第13話.ショタコン、濁流に飲まれる
結果から言おう。
「それは有り得るわ。まずいわね……」
とのことです! 絶望!!
上手くまとまらない私の話を根気よく聞いてくれた学園長は、ほっそりした指を顎に当てて考え込んでから冒頭の台詞を呟いたのである。
「……私の魔力が“視る”ことに長けているのは知っているわよね。視た相手から『心地が悪い』とか、そういう感想はよく聞いたわ。それと似たようなものでしょう」
「ひょ……あの、試してみてもいいですか? 感覚が似てるか、確認するので」
「私は構わないけれど……いいの?」
「っ、はい!」
そう、と厳しい視線を黒の森へ投げる学園長。横顔になると睫毛が長いのがよく見えてドキドキする。
白い霧を纏って夜闇に浮かび上がる黒の森から視線を戻した学園長。その珪孔雀石の瞳は魔力で鮮やかに煌めいていた。私はそれを見上げて、もう一度頷く。
「分かったわ。やりましょう」
言われて、私は目を閉じる。
ふ、と息を吐いてしばらく待った後、唐突に嫌な感覚が襲いかかった。先程からずっとある邪神に覗かれているような感覚とよく似たそれは、きっと学園長の力で。
なるほどな、と唇を引き結ぶ。これで私たちが邪神パワーで覗かれていることは確定だろう。引いていく嫌な感覚に目を開けて「とても、似ています」と眉尻を下げて告げた。
「……そう、分かったわ。私が今視たのは貴方の魔力よ。きっと邪神も私たちの魔力を探っているのね」
「魔力を探って、どうするつもりなんでしょうか。私のことを探しているとしたらもう見つかっているから、探す必要はないのでは?」
「邪神にそんな思考はないのかもしれないわね。封印されて、動けない状態で、ひたすら周囲を探っているだけかも知れないけれど……」
「けれど……?」
例えば、と学園長は眉根を寄せて唸る。
「……攻撃するときの、優先順位をつけている、とか」
私ならそうする、と彼女は言った。なるほど、似たことができるからこその視点。魔力量やその質を視れば、その人がどれだけの使い手か分かるみたいだし、脅威レベルを測れるってことだよね。
……そう言えば、ザハード公爵邸で読んだ邪神ファンの布教の書には、邪神の魔力を受けた人間は獣のようになったって書いてあった。
普通に邪神ファンのことだと思ってたけど、もしかしてそれって普通の人でもそうなるのかな? そもそも「獣のようになる」って何だろう。獣そのものじゃないのかな。
もしも、普通の人も邪神の魔力を受けたら変化してしまうっていう私の想像が正しいとしたら。きっと、元の魔力が強いほど強くて危険な「獣のようなもの」になるんじゃないの?
あるあるじゃん。元々が強いと敵に回ったときとか暴走したときヤバのヤバのバになるっていうやつ。
邪神ファン布教書のことは学園長にも話せないから、この憶測は胸に秘めておくけれど、邪神の索敵モドキがそれ目当てだったらまずい。
だってリオ救出部隊、精鋭を集めたすごい集団だからね。
この王国一の魔法研究機関である学園の長でありかつては王国の魔導戦士だった学園長と、寮長二人に副寮長一人。モブ兵士の魔法技能がどれほどのものかは知らないけれどこのメンツに同行できるくらいだから相当だろう。
そんな魔法チート集団なんだぞ。邪神の手駒になったらヤベェ。
ぐぬぬ、と眉根を寄せて頭を抱える私を学園長が残念なものを見るような目で見下ろしていた。心の中で「やめてっそんな目で私を見ないでっ!!」なんてふざけて軽い現実逃避をしていたんだけど……そのときふと、地面が揺れた気がしてパチクリ目を瞬いた。
これでも前世は地震大国日本の女子高生で、今世は勘とチート体質をあてにした感覚派野生児だからね。これ、何となく地震じゃね? っていうのは靴を履いてても足の裏で分かるんだ。
「そうだ……アイリーン、貴方に話しておかなければならないことがあるの」
「えっ、今ですか?!」
揺れは強くなってくる、と言っても微かなものだけど。学園長はまだ気づいてないのかな?
「ええ……今のうちに、話しておかなければならないことよ。本当なら、もう少し早くにするべきだったけれど……」
深刻な表情で私の肩に触れる学園長。地震のような、地下から来る何かの振動を察してそれどころじゃない私的には「それほんとに今じゃなきゃダメ?!」て感じなんだけどな!!
「あのね、学園関係者の中で、夏期休暇の期間に入ってから連絡がつかない者が一人いるの」
「は……え、それって」
そのときだった。
ぐらり、と地が大きく揺れる。学園長も私もたたらを踏んで転ばないように耐えるので精一杯、そんな揺れ。
次いで、バキバキという鈍い轟音。それは地面の下から聞こえた。
「ッ、アイリーン、皆のところへ戻るわよ!」
「はいっ」
焦った顔で身を翻した学園長に続いて駆け出した次の瞬間。
私たちの後方、この森の先に広がる荒れた平原の乾いた地面を突き破り、黒々と濁る濁流が溢れ出して勢いよくこちらへ流れてきた。
足を掬われる――!!
そう思ったときには、私は腰まで濁流に飲まれ、押し流されていた。
―――――………
ふと、女は目を覚ました。
全身に鈍痛、頭痛は一等酷い。辺りは重たい暗闇で、自分が目を開いているのか閉じているのかすら分からない。
ただひたすら、身体が重かった。
(まだ夢から覚めてない感じ……? 何それそんなことあんの?)
思い出す。意識を失う前、夢の中で気味の悪い邪教の儀式のようなものを見たことを。怯える美少年の顔を思い浮かべ「ぐへへ……ごほん、大丈夫かな……」なんて本音混じりに呟いた。
(そうだ、それで向こう側の声が聞こえてきたんだ)
カルトにハマった人間のように、意味の分からない賛辞の言葉を並べ立てていたあの男。どこかで聞いたような声だったが思い出せない。彼女はショタにしか興味がないので。
(何かすっごく微かに振動して……ん?)
身を震わす小さな振動を感じて、ぼんやりとしていた彼女は、不意に何か聞こえた気がして耳を澄ませた。
――「だあぁぁっ、死ぬとこだった! あぶねぇっ! ふざけんなし、私を殺していいのはショタの可愛さだけだぞこの野郎ぉぉぉぉっ!!」――
(…………?)
――「痛ぇ、背中ぶつけた。色々我慢して大人しくしてたけどもう限界だ。とっとと皆を見つけて邪神ファンをボコボコにしに行かなきゃ……」――
(……なんか、なつかしいかんじ)
――「ん、こそこそする……ヌワァ?! 虫じゃん嘘じゃん何で背中に入るわけ最悪最低死すべしあばよ」――
心の内に溢れ出した懐かしさを手繰り寄せようと集中したその時、無情にも意識が引っ張られる。
ハッと目を開ければそこは儀式の間のような場所を俯瞰するいつもの場所で、彼女は大きく溜め息を吐いた。とにかく美少年は無事であるからヨシとする。
(だが黒マント、てめぇは駄目だ)
ニヤニヤする口許のみが窺える黒マントの男。彼はその手に何やら青黒い光を灯していた。
「おぉ……我が主よ。今、外敵を排除しております故お待ちください。間もなく愛し子の心臓を手に入れて御覧にいれます!!」
(何だって言うんだ……誰に話しかけてるんだよ。イマジナリー“ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま”か? 正気じゃねぇな)
頭痛が引いてきたため、彼女の心の中の声にいつもの調子が戻ってくる。
黒マントの男は少し話してそれで満足したのか、青黒い光を灯した手を振って何かし始めた。
女は、ぶっちゃけクソ下手な踊りを披露しているのだと思っていたが、その場にいる美少年……リオはそれが魔法行使の動作であると分かって青褪めていた。
魔法行使の動作を行っているのに魔法の効果はこの儀式の間に現れていない。それすなわち、ここではないどこかへ魔法効果を発動させているということ。
(……お姉ちゃん?)
外敵の排除、間もなく手に入る愛し子の心臓。
それらの情報を並べて、リオはアイリーンがここへ近づいているのだと気づいた。青褪めていた頬に微かに色が戻る。
リオは俯いて、浮かんできた笑みを隠した。姉がここへ向かっている。あの強くて美しい、しなやかな若木の様な彼女が。
それだけでリオの不安は吹き飛ぶようだった。アイリーンが来ればもう大丈夫だとそう言い切れる自信がある。だってリオの姉は、本当に強いのだから。
(がんばって、お姉ちゃん。僕はここだよ、ここにいるよ)
リオはそう強く念じながら、魔力縛りの縄によって、身の内に窮屈に閉じ込められている鮮やかな紅蓮の炎を、じわじわと大きくし始めたのだった。




