第20話.ショタコンの最終決戦(2)
鮮やかな紅蓮の炎がリオの全身を包み込む。息を飲んで彼を見上げ「あなたは」と小さく呟くリオを抱える様に現れたエタンセルの姿に、ナーシサスは「火の精霊、だと……?!」と目を見開いた。
魔力縛りの縄にも限界があることを、ゴリラの如し勢いでそれを引きちぎった経験が二回もある私はよく知っている。
天使で天才という天に愛されまくっている私のリオの魔力に、力は弱まっているとは言え純粋な魔力の塊である精霊の力が合わされば、そりゃあプチンだろうよ。
あっ、リオは断じてゴリラじゃないからね! リオをゴリラ扱いする奴はゴリラの可能性がある私を倒してから進むんだな!
ゴリラだゴリラじゃないだ頭の中でぐちゃぐちゃ言い訳する私をよそに、じっとナーシサスを見つめたエタンセルが呟く。
「……お前は、ヴァルザミーネに毒を盛った娘の弟だな」
「貴様……」
ナーシサスが顔を顰める。
……ヴァルザミーネって、リオの実のお母さんで、冤罪で幽閉されて死んでしまったカローレ家の人だったよね? そう言えば毒を盛られて身体が弱くなった、みたいな話があった気がする。
え……?
それがここで繋がんの……??
「なるほどな。それでこの子の正体に気づいたわけか」
忌々しげに顔を歪めていたナーシサスだったが、ふっと顔の力を抜いてくつくつと笑い始めた。
「ふ、はは、そうとも……あの女の姿は、いや、カローレの人間の容姿は忘れたくても忘れられないものだ」
「お前も承知しているようだから訊く。何故ヴァルザミーネに毒を盛った」
「何故、だと……? はは、そんなの決まっている。カローレの人間は、誇り高きハルゴン子爵家を滅ぼしたのだから! 命を狙われても仕方ないだろう!!」
「誇り高き、だと?! 笑わせるな! 貴様ら自身の不正によって身を滅ぼした愚者の分際で、あの子を、そしてこの子をも害すると言うのか?!」
「黙れ黙れ黙れっ!! 父上は不正などしていないっ、していないんだ!! 私は、僕はっ、間違っていない、シトリンも、決して間違ってはいないんだ!!」
ナーシサスは叫んで頭を掻き毟った。緩く束ねていた深緑の長髪がぐしゃりと乱れる。ふらふらと揺れる黒尖晶石の瞳。
あー……色々と合点がいって腹立たしいというか何というか。
ハルゴン子爵家っていうのは多分、ナーシサスの幼少期に彼の父であった当主の不正でお取り潰しになった家のことだよね。
で、そのお取り潰しにカローレ侯爵家が何らかの形で関わっている、と。何だろうか、告発でもしたのかな。
それを逆恨みして、ナーシサスの姉のシトリンは、リオのお母さんに毒を盛ったみたい。なるほど。
カローレの人たちってそんな分かりやすい容姿なわけ? 雨の魔法を通してリオを見ただけで「こいつカローレだ!」ってなったってことでしょ?
金髪は珍しくないから(まあリオの金髪は、金糸の束の様に美しくて、比類なきふわふわだから唯一無二と言っても過言ではないけれどね?)愛らしい菫色の瞳かな。
うぉぉ~。ファンタジーあるある、特別な瞳の色を代々受け継いできた系の名家じゃ~ん。へぇぇ、そうなんだ。確かに紫色って珍しいって言うよね。
「カローレの人間は、一人残さず殺してやる! これは復讐だ、このために私は生きてきたんだ! そのためには、そのためには愛し子、貴様の心臓が、寄越せ、心臓を寄越せぇぇぇっ!!」
ナーシサスが叫ぶ。リオにもエタンセルにも目をくれず、こちらへ向けて腕を振るった。展開する邪神の魔力。渦を巻いて襲い来る濁流。
復讐、ね。
そっかそっか。
色々と納得したよ。
「そんなしょうもねぇことに私のリオを巻き込んでんじゃねぇよゴラァッ! てめぇは完膚なきまでにすり潰すッ!!」
銀色の防御魔法陣を展開。そこにぶち当たる黒く濁った水の流れ。勢いで押し切ろうとしてくるそれを、防御魔法陣に触れたところからザクザク私の魔法に書き換えていく。
広くはない儀式の間(楔の間って言ったっけ)に、私の魔力に満ちた澄んだ水が貯まっていく。地面や壁に埋め込まれた石が飲み込まれて激しく揺れる水面を幻想的な青緑に煌めかせた。
エタンセル、と声をかける必要もなく彼はすでにリオを抱えて宙へ避難している。しかもそれだけでなく彼は鮮やかな炎を放ってナーシサスの魔法を途切れさせた。
好機だ。蒼い水面を蹴りつけてナーシサスへ躍りかかる。両手に宿した魔力を白銀のものにへ変え、そのまま光球を三つ放った。
この光が邪神ファンに有効なことは実証済みである。ナーシサスレベルの相手にどこまで効くか分からないけれど、怯ませることくらいはできるはずだ。
「食らえっ!」
「くっ、何だこの光は!」
ナーシサスが目を細める。完全に閉じちまえ、と念じながら更に魔力を送って銀光を強くした。
そのまま足を止めずに、ふらついたナーシサスの背後へ回る。正面でギラギラ輝く光球に気を取られて無防備な背中へ魔力を乗せた蹴りをお見舞いした。
しかし、その姿がぶわりと闇の粒子の塊になって手応えが消える。ほんの少し体勢を崩した私の左に回り込んで、再び人の形になったナーシサスが鋭い短剣を振り下ろした。
「お姉ちゃんっ!!」
「愛し子!!」
リオとエタンセルが叫ぶ。
「っ……!!」
切られた銀の髪がはらりと舞った。
あっぶねぇーーっ!
冷や汗が出たわ。すんでのところで身をよじり、ふわりと持ち上がった長髪の端を切られるにとどめることができた。綺麗に伸ばすことができていた銀糸の髪の一部をさっくりやられたことには怒りが湧いて仕方ないけれど、命には変えられない。
それに、数多の儀式を行ってきたであろうこの『楔の間』で血を流すのは何となくまずいというか、嫌な感じがしたから全力で回避したよね。
ビバ、鍛え上げられた肉体!!
やはり筋肉は全てを救う!!
「チッ、外したか」
永遠に外してろ! 攻撃コマンドを押しても全て回避される絶望を味わえ!! その間にも私は攻撃するからな!!
「私は負けないんだ!」
振られる短剣を避け、三歩後退。姿勢を低くして床に満ちる水に左手を突っ込む。そこに宿る魔力を探ればそれは完璧に私のものになっていた。
蒼く鮮やかなそこに更に魔力を注ぐ。警戒したナーシサスが邪神の魔力で対抗してくるが、すでに私のものになったここに邪神の力を注ぐことは難しいはずだ。
スーッと息を吸う。
「凍てつけ!!」
言霊。蒼が一瞬で白銀に変わる。
「なっ、こんなことが……しかも転変を封じるとは!!」
凍てつく、それは何も水にだけ向けた言霊ではない。自由自在に闇の粒子の塊になってしまうナーシサスの肉体を押さえつける意味も持たせた。
化学で習ったでしょ! 分子だか原子だかがぎゅっと固まってるのが固体! わらわら自由なのが気体! そういうこと!
ナーシサスを固体から気体にしないように凍てつかせる。私にしてはなかなか良いことを考え付いたと思う。
足をしっかり捕らえて離さない氷へ邪神の魔力を流し、何とか砕こうとしているナーシサスへ飛びかかる。
空中で、不慣れだけれど思いのままに風の魔力を生み出し、それを雷属性へ変換。パチッと跳ねた電光は眩い蒼白だ。
突き出された短剣を雷を纏う左手ではね除けて着氷。滑るのに任せて移動し、背後からナーシサスの首へ雷を叩き込む。
「ぁがっ……!」
ナーシサスが痙攣して白目をむいたのを確認してから手を離す。身体の端々が焦げているけどご愛嬌、死んでないから良しとする。本当なら全身丸っと黒焦げにしてやりたかった。
「終わり、かな」
宙にいるエタンセルを見上げる。彼はきょろきょろ辺りを見渡して、それから小さく頷いた。それなら、と『楔の間』の床一面に張り巡らされた分厚い氷を全て砕く。
「お姉ちゃん!」
「リオ!!」
ふわりと着地したエタンセルの腕を離れて、リオがこちらへ走ってきた。私が広げた腕の中へ、小さくて温かな愛しい弟が飛び込んでくる。
「リオ、ごめんね、怖かったよね。もう大丈夫、怖いことはもうないよ……」
「っ、お姉ちゃん、おねえちゃんっ……ひっく、うっ、おねえちゃん……」
「うん、うん、私だよ。ここにいるよ」
私のことを繰り返し呼んで、リオはついに大きな声で泣き出した。今まできっと泣かないように頑張っていたんだろう。震えているこの小さな身体で必死に涙をこらえていたんだ。
「帰ろう、リオ」
「うん、うんっ……!」
リオをぎゅっと強く抱きしめて、その頭を優しく撫でる。もう絶対にこんな目に遭わせない。心の中でそう誓った。
そんな私の背中に、何かがずぶりと突き刺さった。




