第2話.ショタコンとカローレの悲劇
六年前、一人の側室と共に一つの名家が滅びた。
カローレ侯爵家。
鮮やかな紅蓮の炎の姿をした魔力を身に宿し、王国の始まりの頃から長くその血と共に継いできた一族だ。
紫水晶の瞳の乙女ヴァルザミーネ・カローレ。彼女はそんな火属性魔導士の名家の生まれであり、現国王の唯一の側室だった。
バイルダート王国では王家の血を確実に継いでいくため、国王が側室を迎えることはよくあることである。
ヴァルザミーネは国王が魔法学園在学中に見初め、廷臣たちがカローレ侯爵家が力を増すことを警戒して反発する中、半ば押し通す形で側室に迎えた。
正妃との衝突はなかったと言われているがそんな状況で迎えられた側室である。表舞台に立つことはなく、国王の寵愛だけが頼りとなる綱渡りの様な生活は恐らく彼女の心身を摩耗させたことだろう。
しかも正妃はすでに健康な第一、第二王子を生んでおり側室の必要性は無いに等しかった。
そんな中で懐妊の知らせのないままにいるヴァルザミーネを批判する声は多く、中には偏った正義感から直接害をなして彼女を王宮から追い出そうとする者もいたと言う。
深緑の髪をした侍女頭が盛った毒はヴァルザミーネの身体を酷く傷つけた。自死した侍女頭は弱小貴族の出であったそうで入れ知恵をした実家は爵位を剥奪されて没落したそうだ。
何度か同様の事件を経てゆく過程で、国王はどんどんヴァルザミーネに入れ込んだ。そして側室になってから数年後、ようやく彼女は国王の子を身籠った。
そして生まれたのが第三王子。
柔らかな金の髪を父と母両方から受け継いだ、可愛らしい祝福されるべき赤子。肩身の狭い思いをしてきたヴァルザミーネはその時確かに幸せだった。
しかし第三王子が一歳の誕生日を迎えた日に悲劇が起こった。
この国の王族は皆、一歳の誕生日に魔力属性の確認を行う。王家が一筋も乱すことなく継いできた純然たる風属性の魔力によってその血筋の正統性を示すのだ。
正統な王家の子が全員、母親の魔力属性が何であれ確実に風属性の魔力を継いできた歴史があるからこその伝統儀式である。そしてこれは、だからこそ起こった悲劇とも言えよう。
王宮の人々に見守られながら、ヴァルザミーネは赤子の手を取り、水晶玉に触れさせた。
つるりとした水晶玉の中で、赤子から微弱に漏れ出す魔力がふわりと円を描く。そして穏やかに微笑むヴァルザミーネと、その腕の中で不思議そうにそれを見つめる赤子の前で白糸の様だった魔力が――――
紅く煌めいた。
紫水晶を嵌め込んだ様な目を見開き、唇を震わせたヴァルザミーネは怯えたように立ち上がった。その顔は蒼白で、小さな声で「そんな」「うそ」と繰り返している。
近くで見守っていた国王は動揺しながらも「どういう、ことだ」と彼女の背中に問うた。弾かれるように振り返ったヴァルザミーネが口を開こうとした直後、儀式の参列者から「不貞行為だ! 側室が不貞を働いた!!」という叫び声が響いてそれどころではなくなった。
儀式の間は大混乱となりヴァルザミーネに詰め寄ろうと立ち上がった者たちからとにかく彼女を逃がそうと、国王は退出を命じる。
様々な暴言を背に、泣き出した小さな赤子を強く抱き締めて逃げるように儀式の間を辞したヴァルザミーネはいったいどのような心境だったのだろうか。
王宮に務める者たちはヴァルザミーネの追放、第三王子の廃嫡と追放を国王に迫った。
バイルダート国史上に魔力属性確認の儀式で正妃や側室の不貞が発覚した事例は何度か見受けられる。その際の処罰は追放と廃嫡、または両者の処刑だ。
ヴァルザミーネを愛していた国王は葛藤した。彼女は必死に身の潔白と第三王子の保護を訴えている。
しかし廷臣の中には彼女と子を追放しないのであれば登城しないという者まで現れており、このままでは国政が成り立たなくなる危険性すら浮上していた。
元々周囲の反対を押し切って迎えた側室である。それが、この事態。そう言い出す者たちがいてもおかしくはなかった。
「……っすまない」
追放の決定を下す前夜、謹慎中のヴァルザミーネに頭を下げた国王。それで全てを察した彼女は死にそうな顔になって「そんな……」と泣き出した。
翌日ヴァルザミーネが第三王子を逃がしたことが発覚し、急遽追放刑から幽閉刑へと変更。東の修道院で、彼女は日夜王子の行き先について尋問を受けた。
彼女は決して口を割らず、ただ「あの子は陛下の御子です」と訴え続けた。そして一年後、身体を壊して命を落とした。
その日、王宮の一画が燃えた。
国王と廷臣たちの前に現れた青年の姿をしたものが怒りのままに炎を撒き散らすのを見て、その場にいた全員が“カローレ家が精霊に愛されていた”ことを悟った。
憤怒の色に染まった白い顔の中で黄金色の目の瞳孔が凶暴な獣のもののように細くなっていた。
ざわざわと揺れる炎の色の長髪は、端々が空気中の魔力に溶けて炎そのもののようだった。
「人間よ……あの子を、ヴァルザミーネを死なせたな……」
その直後、カローレ家を目障りだと思って不貞疑惑を声高に喧伝して回った廷臣五人の身体が発火。おぞましいほどの悲鳴を後ろに、火の精霊は国王を指差した。
「お前の風があの子の炎に呑まれただけ、お前はそれを不貞と言うのか」
「な、何を、言っているのだ……?」
「確かにお前たちの継いできた風はかつて精霊の祝福を受け、あらゆるものと混ざっても常に呑み込んで発現してきた。だが、精霊の祝福を受けたのがお前たちだけだと本当に思っていたのか?」
「それは、まさか、そんなっ……」
「あの子が起こした炎の奇跡を、まさか不貞扱いするとは」
国王は絶望した。
ヴァルザミーネは潔白だった。
あの子は、間違いなく自分の子なのだ。
「あの子が遺した子供を救え。お前の責任を果たすのだ。さもなくば私はこの国から去る」
「ま、待ってくれ!!」
「……私のせいで、すまない、カローレの子供たちよ」
言い終えるなり火の精霊は炎の塊になって姿を消した。あとに残ったのは焼け焦げた五人の遺体と、燃えて崩壊した会議の間だけ。国王はその場に膝をつき「ヴァルザミーネ……許してくれ……」と嗚咽を漏らしていた。
これが“カローレの悲劇”の全容である。
国王がサラジュードに第三王子の捜索を頼む理由が分かることだろう。
魔法が日常的に使われる国が、力ある精霊を失うのは望ましくない。
打ち合わせの際にサラジュードからこの話を聞かされたアイリーンは顔を真っ赤にして憤慨し「国王陛下の好感度駄々下がりなんですけどクソが!!」と叫んだ。
だから先程対面していた際に微妙な心境でいたのである。
(こいつが全ての元凶では……?)
とすら思っていたから彼女のキレっぷりが窺えよう。
―――――………
ここからは、誰も知らない真実の裏方の話。
国王の決意を知った夜、ヴァルザミーネはその時唯一自由に動かすことができたたった一人の侍女に息子を託して告げた。
「この子を逃がして。きっと、このまま追放されればこの子は殺される」
彼女の予想は正しかった。国王が第三王子の廃嫡と追放を決意したことを察していた貴族たちが手を回し、後顧の憂いを断つため刺客を用意していたのである。
しかし彼女の読みは甘かった。夜闇に紛れて王宮から出ていく一頭の馬を見逃さなかった者がいたのだ。
北へ北へ、何も知らずに眠っている赤子を抱き、田舎にある実家を目指して馬を走らせる侍女を追う三人の刺客。ジゼット村に差し掛かった辺りで馬の脚をやられ、侍女は第三王子を庇って戦うことを決めた。
夜明けの淡い光が差す森の中で、ただ一人忠誠を誓った女主人の願いを叶えるために命を懸けて彼女は戦った。
左腕を折られながら一人の喉に短剣を突き刺した。片目を潰されて攻撃を避けきれず、王子の背を相手の剣先が切り裂いても諦めなかった。赤子には大きすぎる傷を代償に刺客は残り一人となって、お互いに腹を刺し合った瞬間すら諦めていなかった。
必ず第三王子を生き延びさせ、冤罪が晴れたとき、再びあの心優しい女主人の腕にこの子を戻すのだと決めていたから。
彼女は攻撃を受けて千切れてしまった手巾の端を……ヴァルザミーネが息子のことを思いながら名を入れた手巾の端を、血濡れで弱々しく呼吸する赤子に握らせた。
朦朧としたまま、逃げるために、森をうろついている刺客の馬を捕まえに行き、そしてその途中で力尽きた。
深い藪の中、人知れず倒れた彼女は、夜が完全に明けて日差しが降り注ぐ中、ぐったりと倒れた血濡れの赤子を誰かが見つけて悲鳴を上げるのを聞いていた。
(ああどうか……生き延びてください、小さな、エルメリオ殿下……)
そう祈りながら、誰に見つかることもなく彼女は最期の吐息を漏らして死んだ。
失われた第三王子エルメリオ。
彼はそうして元の名を失い、何も知らぬままジゼット村の子として育っていくことになったのだった。




