第5話.ショタコンに届いた手紙
緑の中を黒い何かが勢い良く進んで私たちのいる四阿へ向かってきていた。
私の視線を追い、ようやくギルバートもそれに気づく。そして驚くべきことに彼は突然私を引き寄せて後退し、四阿から飛び出したではないか。
普通に迎撃するつもりだったのでかなり驚いた……急に動くのほんとやめて……
飛んできた黒いものは私たちが睨む先でそのまま四阿の白い床にベチャッと突き刺さるように着地して潰れた。泥の塊を床に投げたときみたいな感じだった。
「……何でしょう、あれ」
「確認します。アイリーンはここで待っていてください」
「えっ、危ないですから私が」
「危険だからですよ」
「だからって……」
押し退けて行っちまおうか、と思ったけど普通に押し留められてしまった。彼は慎重な足運びで進み、四阿を覗き込む。
「……魔法発動の気配はありません。魔力は残滓程度……黒かったものは魔力の塊だったようですね……」
色々と報告しながら、ついに四阿に踏み込んだギルバートは「……これは?」と足を止めて首を傾げた。
魔法発動の可能性があるとかそれ自体が怪しい魔法みたいってことなら魔眼持ちの私が見るべきだったのでは。
このところ全然魔眼を使っていなかった上に、想像力の可能性に感動するチート風味の魔法行使をしまくっていたから、実を言うと魔眼のことを少し忘れていた。
だってよ、自分で言うのも何だけど属性盛り過ぎなんだもん。一つ二つ忘れたってしょうがなくない??
そのようなことを言い訳がましく考えながら、今ならギルバートが離れているから丁度いいやと思ってこっそり鼻をかむ。
あ゛ーー、スッキリした。
若干ばっちいなと思いつつどうしようもできないので、涙を拭いた上に鼻をかんだ側を内側にしてハンカチを綺麗に畳み、ポケットにしまう。
あとでちゃんと洗濯に出そう。王宮にお泊まりしている以上、きっと王宮クオリティーで洗濯されるから素敵なことになるはずだ。
素敵なことになるとは……??
……ああ、いけない。ギルバートと二人きりなことに加えて生理的に受け付けない何かに突撃された現状があまりにもしんどくて、つい現実逃避をしてしまった。
先程まで足を止めていたギルバートは私の現実逃避タイムの間に再び動き始めていて、危険はないと判断したのか、見つけたらしい“何か”を床から拾い上げている。
「寮長、それは……?」
「ギルバートと。どうやら手紙のようですね」
まだ言うかこいつ。
圧のある笑顔は妹のラタフィアと良く似ているので、彼女と仲良しでよく助けてもらう私としては逆らいにくいと言うか何と言うか。
「ごほんっ……手紙、ですか?」
取り敢えず「今そんなこと言ってる場合ですかこの野郎」の意を込めて咳払いを一つ挟んでから、歩み寄って訊ねる。
ギルバートは物言いたげな顔でこっちを見たけどすぐに諦めたようで、小さく苦笑を漏らし「……貴方宛ですね」とひっくり返したそれに視線を落として呟いた。
「え゛っ」
「触れても問題はないと思いますが、貴方が触れたら発動する何かが仕込まれているかもしれません……魔眼で見てから触れてください」
「あ、はい」
この人、私自身も忘れかけてた魔眼のこと普通に覚えてんじゃん、偉いね。
いや普通覚えてろよご本人様だろ、私。
魔眼自体が稀少だ。初めて見たとかだと忘れないんだろう。生憎と私は魔眼より稀少な『精霊の愛し子』である。魔眼のこと忘れても仕方ないと言わせて欲しい。
「……うん、何も仕込まれていないみたいです。ちょっと、嫌な感じは染み付いていますけどこれは送り主の気配、かな……多分」
「そうですか」
「……邪神の信徒、でしょうかね」
「このタイミングですからね、恐らくそうでしょう」
「……やっぱり」
呪いのお手紙みたいで開けるのは気が重いけれど、もしかしたらリオのことが書いてあるかもしれない。
読まずに捨ててあの子の身に何かが起こるなんてことになったら私は今度こそ自分自身を許せないだろう。
よし、腹を括るぞアイリーン。呪いのお手紙だろうが邪神のお手紙だろうが、最後に笑うのはこの私だ。それくらいの気勢で挑むぞ。
封蝋も何もなかったので、特に苦労もなく封筒を開けた。
中には折り畳まれた便箋が一枚。ご丁寧に折り目の方が上になって入っている。気遣いなのかお育ちが良いのか、メチャクチャムカつく。
そっと摘まみ出して、一旦手を止めたらギルバートと視線を合わせる。
これは「開けるで?」「ええで」のやり取りだ。一応、いきなり予期せぬ攻撃魔法が飛び出してくる可能性も考慮して、そうなったら対処よろ、の意味を含む。
ふぅ、と息を吐いて手紙を開いた。
「っ!!」
ここで手紙を落とさなかった私を誰かどうか褒めてほしい。
少し黒ずんだ赤を擦り付けられたそれに書いてあったのは簡単な一文だった。
『黒の森にて、愛し子の心臓を差し出せば第三王子エルメリオを返還する』
簡単なだけに、その内容の衝撃は大きかった。
もっと邪神賛美の様なことをつらつら書き連ねそうなくせに、こんな、まだ外部には漏れていないはずの情報片手に、脅しをかけてくるなんて。
いったい、どこまで知っているのだろうか。
「どうして……」
相手は私だけじゃなく国王をも動揺させる気だ。現国王は過去のやらかしこそでかいけど聡明な人である。国王として正しいとされる判断ができるはずだ。でも、さっきの様子を見るともしかしたらとも思ってしまう。
けれど私の心臓が邪神に捧げられたら世界は終わりだ。
「……アイリーン、何が書いてあったのですか?」
「すみません、今考えてます」
こんなことをして国が動き、兵を大量投入されたりして困るのは向こうではないだろうか。
各地の信徒が黒の森に大集結していたとしても、元から統率がとれていないんだから烏合の衆に過ぎないだろう。
……それとも今回の事件を起こした主犯の邪神ファンは訓練された兵のような信徒を引き連れている、とか?
またはまったく別の目的がある、とも考えられる。でもそれが何かは私では考え付かない。
となればまず決断すべきは「この手紙を誰に見せて誰に見せないか」だろう。
頭の中に浮かぶのは師匠と国王陛下の顔だ。
私じゃ気づいていないこととか、気の回らないこともあるだろうから、まずは師匠に判断を仰ごう。よし決めた。
気遣わしげにこちらを見つつも覗き込んではこなかったギルバートを見上げる。
「ちょっと判断に困るので、師匠のところへ行ってみます」
「そうですか……」
「はい。危険の確認してくださってありがとうございました」
それじゃ、と頭を下げ、彼をその場に残して駆け出す。とにかく急がなきゃだからさ、すまんな。
手紙に擦り付けられていた赤色のものが何であって誰のものかってことは、考えないことにした。




