第22話.ショタコンは再会する
水晶柱に大きなヒビが入った直後、ナーシサスの横に何か渦を巻く闇色が見えた気がしたけれど、それを気にするどころじゃないことが起こった。
薄青く淡い光を放っていた水晶柱から光が消えて、その内側に赤黒い靄が膨れ上がる様に現れたのだ。
しかもそれはヒビから勢いよく漏れ出して楔の間に溜まっていく。有毒ガスか何かだったら死ぬやつじゃんか。
「エタンセルッ――」
リオを、と言おうとしたところで水晶柱のヒビがビシッと広がり、そこから更に勢いよく溢れた赤黒い靄が私に襲いかかってきた。
腕を振り回しても払えないそれになすすべもなく飲み込まれる私の耳に、リオの悲鳴と「アイリーン!」と呼ぶ誰かの声が届く。
この声って、もしかして。
―――――………
「……ん?」
靄に呑み込まれて、何が起こるか物凄く警戒しながら目を閉じたんだけど、あんまりにも周りが静まり返ったから目を開けてみた。そうしたらそこは全く何もない真っ暗な空間だった。
ここどこだろう。
さっきまで楔の間にいたけど、多分ここ違う場所だよな。もしや転移系の魔法を使われたか。でもあの靄は邪神パワーに満ち溢れていただけで、魔法行使の気配はしなかったしなぁ……
「――――」
「えっ……?」
その時突然背後から呼び掛けられて、ビックリした。こんな暗闇に自分以外の誰かがいるとは思わなかったし、それ以上に驚きなのは……――
聞き取った瞬間に、認識する間も与えられずにぼやけるその呼び名。かろうじて拾える音からして多分……前世の私の名前だ。
それに、とても懐かしい声だった。
まさかそんなこと、と信じがたく思いながら振り返る。
「は……」
肩紐が伸びてくたびれた印象がすごいキャミソールに緩い短パン。寝乱れた長い髪は少しパサついて、目の下には隈がうっすら浮いている。
不健康そうな痩身は昔っから変わらないっけ。話すときは楽しそうにちょっと赤らむ頬も、気だるげで曖昧な微笑みも、あの頃から変わらない。
「あ、えっ、あ……」
名前が出てこなくて、何度かはくりと空気を吐く。唇がわななくばっかりで、喉は結局意味ある音を放たなかった。
どうして、なんで。あんなに呼び合った親友の名前なのに、なんで出てこないんだろう。
「ふ、老けたね……??」
それで結局、苦笑混じりにそう言うしかなくって。
「んははっ! 第一声がそれかよ。やっぱり――――なんだね、あんた」
ああ、そのちょっと癖のある笑い方。
間違いない。賢くて面白くて、犯罪臭のするショタコンだった、私の親友だ。
「そう言うあんたは『月パラ』のヒロインになってんじゃん。ほんと笑える」
「笑い事じゃあないよ! すんごく大変だったんだから……って、そういうそっちは何でここに?」
親友揃って異世界転生とかある? でも元の容姿のまま老けてるってことは死んでないのでは。どういうことなんだろ。
「ん、あぁ……あんたが日本で死んでから、たまに見る夢があったんだけど、それがどうも異世界と繋がってるみたいなんだ」
「え、は? なにそれ……無線遊び極めて他所の国と通信するだけじゃなくて異世界とも交信してたの? 次は宇宙人か??」
「世界線的には宇宙人との交信が先じゃない? というか、あんたに会ってやっと整理がついたんだけど、この感じからして私『月パラ』で言うところの邪神の視点なんだよね……」
「はーーっ?!」
親友は肩をすくめて「意味分かんないよね」と笑った。ダウナーで大人の色気に満ちたかすれた笑い方だった。転生を挟んでも生きた年数はさして変わんないはずなのに、なんか、ずるい。私にはそんな大人の色気身に付かなかったんですが。
「ま、世の中の全ては偶然の連続に見えるだけの必然で回ってるからさ、何か意味があるんだろうとは思ってた。それで、今これでしょ?」
「……うん、ちょっとよく分かんないけど」
「あんたが死んでさ、流石の私も堪えたわけ。その気持ちと、あんたの中にあった記憶とで、縁でも結んじゃったんじゃないかと思う」
「出た、その道のプロ風味の考察」
「知識だけは無駄にあるからね。それに現状はそうとでも言わないと説明がつかない非科学的なものだし」
親友が邪神かぁ……ヤベェ、誰も敵わないだろ、一瞬で世界征服されて終わりだ。しかも暴力じゃなく知力で。
でも口振りからして日常生活送る中で夜に見る夢として邪神やってた感じだよね? え、副業??
ぐるぐる考えてたら「んはっ、久しぶりに見たその考え事百面相。ほんと面白いなあんた」なんて笑われる。失礼な。副業:邪神のくせに。
「あ、そうだ。さっきやっとこの夢の中で動けるようになったから捕まえたんだけど見てよ」
そう言って親友は左手に無造作に掴んでいた黒いものをこっちへ差し出した。近づいて覗き込み、ざわっとしてビョッと飛び退く。
「おお、流石ヒロイン。分かるんだ」
「あのね……はぁ、うん、分かるよ。それが邪神本体でしょ」
親友が掴んでいた黒いものは、子猫みたいな大きさで、短い足が七本生えてて、小さな目が五つキョロキョロする、不思議な姿をしていた。
私の本能を逆撫でする不快感と、命の危険を訴える警戒心。これは封殿に入ってすぐに濃密に感じた邪神の気配そのもの。すごく小さいけど。
ここが異世界と繋がる、現世と幽世の狭間みたいな場所ならば、封じられて眠っているはずの邪神本体がいることもあまり変じゃない。
……それを片手で雑に捕まえてる私の親友よ。えげつねぇなほんと。
「……じゃあ私、向こうじゃ今気絶してるとかなのかな。ここは魂だけで来てる感じみたいな?」
「だろうね……うん、だとしたらあんたはもう完全にそっちの人間なんだな」
「え?」
「いや、気にしないで。今考えたいのはこれのことだよ」
親友はそう言って短い足がうごうごしている邪神の腹を指先でくすぐる。邪神は小さく「ヂュィーーッ!」と抗議の声を上げていた。
「……あんたのことだから、ヒロインの役割をガン無視して、ゲームシナリオなんて存在しないような、あんたオリジナルの世界を描いたことだろうと思う」
「よくお分かりで」
「んははっ、親友だからね……で、今あんたはこうして邪神と相対してる。どういうことか分かる?」
シナリオ、そしてラスボス。なるほど。
「これは、私のシナリオのエンディング前の、最終決戦ってこと?」
「そ。あとちょっとでクリアだよ、おめでとう」
「そっか……そしたらヒロイン補整からも解放されんのかな。そうだとしたら超絶嬉しいんだけど」
「そうだね。あんたが生きてるのは『月花と精霊のパラディーゾ』っていうゲームが基盤になってるだけの現実の世界だ。だからエンディングを迎えても、あんたの人生は続いてく」
そのためにも、と親友は続ける。
「邪神はどうにかしなきゃ」
「そうか……」
今ここで、私に何ができるんだろうか。
魂だけだからか、いつも通りに魔法が使える感じもない。封印とかはやり方が分からないし、この空間が邪神のものなら邪神を破壊して平気なのか分からない。
親友に揉まれている邪神を見る。
……私や私の周りの人たちを困らせていたことの元凶が、こんなに小さいとは思わなかったや。もっとこう、旧支配者的な直視しちゃいけない系の見た目を想像してた。
ずっと昔に封じられて、信者から捧げられる闇も『精霊の愛し子』の心臓も、全部復活のために使ってたのかな。その実もう残りかすみたいな小ささってこと、邪神ファンが知ったらどう思うんだろ。
私はこれをどうしたいんだろうか。
邪神の抵抗を鼻で笑いながら弄ぶ親友の顔を見つめる。
この世界で記憶を取り戻してから何度も彼女のことを思い出した。力を貸してほしいと何度も思った。会いたかったし、話したかった。
邪神を倒したら、私たちの繋がりは消えてしまうんだろうか。
もう、本当に会えなくなってしまうんだろうか。




