第32話.ショタコンの味方と叫び
その夜。一人夕食を食べて部屋に戻ってきたリオと何を話すでもなくただ一緒にいて、心が受けた衝撃を何とか散らそうと試みていた頃。
「アイリーン、いらっしゃいますか?」
「……ラタ?」
控えめなノックの後、鈴を振るような穏やかな友の声で呼び掛けられた。問い返せば「ええ、ラタフィアですわ」と答えが返ってくる。
安堵してそろりと扉を開け、そこに立っていたラタフィアに「こんばんは」と取り敢えず挨拶をした。
「ええ、こんばんは。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「うん、勿論だよ」
ソファーに腰かけて借りてきた本を読んでいたリオが「こんばんは」と挨拶をすると、ラタフィアもほわりと微笑んで「こんばんは。良いご挨拶ですね」と答えた。
普段なら「ンッフフ、すごいでしょ。可愛いでしょ」と弟自慢をしていたところだけどその元気も湧かなくて、私はラタフィアに一人掛けのソファーをすすめ、自分はリオの隣に腰かける。
「ラタ、ええと、何かあった?」
「ふふ、アイリーンこそ。何があったのですか?」
うわぁ何かあったこと確定の聞き方をされてしまった。
そりゃそうか……馬鹿みたいに食べる奴が何も食べなかったら何かあったこと確定だよね。うん、それがストレスだろうと胃腸問題だろうとも“何かあった”に変わりはないからな。
分かりやすく目が泳いだ私に、ラタフィアが鮮やかな青風信子石の瞳をスッと細める。
「この屋敷であったことは、ジェリーや公爵様には相談しづらいでしょう? ですから私に、と思ったのですけれど」
「……うん、まさに、そんな感じ、です」
気遣いの鬼か……??
私はちらりと隣のリオに目を向ける。彼はこちらを真っ直ぐ見上げていたので「少し怖いお話だよ。聞けるかな」と訊ねてみた。
リオはこっくりと頷いて「お姉ちゃんの力になりたいから」と答える。弟が優しすぎて泣いてしまいそうだ。
「じゃあ……――――」
私は図書室で見つけたあの本について、なるべく心を揺らさないように心がけながら静かな声でラタフィアに伝えた。
「……なるほど。そんな本が」
「うん……」
全て話し終えた私に、ラタフィアは深く頷いてから「怖かったですね」と言って肩を撫でてくれた。
リオは黙ってその小さな頭を私の腕にすり寄せてくる。温かさがありがたい。私は小さく「ありがとう」と呟いた。
「……貴方を安心させてあげたいのですが、こればかりは“絶対に大丈夫”とは言えません」
「うん」
「ジェリーや公爵様、殿下やお兄様、そして……私のことすら疑ってかかってくださいな」
「う゛っ……うん」
「それでよろしいですわ」
それはかなり辛い。内心でそう思ったのが伝わったのだろうか、ラタフィアは困ったように苦笑して「アイリーン」と私の名前を優しく呼ぶ。
「幸いにも、殿下と公爵様は明日、ここをお発ちになられますから、警戒すべき相手は減りますわ」
「そうだね……」
「お兄様もそれについて行かれます。残る私や、ジェリー相手ならば貴方は確実に勝てるでしょう?」
「多分……?」
「ただ……ここが手薄になることを警戒して、公爵様が方々へ手を回していらっしゃったので、明日、誰かがいらっしゃる可能性もあります」
「えっ」
何それ聞いてないんですけど。
いやだ、切実にいやだ。そこに邪神ファンが紛れ込んでいたらどうすんのさ!
複雑な感情が「んにぃ……」と複雑な音になって口から漏れ出る。
「そんな顔をしないで、アイリーン。誰が来ても、とにかく自分たちだけを守ることに専念してください」
自分たち、と言いながらラタフィアはリオへ視線を向ける。
「貴方が、唯一確実なアイリーンの支えです。貴方のお姉様が、心折れることがないように、そばを離れずにいてくださいね」
「はい」
柔らかな菫色の瞳で、リオはラタフィアをじっと見つめ返してから頷いた。その短い返答に確たる意志を感じて、私はヴッと胸を押さえ、ラタフィアは美しく微笑む。
「ふふ、アイリーンも、いつもの調子に戻って参りましたわね?」
「んふ……ラタが来てくれて、リオがずっと隣にいてくれて、何か、すごく落ち着いた気がする」
ありがとう、と再度二人に伝える。
リオは「よかった」と笑い、それに頷いたラタフィアも「そうですわね」と鮮やかな双眸をゆるりと細めた。
本当に、私幸せ者だなぁ。
「それでは、そろそろお暇致しますわね」
「うん、ありがとうラタ」
「いいえ。本のこと、力になれるかは分かりませんが、なるべく調べてみます」
「私も頑張ってみるよ」
そうしてラタフィアはお淑やかに礼をすると立ち上がって部屋を出ていった。
と思ったら閉じきっていない扉からひょっこりと頭だけを出して「そう言えば」と何やら付け加えに戻ってきた。
「ここへ夜食を届けるように頼んでありますから、あと少しお待ちくださいね」
「えっ、あっ」
直後、私の腹がギュグルゥゥゥと猛獣の咆哮みたいな音を盛大に立てた。
安心したからお腹空いてきたのね。なるほどね。はっずかしい。タイミングを考えてほしい。ある意味ベストなタイミングではあるけれど。
それを聞いたラタフィアが「やはり」と微笑んだので、顔が赤くなるのを感じながら「ありがと……」と礼を言った。
届いた夜食は温かなリゾットだった。もっしゃりと食べて、身体が温まるとかなり元気が出た。
よし、邪神ファンの怖い本なんかには負けないぞ。私の心臓は私のものだ。
―――――………
翌日の昼頃。
「嘘ぉぉぉぅっ!!」
私の心の奥底からの叫びが青く晴れた空へ響き渡った。
「もう、うるっさいんだけど」
「変わらず元気そうだ!」
「驚かせてしまったかな」
しかめっ面のピジョンブラッド、煌めきの透石膏に穏やかな橄欖石。
今日去っていく二人と、隠れ潜むノワール以外の攻略対象三人が公爵邸の玄関ホールに立っていた。
嘘じゃん、あまりにもむごい。
レオンハルトはともかく、こちらに向けられている矢印が物凄いギルバートとおさらばだぜ、と思ってうひょうひょしてたらこれだよ!!
面倒くさそうなメルキオールさん、忙しいだろう第二王子のアーノルドさん、どうぞお帰りください切実に。そしてエドワード、貴方はガチで帰れ。
平和に済まないこと間違い無しの状況ラインナップ。もうやめてっ、ショタコンのライフはゼロよ!!
思わず叫んだよね。それがさっきの大絶叫だよ。体面取り繕うとかもう考えられずに本能から出た叫びだったね。
公爵邸を揺らした私の叫びに、ジェラルディーンが溜め息を漏らし「わたくしの弟も呼べたら良かったのだけれど、どうしても忙しいと言われてしまったわ」なんて言っている。
彼女の弟は王都にあるタウン・ハウスで公爵の仕事の勉強をしているそうだ。これ以上顔の良い男が増えると私の神経が保たないので是非そのままずっと多忙でいてくれ。
「部屋に案内させますわ。お話は後程ティータイムで」
ジェラルディーンはそう言って使用人を呼び、三人をそれぞれの部屋へ送った。
これがサスペンスだったらこの後誰か一人くらい亡き者になるのにな……と人として酷い現実逃避をしつつ「ティータイムすんの……?」と隣のラタフィアに訊ねる。
白百合の美貌をほわりと笑みの形にした彼女は「ええ勿論」と嬉しくない返事をくれた。
「そうなんだー……楽しんでねー……」
「何を言っているの? 貴方も来るのよ」
「ひょえっ、ジェ、ジェリーさん、そんなご無体な……」
許してぇぇ、その時間はお腹を壊す予定があるんですぅっ!!




