第16話.ショタコンと王子の誓い
キーンと痛む耳を押さえ、私は閉じていた目を開けた。多分、と言うか確実に大丈夫だろうがレオンハルトの雷魔法を向けられた師匠を見る。
わぁお。
麗しき水の壁。ざわざわと渦が美しい紋様を描く薄青の壁が師匠の前に展開していた。パリッと雷の名残が弱々しくその水壁の表面を這っている。
感心する私の手首を相も変わらずしっかり掴み続けているレオンハルトも師匠を睨んでいた。
「ふん、その反応速度は流石、と言ったところか」
「…………」
リオは先程の派手な雷魔法が怖かったのか青褪めている。おのれ糞王子、私のリオを怖がらせるなんて万死に値する。
「だがその余裕もここまでだ」
何故かドヤ顔で言い切った彼は、くるりと後ろに顔を向けた。
「来い。サラジュードを捕縛せよ」
「「「はっ!!」」」
その声に答えて出てきたのは先日の護衛十人であった。目節穴糞野郎もいる。
彼等を……主に目節穴糞野郎を睨む私にレオンハルトはまた微笑んだ。
「安心しろ。すぐ終わる」
ふーん、これが精鋭なの。
「その通りですな、王太子殿下」
レオンハルトの言葉通り、師匠対護衛十人の戦いはすぐに終わった。
師匠の全く崩れぬ余裕の姿勢と共に。
すごい早かったな。と言うか、侵入してきた時にはもう負けてたよね。
私は師匠の細工に気づいていた。
防御の水壁を解いた時、普段魔法が解ける時の様にふわりと消えなかったので魔力をちょろちょろ地に這わせてみたら、細やかな水滴が芝を伝って、庭全体に配置されていた。
護衛十人が踏み込んできた時、足元で跳ねる水滴なんて誰一人気にしなかっただろう。だって雨降ってるし、水があるの当たり前だもんね。
そうして護衛たちの鎧にくっついた水滴は彼等の身体を駆け上がって、腰の辺りでじっとしていた。
そして彼等が魔力を込めた剣を抜こうと構えた時師匠は小声で『水縛』と唱え、護衛たちにくっついた水滴を膨らませたのである。
魔力を受けて膨らんだ水滴は切れない水の帯となり護衛たちを一瞬で拘束。足も縛られた彼等は無様に地面に転がるしかなかった。
「なっ……」
「さてアイリーン、こっちへ」
「はい!」
離れろと念じてレオンハルトの手を振りほどいた私はすたすたと師匠の隣へ向かった(途中、リオのところへ寄って手を繋いでから)。
レオンハルトは振りほどかれた手が信じられないのか私を見たまま固まっている。
「間近で魔法を見たろう。目は大丈夫か」
「それより耳ですね。まだ耳鳴りがしますよ」
「びっくりしたよね、おねえちゃん。だいじょうぶでよかった!」
「リオも大丈夫そうね。飛び出さない様に我慢していてくれてありがとう」
ふふ、と笑うリオの頭を撫でる。控えめに言ってとても可愛い。
「っ、何故……そんな下衆と一緒にいる必要など……」
「お言葉ですが」
私はレオンハルトの言葉をピシャリと遮った。彼が口を開いた途端、リオの顔が厳しいものになったからだ。
スッと立ち上がり、振り返る。レオンハルトは捨てられた子犬の様な目をしてこちらを見ていた。何でそんな顔しているんだ王太子殿下は。
「先程から何度も人の師を“下衆”呼ばわりして……下衆な勘繰りで私たちに迷惑をかけているのはそちらです」
「そ、そんな。お前は……」
「生憎と、私は修行に忙しい身ですので。どうぞお帰りください」
「お、お前の様なか弱い者が何故修行などしなければならないんだ?!」
私をあくまでも「か弱い少女」扱いしたいようだ。彼はこの間も私の魔力を当てられているはずだけど……もしや記憶力に乏しいのか?
可哀想に、と思った私はフッと笑う。
「殿下の仰る通り、私はか弱い村娘ですから、いきなり訪れる困難に対する自衛の術は身に付けなくてはと思いますので」
「っ!!」
え、何? 固まっちゃったんだけど……それとなく皮肉を込めてやり返せたと思ったんだけどなぁ。
お前の様なタップダンス野郎から身を守れるようにしたい、と意気込みを語れたと思う。
そこまで賢くないから、上手く皮肉になっていなかったんだろうか。落ち込む。
しばらく硬直していたレオンハルトは、やがてハッとすると悔しげに顔を歪めた。
「……俺は、いつか、お前を……っ!!」
俯き、何やら小声で呟いた彼はいきなり魔力を放って護衛たちを縛る師匠の魔法を壊すと踵を返した。
今の何?「いつかお前を」って、呪いか何か? 殺害予告みたい、やだぁ……
私とリオ、そして師匠はしとしと降る雨の中、去っていくレオンハルトと護衛たちの背中を「二度と来んな」と言う顔で見送った。
―――――………
ざくざくと草を踏んで歩いていくレオンハルトは、悔しさで一杯になりながら歯を食いしばっていた。
――「先程から何度も人の師を“下衆”呼ばわりして……下衆な勘繰りで私たちに迷惑をかけているのはそちらです」――
彼女の、アイリーンの冷たく感情の浮かばない琥珀色の瞳が、平淡な声と合わさって脳裏にちらつく。
――「生憎と、私は修行に忙しい身ですので。どうぞお帰りください」――
アイリーンは一度も「虐待はされていない」と明言していない。
だが、サラジュードの元に呼ばれ、弟の手を引いてそこで二言三言サラジュードと交わした後、レオンハルトの言葉に振り返った彼女の表情は確かに強張っていた。
一瞬で片付けられた護衛たちを前にしても動揺を見せずにいたのに。
弟の頭を優しく撫でた彼女の華奢な後ろ姿。きっと彼女は、レオンハルトではサラジュードに敵わないと思い「逃げろ」という意味を込めて「帰れ」と言ったのではないか。
――「殿下の仰る通り、私はか弱い村娘ですから、いきなり訪れる困難に対する自衛の術は身に付けなくてはと思いますので」――
けぶる様なまつ毛に縁取られた琥珀色の瞳に揺れた哀しさ。しっとりとした風に揺れた銀の長髪の煌めき。
月下の一輪の様な儚い微笑みを浮かべて彼女はレオンハルトを見ていた。
――俺は、いつかお前を迎えに来る――
そう言いたかったのに。彼女の犠牲のもと敵に背を向けなければならない悔しさから途切れた言葉は、彼女に届いたのだろうか。
月光の下に一夜しか咲いていられない白花の様な少女アイリーン。
庇護すべきと思わせる儚げで神秘的な容姿に、不思議な魔法を放つあの澄みきった魔力。
哀しく、寂しそうに微笑んでサラジュードの元に留まった彼女に、レオンハルトは心の中で誓った。
――必ず迎えに行く。だから、どうか……――
(……俺を、待っていてくれ)
もっと強くならなければと思った。
独り強くあろうとする彼女が、弱味を見せられる様な相手になれるように。
アイリーン「あ! なんか今、私に都合の悪い展開になった気がする!!」
リオ「だいじょうぶだよおねえちゃん。ぼくがなんとかするから!」
アイリーン「ん゛っ……尊い……じゃなくて、ありがとうリオ」
王子の勘違いの加速(゜ロ゜;