第35話.ショタコンと影の鳴動
リオと共にいくつもの本棚を回り、あの本を探したけれど見つからない。溜め息を吐いて「……少し、休憩しよっか」と呟く。
こっくりと頷いたリオを伴って近場の椅子に腰掛け、私はテーブルにべっちょりと伏せた。
ずっと昔に入荷した本に紛れ込んじゃってた説を全力で推す……なんかほら、邪神ファンってやりそうじゃん。サブリミナル効果狙いってわけじゃないけど、無差別に布教してくる感じ。うん、やりそう。
そうじゃないとしたら。
王家の次に高貴とされ、その分独自の警備も厳しいだろう公爵家にすら邪神を信奉する人間が紛れ込んでいるということになる。
ならば、もしかしたら王宮にも紛れ込んでいるんじゃないだろうか。貴族も、雇っている使用人以外の、つまり爵位を持つ本人たちがそうである可能性だってないわけじゃない。
……伯爵令嬢だったサラサッタだって学園にいる間に取り込まれた。その家族は、後から聞いた話だけど、全員……殺されてしまっていたそうだ。
彼女自身は未だ行方不明。多分、生きているんだと思うけど……
心に隙があるだけで、簡単に闇を流し込まれてしまう。そんなの、心に弱いところがあって当たり前の人間が対処できるわけない。
「はぁ……」
ノワールの方はどうかな……
あれだけキリッとしてたから、何らかの成果は掴んでくると思う。やっぱり、人とは違う生き物だから捜索力も違うよね。
「おつかれ、お姉ちゃん」
「うう~、ありがとうリオ~……」
べっちょり伏せた私の頭をリオが優しく撫でてくれる。はぁぁぁ慈愛の天使か……?
「リオも、疲れちゃったよね? 付き合わせてごめんね……」
顔を上げて撫で返す。うっとりと目を細めたリオは「ふふ」と微笑んだ。
んん゛~~っ!!
ぷりちぃの国から来たぷりちぃ大使だこりゃたまらん。私の腕の中の大使館に永久就職しない??
弟が天使なので今日も生きていける。
常にリオを摂取していてぇな~と思いながら、身体に元気が少し戻ってきたので立ち上がった。
リオが穏やかに微笑んでいる、そんな平穏を守るためならばこのショタコン、二十四時間働けるはずだ。
と、思って握り拳を天へ掲げたところへ黒い蝶の群がやって来る。艶やかに散る紫の鱗粉に濃密な闇の気配。ノワールだ。
「ちょうちょのお兄さん!」
リオが顔を輝かせて立ち上がる。個人的には少々複雑だけど、リオが嬉しそうなので、まあ……良し……とする。
一塊になった蝶の群から、ふわりと美しい青年の姿に戻ったノワールの表情は、常の飄々とした様子からは想像できない緊張を浮かべていた。
その顔を見て察する。確実に、物事は良くない方向へ向かっているんだと。
ごくりと唾を飲み、傍らのリオの手を引き寄せて握る。この手だけは絶対に離さない。
「アイリーン……落ち着いて聞いてくれ」
「……うん」
「君の言った本を今、持っている人間を見つけた」
震えた私の手をリオの手がきゅっと強く握る。
「その人間の名は――――」
―――――………
場所は変わり、バイルダート王国の北の果てに広がる黒の森。
黒い木々を白に浮かび上がらせる様な濃霧の中で、紺碧と漆黒が激しくぶつかり合っていた。
鮮やかな紺碧の長髪をはためかせ、黒衣の裾を翻す魔女の名は黒の森の番犬。子牛ほどの大きさの黒い猟犬ライラプスと共に、襲い来る偽物の闇に対抗している。
対するは全身を被う黒いマントのフードで顔を隠した若い男。数ヵ月前に黒の森を訪れたあの邪神信徒である。
「く、はははっ、どうした番犬よ。ここはお前の領域だろう?! 動きが鈍いぞ!」
「っ!」
哄笑する男の言う通り、濃霧に覆われたこの森は番犬の領域である――はずだった。
(喰われている)
番犬はこの森の黒々とした土と木々の枝葉、大気に満ちた霧の一粒に至るまで、全てにその魔力を巡らせている。
しかし男がその足を再びこの森に踏み入れてから、それが端からじわじわと喰われ始めたのを感じていた。
結果、この森の支配権が揺らいでいる。
精霊たちの力により地の底で永遠の眠りにつかされた邪神は、闇の精霊から切り分けられた番犬の力によって更に押さえ込まれている。
しかし今、森の支配権の揺らぎを敏く感じ取って邪神は目を覚まそうと活発な身動ぎを始めていた。
(まずい)
放たれた忌まわしい闇の刃が番犬の白い頬を裂く。赤の代わりに黒が散った。彼女の身は闇の精霊から分けられた古の魔力でできている。
(私たちが死ねば、主へ反動が……)
十中八九『精霊の愛し子』を守るためそのそばにいるであろう主人を思い、番犬は顔を顰めた。
今ここで自分が死ねば、その反動が彼に襲いかかることだろう。それが隙となって愛し子を奪われる危険がある。
「ライラプスッ!」
片割れの声を受けてライラプスが男へ襲いかかった。しかし男は影の様に揺らめいて黒い粒子の塊に変じ、白い霧に混じって魔女と猟犬を取り囲む。
グルル……と低く唸るライラプス。すでに支配の手を離れてしまった霧を打ち払う術を持たない番犬の頬に緊張の汗が一筋伝う。
『くくく、そろそろか……』
「何を……」
『決着の時だ、番犬よ。我が主のため、ここで死ね』
男の嘲笑が響き渡り、次の瞬間ライラプスの首が飛んだ。
瞬きの間の後、ライラプスの身体は闇の魔力の粒子になって空気に解ける。
片割れの死。一気に自身の存在が不確かさに揺らがされ、番犬の顔が蒼白になった。
「な、何を……」
『貴様らは我々を見誤っていた。我々はあの御方の戻られるときを信じ続け、決して忘れなかった』
霧を裂いて飛び回る攻撃魔法が目で追えない。黒の森のほとんどが奪われた。力が満足に発揮できない。
黄金色の瞳を見開いて、必死に魔力を展開するが、それもすでに端から侵食が始まっている。
「お前たちに、勝ち目はない、わ……」
『くく、はははっ!!』
魔女の白い指先が黒く朽ちていく。
これほど邪神の闇に染まった人間は初めてだ。何故ここまで、と瞑目した魔女の首を刃が切り裂いた。
『貴様らが今更どう足掻こうと、勝つのは我々だ』
ドォォォン……と大地が揺れる。
邪神が、その目を開いた。
―――――………
もうこうなったらなりふり構っていられない、と言うことで私は今、リオとノワールと一緒に公爵邸の廊下を走っている。
走っているのは私とリオだけだけど、こう、気分としては一緒に走ってる感じなわけよ。ふわふわ浮いてて、息切れしている身としては羨ましいけど。
邪神を封印してある黒の森っていうのが王国の北にあるらしいんだけど、そこにはノワールが力を分けて作った番犬がいるそうだ。
ノワールはその番犬が攻撃されていると言って「万が一あいつが破壊されたら、俺はしばらく動けなくなるかもしれない」と顔を顰めた。
これ、もしかしなくても邪神ファンたちが結束して動き始めたってことだよね?
ヤバのヤバのヤも言ってられない緊迫した状況だ。そうなると、公爵邸が襲撃を受ける可能性も高い。
と言うわけで、私たちは邸宅内にいる友達二人と攻略対象たちにこの危機を知らせに行くところである……んだけど。
「ぜっんぜん見つからないっ!!」
公爵邸、広すぎぃっ!!
この状況では使用人や衛兵は完全に信用できないので、探してもらうわけにもいかない。そして悲しいことに私が一番危険なので、ノワールに離れてもらうことも正直し難い。
「メガフォン……放送……あっ!」
こんなときに是非欲しいものを考えていたら不意に思い出したのは、故郷であるジゼット村が邪神ファンに襲撃されたときに村全体へ響き渡った邪神ファンの『精霊の愛し子はどこだぁぁっ!!』という声だった。
「拡声……空気の振動……魔力を……」
「アイリーン?」
ぶつぶつと思い付いた考えを片っ端から呟く私の様子に気づいたノワールが怪訝な顔をする。
少し待ってほしい。このチート体質は想像以上にチートなので、思い付いたことはとりあえずやらせてほしいと思う。
「よし……二人とも止まって!!」
急ブレーキ。こちらを見上げたリオが呼吸を整えながら「何か、おもいついたの?」と訊ねてくる。
ヅンッ……可愛い……紅潮した頬と少し荒い呼吸……汗ばんだ肌に張り付く金糸の髪の悩ましさ……お゛ぉん……たまらん。
「拡声器が無いなら……私が拡声器になるんだよっ!!」
自分の心から迷いを払うためにそう宣言し、魔力を込めた声に力を乗せる。
『えー、公爵邸内の、私の味方の皆さん聞こえますかーー?』
空気が震える。魔力を伝って敷地内に響き渡る私の声。
これじゃあ敵方に「動き出したのがバレたな」ってバレるけど、もうそんなこと言っていられない。
どんなに強くても、想定外の相手から突然攻撃されたら確実に怪我をする。味方、と言うか何も知らない人たちへこうしてアナウンスすることで何もできないまま怪我したり、死んでしまったりする人を減らすんだ。
『現在、公爵邸内に邪神ファ……信徒が入り込んでいることが判明しました。無差別攻撃に注意してください』
さあ、どうやって友達二人と攻略対象たちと集合しようか? 彼らといる方がお互い安心だし戦力的にも心強いから集まれるなら集まりたい。
ラタフィアとジェラルディーンはともかく、攻略対象である三人は恐らく確実に味方と言えるはずだ。
ゲームシナリオの記憶は無に等しいとは言え、裏切る系の攻略対象って隠しキャラ系なんじゃない? と思うし。
だーっ、もう、あのね、思わせてくれっていう感じの状況だもん。頼むから誰も裏切るな。
こんなときに「ふっふっふっ……私が邪神信徒だったのだ!」とかうぜぇ正体バラしイベントを起こしたりしたら、キレて頭髪とかナニとか……とにかく男子的に悲しくなる奴を引っこ抜くからな!!
文鎮アタッカー・ショタコンを舐めるなよ!!
私たちだけに分かる集合場所……そうだ!
『えー、先日のお茶会での会話で、唯一出てきたお部屋に集まりましょう……この意味が分かる人だけ集合です!!』
北側の中心の部屋。籠城するならここかなって話をしていた部屋だ。部屋に関する話は籠城のことしかしていないから、きっと集まれるはず。
『どうか怪我しないでっ! 放送は以上です!!』
拡声の魔法を解く。土壇場でやってみたけどやはりやってみるもんだ。今だけチートに感謝。心臓狙われてるのもこのチート体質のせいだがなっ!!
「行こう」
部屋のことを正しく理解したリオが頷き返す。ノワールとも頷き合い、私は再び走り始めた。




