に興味津々だけどな!!
だって自分のことなのに『精霊の愛し子』のことって全然分からないんだもん。
バイルダート王国における魔法の最高学府にいるんだから、公にしてももう心臓を狙われないならどんどん公にして、教授や先生たちに色々調べてもらいたい。
そして自分もそこに参加して、自分ができることをどんどん増やしたいよ。
ノワールもいるしね、人間には分からないことも教えてもらえるだろう。
……とは言え、すぐに心臓を狙われなくなるってことは悲しいけどまあ、ないだろうから、公にするのは邪神ファンの動向を窺ってからになるかな。
邪神ロストショック的なのが消滅した邪神の種を通じてファンに通じるのが一番いいんだろうけどどうだろう。
ちら、とノワールが闇の縄を掛けて引きずっているナーシサスを見る。
邪神ロストショックが伝わったか、目を覚ましたら訊いてみよう。
信仰するものが突然消えた相手に対して鬼畜かな。いや、こちとら心臓を狙われる生活を半年以上強いられたんだ、それくらい鬼畜でも何でもないわ。
それより邪神ロストショックで発狂しないかが心配だ。邪神ファンの今後を教えてほしいから発狂はその後にしてね、先生。
「僕も早くがくえんに行きたいな……」
歩きながらやいやい言い合っているメルキオールと学園長を見ていたリオがポツリとそう呟いた。
さっきまで「無事でよかった」と仲間たちに散々頭を撫でられていたので金の髪がポサッと乱れている。可愛い。
「魔法の勉強、したい?」
「うん。いっぱい勉強して、つよくなるんだ」
「そっか……」
私の手を柔く握って、こちらを見上げるリオ。その胸元で煌めいている金紅石入水晶は、私の胸元に揺れる菫色の石と一緒に、邪神の領域にいた私の魂をこちらに引き戻してくれた大切な“繋がり”である。
エタンセルがリオに伝えて遺したのはカローレの秘術。それは彷徨う魂を現世に導き、招く、灯火のような導きの火の魔法だった。
道すがらノワールに詳しく聞いたところによると、ふらふらしている魂を正しい道に導いたり、死にかけの身体に招いたりする魔法らしい。
カローレ家は上手な領地経営の他にこの魔法でも一財産築いたらしく、カローレ家に対する妬み嫉みを加速させてしまった魔法でもあるとか。
だから、ザハード公爵家でリオが気になるって伝えたときには教えたがらなかったんだろう、とノワールは言っていた。
エタンセルの後悔の一つだったんだろうね。
それでも彼が最期にリオにこの魔法を教えたのは、私の魂が邪神の領域に呑まれて帰れなくなるだろうと想定したからだろうな。
彼が大切に想ったカローレの遺児であるリオが大切に思ってくれている私。それを失ったらリオが悲しむと思ったんじゃないかな。
ありがとう、と濃霧を駆け抜ける風に乗せて呟く。
消えてしまった精霊はどこへ行くのだろうか。ノワールに訊いても教えてくれないだろうからこの疑問は胸に秘める。
「……帰ったら、リオにしなきゃいけない大事なお話があるんだ」
「大事なおはなし……?」
「うん。とっても大事」
「わかった」
「いい子だね、リオ。でもその前に、怪我の手当てをして、ご飯を食べてお風呂に入って、お休みしてからにしようね」
「うん!」
どうしよう。
色々考えてはいたけど今になってめちゃめちゃ緊張してきた。
リオはどんな選択をするだろう。
その選択を知って、私は何を感じて何を思うんだろうか。
それはその瞬間まで分かりそうにない。
でも、リオが自分のことを決めるその瞬間まで、ちゃんと、いいお姉ちゃんでいなきゃ……
夜が明けて、新しい朝が来る。
私の、私たちの長い戦いは去っていく夜と共に終わった。
問題は山積みだけど、何とかなるよね。
「そう言えば学園長。荒野で待機している王国軍はどうしたのでしょうか」
「あらっ!」
ふとギルバートが言ったことに学園長が慌てたように目を丸くした。
「……そう言えば、邪神信徒たちの一斉捕縛のために待機させていたね」
「黒の森に信徒はナーシサス・ダグラス以外いなかったし、そのまま帰還ってことになるね……」
「私ったらすっかり忘れていたわ……声をかけて一緒に帰還しましょう」
「濁流の時点で何かが起きたと気づいてはいるでしょうが命令をする間もなく我々が動いてしまいましたからね……」
「ギルの言う通りだね、彼らには悪いことをした……」
「仕方ないよ。そもそも信徒が多数潜伏してるっていうのも確証なかったし、彼らも戦果無しは覚悟の上でしょ」
私もすっかり忘れていた。目の前のことに夢中で色々スッコ抜けていたみたい。
そうして黒の森を出た私たちは、荒野の端で待機していた王国軍と合流した。サラサッタを拘束していた三人の兵士はすでに彼らと合流済みで、偉いなぁ流石精鋭と思った。
乗ってきたチィパスス(馬に似た魔生生物)たちは濁流にビビって逃げてしまったみたいだったので、私たちは王国軍の荷車的なものに乗せてもらったり、歩いたりして王都を目指した。
勇者の帰還みたいにビシッとは決まらないものだなぁと思ったけど、まあ、私らしくていいよね!!




