第36話.ショタコンの戦闘
邸宅の北側目指して全力で走っている。
侵入していた邪神ファンは“あの人”だけかと思ったけど、様々な方向の遠くから破壊音が聞こえてくるので残念ながらそうではないみたい。
いや、もしかしたら“あの人”が何らかの方法で招き入れたのかも。とにかく、現状公爵邸内に敵は複数存在しているってことだけ意識していよう。
「アイリーン、前から来るぞ」
「気づいてる、よっ!!」
ノワールへの返事の途中で『水縛』を勢いよく放つ。
曲がり角から飛び出て私たちを襲おうとしていたぼろい服の女が悲鳴を上げて床に転がった。
必死に藻掻いているけれど私の魔法が簡単に破れると思うなよ。縛られたまま転がっててくれ。
「今の見た感じ、やっぱり外から現在進行形で入ってきてるのかな?」
「そうだなぁ……奴がそういった魔法を使うのかもしれない」
うん、あんなぼっろぼろの服着た人、公爵邸にいるわけないもんね。ゲートとかそういう便利な魔法を使える邪神ファンがじゃんじゃか仲間を呼んでいるわけだ。余計なことしやがって。
その時だった。
全力疾走する私たちの後方で突然に大量の魔力の気配がぶわっと溢れ出した。湧き水みたいな気配の溢れ方だった。
ゾッとして振り返ったら、こちらだけでなく方々へ散っていく大量の老若男女の真ん中に、どろどろと凝縮した闇を纏う“あの人”が立っていた。
「どこへ、行かれるのでありますか?」
「……取り敢えず、貴方のいないところかな」
人好きのする柔らかな笑み。
昼前に会って、声をかけたときそのままの立ち姿。
でも、滲み出す邪神の闇の気配がその人の本質を叩き付けるように主張している。
「だから退いてもらうよ――ジェフさん」
私の部屋をずっと守ってくれていた弟思いの衛兵さん。
いったい、これほどの闇をどうやって隠していたんだろうか。隠せそうもないほど心の全てを黒く染めているというのに。
ノワールすら、近くにいただけでは気づけなかったという。本に残る残滓を追ってようやく気づいたのだと。
私はぎりっと拳を握り締めた。
先程の『邪神ファン湧き水』事件の様子から推測するに、たぶんジェフさん……ジェフがゲート系魔法の持ち主だ。
なら、一発で沈めなきゃ。
「『精霊の愛し子』どの……私にも弟がおります……」
両拳に魔力を集めた。ぐるぐると巡らせてその質を練り上げる。決めるなら一発。拘束した後に頭部への衝撃がいい。
「可愛い子で、ジョニーと言うのです……あぁああ……ジョニィィ……六つで、たったの六つで、私を置いていった愛しい弟……」
ざわっ……とうなじの産毛が逆立つ。本能的な恐怖。目の前で顔を覆って呻くだけの相手が何故か異様に怖い。
「あ゛ぁぁ~……ジョニィィィッ!!」
直後、叫んだジェフが床を蹴った。跳躍する様は獣のそれそのもので、恐怖を感じながらもリオを引き寄せて飛び退く。
ジェフの手がさっき私たちが立っていた床に触れた。直後彼の纏う闇が石製の床に浸透して、瞬きの間の後、暴れるその力によって床をバキバキッと砕く。
「うっ、わっ!!」
そして床にぐるりと現れる闇色の円。そこからわらわらと溢れてくる邪神ファンたち。
ノワールが魔力を放って次々昏倒させていくが、本命のジェフにはあと一歩のところで足りない。溢れ出てくる邪神ファンたちがジェフを庇うのだ。
とにかく片っ端から縛り上げてその辺に転がす。
「ジョニィィ、うぉぁぁっ!!」
「っ、また……!」
何回も叫ぶなや聞こえてるわ!!
苛立って、そのまま再び溢れ出てくる邪神ファンたちを縛り上げようと魔力を展開した瞬間、気づかなきゃ良かったことに気づいてしまう。
「一般人、混ぜてるの……?」
は?? 完璧にクソじゃん。
「くっ……アイリーン、すまない。俺はただの人間には手を出せないっ……!」
「分かったっ、取り敢えず邪神ファンだけよろしく!」
ノワールの声に答えつつ、どんなに苦しくてもやっていいことと悪いことがあるだろうと歯を食い縛る。
たとえ愛しい弟を早くに亡くしたとしても……たとえ六つでだとしても……それが等しく幸せに生きるべきショタだとしても……
ぐっ、ぉう゛ぅぅ……
……自分事として考えたら駄目だ。この世界に舞い降りた天使たるリオが、そんな可愛い盛りで先立つ、ぐっ……いなくなってしまう、うぐっ……なんて。
~~~~っ無理!
耳を貸しちゃ駄目だ。同情で敵を沈められるなら苦労しない。切り替えろ、私。
「ぁあああっ、ジョニィィィッ!!」
再び溢れ出す、一般人混じりの邪神ファンたち。
元の壮麗さは見る影もないぼろぼろの廊下は私に縛られて転がっている人で埋め尽くされている。
そろそろ片を付けないと人の山の処理が後で大変になる。邪神ファンはともかく、混ざっている一般人は必ずお家に帰してやらなきゃいけないし。
「ノワールッ、リオを!」
「っ、承知した!」
不安そうな顔で私の小脇に抱えられていたリオをノワールに預ける。精霊として干渉を許されないらしい一般人が多く混ざっている以上、魔法の自由度が高く、更に言えば攻撃力の低い魔法が使える私が決めた方が早い。
ノワールがリオを抱えてふわりと天井近くまで飛び上がる。それを見届けてから、私は数歩後退し、魔力を巡らせた右手で床に触れた。
「凍てつけっ!!」
言葉にも魔力を乗せて放つ言霊。
途端、魔力が頑丈な氷に変化する。それは瞬く間に広がって廊下に溢れる人々の足を一気に太腿の半ばまで覆った。
逃がさない、という意志を込めた魔法は私の思いのまま、その場で床に足を付いていた全員をギッチリと捕らえている。
床を蹴って、氷に足を捕らわれた人々の間を抜け、ジェフに接近する。その過程で右手にバチバチと爆ぜる青白い雷魔法を生み出した。
漏れなく氷に捕まって動けないジェフは迫る私を見て、黒く濁った目を――――
「っひ、ひひひ……『精霊の愛し子』どの、残念ですが……“合図”がありました」
――にんまりと細めて、心底嬉しそうにそう言った。
ジェフの中で魔力が動く気配がする。それを感知したときには私の手が彼に届いていた。
青白い電流がジェフの身体を躊躇いなく走る。ガクガクッと震えた彼は白目をむいて失神したようだ。
合図、とやらが何のことかは分からないけれど取り敢えず公爵邸に敵が流れ込むことは止められた。
「行こう――」
行こうか、と言いかけたところで「ちょうちょのお兄さんっ!!」というリオの悲痛な叫びが私の耳に突き刺さった。
ジョニィィィって鳴く邪神ファン……はて、どこかで聞いたような。




