第19話.ショタコンの最終決戦(1)
地面を抉る竜巻が、押し寄せる泥の波を跳ね上げて散らしていく。そこへ飛び込むのは真っ直ぐに空気を貫く清水の弾丸だ。
「っ、このっ、このっ!!」
身体に当たる直前に弾けて縄に変じる水の弾丸に、サラサッタは怒りの声を上げている。拘束にかかる『水縛』を彼女が何とかすり抜けて、飛び上がろうと蹴った地面からはメキメキと木々が伸びてきた。
「ッメルキオール! やめてっ、あたしのことを愛しているんでしょう?!」
「何のことか分かんないから早く捕まってよね」
「あ゛ぁぁっ! うそよ、うそばっかり! あたしは、あたしはっ……はははっ、違うわ違う……っ!!」
邪神から供給される大量の魔力を乱暴に行使して、サラサッタは猟犬の様に迫り来る木々の枝から必死に逃れる。支離滅裂なことを叫びながら、大量の泥を周囲へ撒き散らした。
「アニーのこと帰しちゃったからさ、もう君に勝ち目ないよ」
メルキオールの魔力で召喚していたアニーを元の場所へ帰し、ゴーレムの捕縛を学園長に一任したことで、彼が意識を割くべきことがサラサッタ以外になくなり、彼の動きは格段に良くなった。
腰のポーチに常備している植物の種に魔力を込めてばら蒔けば、瞬く間にしなやかで強い若木や蔦に変わる。彼の意のままに、それらはサラサッタを追い立てた。
「ギル、そろそろ捕まえてよ!」
「ええ、いい頃です」
理性的でないサラサッタは、彼らの思うままに追い詰められていることに気づかない。
アーノルドの竜巻が攻撃を散らし、メルキオールの植物たちがサラサッタの退路を断っていく。そしてギルバートの細やかな魔法が捕縛するという作戦だ。
彼女のような魔法行使をする魔導士は高低差のある場所での戦いに向いているのであって、こうした森の中や平地での戦いは不向き。
高台から一気に攻撃を仕掛ける方が泥というものの性質上物理的にも有利なのだ。
サラサッタがそれに気づいていれば、最初に大量の泥を無尽蔵の魔力で固めて足場にし、森全体を押し流すような泥の波を放つという攻撃ができたはずだ。
そうなれば、メルキオールたちに勝ち目はなかっただろう。
「っ痛! もうっ、何なのよ、酷い酷い酷いっ!! あたしはただ……っ!!」
彼女が最初に木々を薙ぎ倒して回った場所から、どんどん木々の繁りの深い場所へと追い立てていく。
「あたしはあの女を……あっ」
そしてついにサラサッタは木の根に足を取られ、どさりと転んだ。そこへすかさず飛び込んだ『水縛』が彼女の身体をぐるぐると縛り上げる。
「放しなさいよっ!! このっ、こんなものすぐに、ぅっ……」
拘束されても魔力を展開するサラサッタであったが、駆け寄ったギルバートの手によって首に手刀を打たれ、ことんと意識を失った。
「これでしばらくは大人しいでしょう」
「そうだね。あとは、邪神か……」
「僕考えてたんだけどさ」
アイリーン、一人で黒の森に入ったんじゃないの?
メルキオールの言葉にその場にいる全員が息を飲む。
移動しながらこれだけ大規模な戦闘を繰り広げていたのに、まったくアイリーンの気配を感じなかった。
この森にはもういないと考えてもいいのではないか。
「ならば早く追いかけないと」
「うん。それとさ、ギル、さっきの濁流覚えてる?」
「ええ」
「あの魔力、何か覚えがあると思ってたんだよね……」
「……私もです」
やっぱり、とメルキオールは肩をすくめた。
「私もその事をアイリーンに話そうとしていたところだったのよ」
あの魔力の持ち主は、と学園長が重々しく口を開いた。
―――――………
この封殿やべぇ。
階段を下りきって、よしっと顔を上げたらその先には真っ直ぐの道があった。
そこは左右の壁と天井に埋め込まれた青緑色の石が放つ光で普通に明るくて、ちょっと拍子抜けしたよね。
だけどいざ歩き出したらさ。
壁から槍!
天井から矢!
しまいには床抜ける!
テンプレダンジョン罠じゃん殺意が高いよぉ。まあ全部無傷で躱したけどね? こっちは邪神ファンへの殺意で満ち満ちてんだよ。殺意と殺意をぶつけたらより固くて強い方が勝つに決まってるじゃん。この世の摂理だよ、うん。
そんなわけで罠ゾーンを抜けて私たちは更に歩いた。そして辿り着く。
「……ここが」
「ああ。封殿の深部……楔の間だ」
閉めきられたこの扉の向こうに、リオがいる。やっと、やっとここまで来れた。本当に長かった。
エタンセルを見て頷く。彼が頷き返してふっと姿を消したのを確認して私は扉に触れた。力を込めて、ぐっと押し開く。
「やっとお出ましか、精霊の愛し子」
「すり潰してやるよ、邪神ファン」
負けられない、最後の戦いが始まる。
楔の間は、真ん中に水晶の柱のある四角い部屋だった。水晶柱が放つ薄青の光と壁に埋まった青緑の石で部屋全体が神秘的な青緑の明かりに包まれている。
奥にはあからさまな祭壇が一つ。リオはその傍らに縛られた状態で座っていた。私を見て、その菫色の瞳を輝かせている。
やっぱり怪我しているみたい。邪神ファンのすり潰しポイントが上がった。
でも、生きている。なら何とかなるはずだ。私が捕まってやられさえしなければ勝てる。大丈夫だ。
水晶柱の前に立っていた黒マントの邪神ファンは、私のすり潰し宣言を聞いて肩を揺らして笑っていた。
「死にに来たか」
「ふん。んなわけあるか」
「まあいい。折角だ、死ぬ前に私の正体を教えてやろう」
そう言って、邪神ファンは黒マントのフードをぱさりと頭から落とした。頼んでないんですけど。
さらりとこぼれ落ちた深緑色の長髪。どろりと濁った黒尖晶石の双眸が私を見ている。
常なら穏やかさをたたえているはずのその美貌を見て、つい笑いが漏れた。
「……ああ、なるほどね」
ナーシサス・ダグラス。
水寮の寮監で『魔法理論』の先生。
「貴方だったか」
「驚かないのか。つまらん」
いや、驚いてますよ勿論。ドヤ顔で「なるほどね」とか言ったけど普通に「いやお前かいッ!!」て驚いてるからね?!
「何となく、嫌な感じはしてたから」
例えば初めて顔を見たとき。
ぞわっと湧いた生理的嫌悪感。そのときは先生がイケメンだから、攻略対象風味を感じてそう感じたのかなと思ったけれど。
温室の植物の水やりに呼ばれないこと。
根源に闇を宿した人間の魔法から生まれた水なんて誰も浴びたくないから植物が嫌がるはず。それをディオネア教授が気づかないはずない。
サラサッタに声をかけていたこと。
サラサッタ大暴れの日、彼女は結局温室に帰ってこなかった。その時間、先生……ナーシサスは授業がない。外をふらつく彼女に接触することは可能だ。
そして今気づいたこともある。
「ずっと不思議だったんだ。なんでリオなのかなって」
さっきの濁流の魔力。今目の前にいるナーシサスの魔力。私はこれをよく知っている。
「夏季休暇が始まってすぐの頃、ジゼット村に雨を降らし続けていたのは貴方ね」
あれはナーシサスの魔法だったのだ。そしてそれはそのまま彼の目だった。私がリオを特別愛していることに、そこで気づいたんだろう。
「リオ、待っててね」
握り締めた拳に魔力を集める。
「すぐ助けるから」
リオが頷くのをしっかりと目に納め、私はナーシサスに向き直った。彼はくつくつと肩を揺らして笑い、ふらりとリオのそばへ寄る。
「戦うつもりか?」
「…………そりゃそうなるよね」
ナーシサスの手には短剣。その切っ先はリオの喉へ向けられている。許し難い、万死オブ万死な行為だ。
「さあ愛し子よ。最愛の弟を殺されたくなければ、自ら祭壇に上がることだ」
「っ、お姉ちゃん、だめだよ……!」
「…………」
私はそっと目を伏せて、全身に張り巡らせていた魔力を鎮めた。ナーシサスの顔に広がる喜色。普通に気色悪い。
ここで魔眼は使えないけれど、宙を滑っていく温かな火の魔力の気配はきちんと感じ取れる。大丈夫。ナーシサスは勝った気でいるだろうけど思い通りにさせてたまるかってんだ。
「お姉ちゃんっ!」
「……ごめんね、リオ。大丈夫、大丈夫だから」
私が無抵抗になってゆっくり祭壇へ向けて足を進めたのを見たリオが悲鳴に近い声を上げる。とても胸が痛い……本当にごめんよ。許してね、あと少しだから。
「ふ、ははははっ!!!」
たどり着いた祭壇を見下ろす。
うげっ、人形にくぼんでる。ここで何人の『精霊の愛し子』が心臓を抉り出されたんだろうか。
こんなクソ儀式の伝統、ここで終わらせてやる。
「っ、ついに、ついに我らの悲願が達成される!! ああ我らが主よ、しばしお待ちください、すぐにこの愛し子の心臓を捧げますっ!!」
ヒョーーッ、狂ってる。
もう正気じゃないのか、勝ちを確信して疑わないのか、ナーシサスはリオを放して私の方へふらふら近づいてきた。
――――今だ。
「エタンセルッ!!」
リオの中に密やかに燃えていた紅蓮の炎に火の精霊が触れ、瞬きの間にそれを大きく膨れ上がらせた。




