第21話.ショタコンの最終決戦(3)
背中に何か刺さった。
経験したことのない痛みに、こほりと一つ咳き込む。口の端から血が垂れる。リオに悟らせまいとじっと動きを止めた私の背後で、嫌な気配が膨れ上がった。
「愛し子っ……!」
「待って、静かにして、おねがい」
目を見開いたエタンセルを制止する。彼はリオの後方に立っていた。私の背後から攻撃があったら見逃すはずがない。つまり私の背に突き刺さったこれは不可視の攻撃だったのだ。
ナーシサスは失神しているはず。まさか失神したふりを? でも、それなら彼は今までの様子からして、私を刺したと勝ち誇ったように笑ったり喋ったりするはずだ。
なら、これは何からの攻撃?
「我ガ主……愛シ子ヲ、捧ゲ……ササ、復讐ヲ果タセ、僕、私、私ハ、ア゛ァァ……」
後ろから聞こえた声は酷くしわがれていた。でもナーシサスの声だ。明らかに正気じゃない。
リオが気づいて身を固くする。両腕に力を込めた。背中が痛くて熱くて、そのくせ指先は冷たい。結構まずいんだろうって分かるけど、それが何だ。
リオのことは私が必ず守る。
エタンセル、とかすれた声で呼ぶ。寄ってきた彼の腕にリオを押し付けた。小さな顔に手を当てて、私のことを、ナーシサスであろう敵のことを見ないようにして。
「っ、おねえちゃん……? なにっ、どうしたの?!」
「大丈夫。少し、あと少しで、片付けるからね」
ふらりと立ち上がる。痛い。ぶっちゃけ今すぐ泣いて騒ぎたいくらい痛い。全力で転げ回りたい。
背中の傷から溢れた血が服を濡らし、服の裾や肌を伝って床に落ちる。この感じだとあの短剣じゃないな。ただの刃物が刺さったままならこんなに血は出ないはず。
治れ、と念じて傷の周辺に魔力を回してみるけど、治癒魔法は本を読んだことも授業で習ったこともないから駄目そうだ。何も起こらない。
けほっと咳き込んで、溢れた血を右手の甲で乱暴に拭う。それから意を決して敵の方を振り返った。
「なっ……」
絶句だ。
そこには、人の形を上手く保てていないナーシサスが立っていた。
ふらつく身体は、ノイズが走るがごとく端々が闇の粒子に変じている。両足は完全に黒煙の様に粒子化していた。さっき私の氷に捕まってやられたからだろうか。
ふらふらと視点の定まらない双眸は、もはや黒尖晶石なんて例えるような綺麗な黒じゃなくなっていた。
ただひたすらに深い、深淵の闇の色。青褪めて浮かび上がるかの様に白くなった顔の中で、あまりにも黒々として目立った。
怨霊かよ、なんて苦笑いまじりの呟きを一つ。本当は笑い事じゃないけど、こういうときって乾いた笑いがこぼれるよね。
これ、もう人じゃない感じなのかな?
ちらりとエタンセルを振り返る。彼はリオを抱きかかえたまま首を横に振った。
ほぉん。彼が手出しできないってことはまだ人間なのか。
…………え、どうしよう。
物理攻撃効かなそうだし、下手したら他の魔法もすり抜けるかも。拘束は難しそうだ。
銀光の魔法で除霊すりゃいいんだろうか。でもそしたら死んだりしない……? 怨霊じみててもまだ人間なら殺人だ。こいつの命なんて背負いたくない。
とにかく魔力を構えようと全身に巡らせた魔力に意識を向ける。溢れた余剰魔力が髪をふわふわ揺らした。切られちゃったところ整えなきゃな、なんて意識の端っこで思う。
その直後、ナーシサスがピクッと反応した。
「ア゛ッ、ぁぁぁ……愛シ子の、気配ィ、我が主に、コノ身、ァ、もろとも、サ、ササゲ、心臓、鍵ハ、あと一つ、ッ、グゥ、銀ノ光、ア゛ォォ……――この身の全てを我が主に捧ぐ」
急に流暢に喋るじゃん、とドン引きしたのも束の間、ふらっと身体を揺らしたナーシサスが、楔の間の真ん中に立つ水晶柱に向かっていった。
あまりにもゆっくり歩くので、何をしようとしているのか分からず視線をさ迷わせた私の視野にふと場違いな赤が映る。
傾きなんてない石造りの床を、床に落ちていた私の血がざわざわと細い流れを作って移動していた。それは、ナーシサスと同じように水晶柱へと向かっていく。
衝撃の光景すぎて「えっ」と思わず声を漏らした私と「まずい!」と一歩踏み出して炎を放ったエタンセル。
しかしエタンセルの炎が当たるより先に私の血は水晶柱に触れた。水晶柱の根本に溜まり、やがてじわりと吸われるように消えていく。
そしてその間にもふらふらとそちらへ移動しているナーシサス。何か尋常ならざることが起きていると分かっているのに、何から対処したらいいか分からない。
「愛し子、あれを止め……っ! この気配はまさか!!」
「何?! 新手でも来るの?!」
「違う、これは闇の――――」
――ピシッ。
乾いた音を立てて、水晶柱に大きなヒビが入った。




