第37話.ショタコンが合流
リオの叫び声を聞いて勢いよく振り返ったら、ノワールが床に膝と手を付いて呻いていた。
その身体の端々がゆらゆらと陽炎の様に揺らいでいる。魔眼で見なくても分かるくらいに、常なら決して揺るがない精霊の魔力が不安定にふらついていた。
その傍らでリオはノワールの腕に触れて必死に声をかけている。私も異常事態を肌に感じて彼に駆け寄った。
「ノワール、どうしたの?!」
「っ、やられた……」
苦痛からか辛そうに顰めた顔に自嘲する様な笑みを浮かべたノワールは短く息を吐いて「っ、はぁ……」と床に付いた手を固く握り締めた。
「邪神を封じている森に置いていた俺の眷族が殺された。封印が緩んでいる……」
「えっ……で、でも、心臓とか、信徒の命とか、そう言うのがないと復活しないんでしょ……?」
「…………あと一つで、足りるんだ」
背筋が冷えた。
「そ、れは……」
「だから奴等は、決着をつけにきている」
ノワールの手が私の二の腕を掴む。その手は常の彼からは想像できないくらいに震えていた。
「絶対に捕まるな。俺はしばらく力になれない……だから、俺が戻るまで、何としても持ちこたえろ」
「ノワール!」
二の腕を掴んでいた力が弱くなり、その手がうっすらと透ける。そしてノワールはゆらりと空気に解けて消えてしまった。
「お姉ちゃん……」
不安そうな声で私を呼んだリオが、ひしと抱きついてくる。私はその背を優しく撫で、深呼吸をして立ち上がった。
「行こう。皆と合流して、この事を伝えなきゃ」
「うん」
きっと大丈夫。
不安でたまらないけれど、私にはリオがいるから。
―――――………
途中途中で残っていた邪神ファンを吹っ飛ばしながら公爵邸の北側に辿り着く。件の扉の前にはメルキオールとエドワードが立っていて、走ってきた私たちを見るなり「来た!」「無事だったか!」と声をかけられた。
「私たちが最後ですか?」
「そうだよ。みんな無事」
「良かった……」
一先ず少しだけ安心だ。
「さあ、早く入ろう」
「はい」
両開きの扉を開けて室内に入り、スティックハンドル型のドアノブ(コンサートホールのドアみたいだ。流石公爵家、あらゆるものの規模が違う)を、メルキオールの魔法と私の魔法で物理的にも魔法的にもギチギチに拘束しておく。
「アイリーン、リオ、無事でしたのね!」
「ラタ、ジェラルディーン!」
室内へ向けて振り返ったそこへふわりと駆けてきたラタフィアを抱きとめる。少し離れたところでは若干疲れた様子のジェラルディーンが一人がけのソファーに座っていた。
「ジェラルディーン、大丈夫? もしかして怪我した?」
「いいえ……ただ、現在ここを預かっている者として、敵に侵入されていたなんて腹立たしくて悔しくて」
「それは、ジェラルディーンは何も悪くないよ。悪いのは邪神ファ……信徒だけ」
「……そうね、ありがとう」
青白い美貌に微かな笑みが浮かぶ。彼女は責任感が強いから、私の拡声魔法放送を聞いてからずっと面目ないと思っていたんだろう。
「話したいことがあるから聞いてもらえますか」
「今は少しでも情報が必要だからね、頼むよ」
アーノルドに促されて、こっくりと頷いた私はジェフのこと、ノワールのこと、そして邪神ファンたちの本気について話し始めた。
「……それは、まずいね。精霊にすらダメージを与えるとは……今、黒の森にいる信徒は一体何者だろうか」
「何となくですけど、学園に侵入したっていう信徒なんじゃないかな、と」
「なるほど。確かに有り得るな……」
「それだけ手練れならば、あの学園内で隠し通したことも頷けるわね」
あー、普通に怖い。
そりゃああと一つの心臓で足りたら全力で狙いに来るよね……ガチガチの精鋭揃えた態勢で黒の森と公爵邸を攻撃してくるはずだ。
ぬわーっ、最悪。
ヒロイン補整とかすっかり意識の外だったけど、最後の心臓とかもう、属性盛り過ぎ要素盛り過ぎか? この私がラスト・ハートだ……何言ってんだろ疲れてんな。
皆を巻き込んだことに関してはもう諦めよう。申し訳ない、と言ったって構わないと笑ってくれる人ばかりだし、その事でうじうじしているよりも身を守るために動くべきだよね。
「闇の精霊を沈めた今、アイリーンがいるここを総力で叩きに来るね」
「やはり籠城か」
「王宮へ鳩を飛ばすことができればいいけれど……」
魔生生物の伝書鳩である。手紙を送るのによく使われる方法だ。
公爵邸は勿論沢山の鳩を所有していると思うけど、鳩舎にいる鳩をここから呼ぶのは、ジェラルディーンの表情を見る限りでは難しそうだ。
「迎え撃つには戦力が心許ない。援軍を呼ばずに籠城するのは無謀すぎますし無意味ですわ」
「今邸内に残っている兵たちの数も正確に把握できないし……」
「いっそのこと、本格的に襲われる前にここから逃げるのは駄目かな?」
「アイリーン、それだと本当に無防備な状態で襲われる確率がグンと上がるよ」
「うっ……」
呻いて椅子の背もたれに身を預けた私を隣の椅子にちょこんと座っているリオが心配そうに見つめてくる。
うぐぉぉぉ……リオにこんな顔をさせてしまうなんて。
彼はこの話し合いに参加せず、じっと座って私たちの話を聞いていた。色々と考えているのはその顔を見れば分かる。
「キツいなぁ……向こうは総力戦でしょ、こっちは学生六人、未就学児一人……ぬーん」
まあ? 未就学児ことマイエンジェルリオは、火寮の一年生の大半より優秀ですけどね??
……現実問題、身体的に限界はあるから魔法だけじゃどうしようもない時があるのがしんどいね。つら。
「……今のうちに、鳩さんを飛ばせないでしょうか」
そしたら突然リオがそう言った。
ぶつぶつと自分の思考を整理していたその場の全員がリオを見る。
幼子の言葉、と一蹴することはせず「どうしてそう思うのかな、リオ」と訊ねるのはアーノルドだ。
「お姉ちゃんが言った通り、今はまだしゅうげきが、はじまったばかりなので、今なら、あぶなくないかと思って……」
「……確かにそうだが、危険はゼロではないぞ。鳩舎までの道の安全が確認できればまだマシだが……」
そう言って腕を組むエドワード。
彼の言う通り危険はゼロじゃない。
そして誰も言わないけれど、この場にいる全員が「この場で自分の一存で死ぬことはできない」立場なのである。
この国の未来を担っていく次代の王族に貴族たちと優秀な人材、そしてこの世界を滅ぼす可能性がある最後の心臓の持ち主とその愛しい弟。
私は確実に行かせてもらえないし、他の人も鳩を取りに行って殺されたり、人質にされたりしたらかなりまずいのだ。
「道の安全……確認……」
不意にジェラルディーンがほっそりとした手を顎に当てて呟く。その燃えるような紅玉髄の双眸がふと私を射抜いた。
「アイリーン、先日のあれを、もう一度できるかしら?」
「あれ……?」
「侵入者がいるかもしれないと騒動になった夜に、邸宅全域を通過する結界を張ったでしょう」
「……あっ」
ゴーストバスターのあれか。
サーチアイと叫んで床をぶっ叩き、不審者発見器として発動したあの結界型魔法。
結局ゴーストバスターし損ねたやつね。
「確かにあれなら道の安全、確認できるけど……地図ある?」
鳩舎の位置分かんないから道順も分かんない。地図がないと詰みだ。
そう訊いたら、するりと立ち上がったジェラルディーンが部屋の奥の棚へ向かう。
「籠城の話が出てから、この部屋に色々なものを運び込ませておいて良かったわ」
彼女が手に取り、私たちの前の机に広げたのは公爵邸の間取り図だった。




