第31話.ショタコンと古い本
予想外のタイトルにぽかんとした私はしばらくの間、開いたそのページをまじまじと眺めていた。
『精霊の愛し子たちは何処へ消えたのか』
何度読んでもそう書いてある。
この国の少し昔の書き言葉で、少し傷んだ紙のページの真ん中に。直筆か写本師の書いたものかは分からないけれど、几帳面さを感じる字でさらりと書いてあるのだ。
精霊の愛し子たちは何処へ消えたのか、と。
……いやいやいや、消えたも何も、ここに一人いるんですが??
恐ろしい衝撃を私にもたらしたタイトルのお陰でこの本に物凄く興味が湧いた。一体いつの本だろう。
公爵はどんな経緯でこれを入手したんだろう。いや、これだけ古いと当代じゃない可能性もある。それでも、こんな本、見たことも聞いたこともなかった。
かつて宮廷魔導士長だった師匠なら知ってそうじゃん? 知ってたら教えてくれるでしょ。それに公爵邸の図書室でこれなんだから王宮の図書室はもっともっとすごいんでしょ? 絶対こういう本ありそうじゃん。で、あったら師匠は読むでしょ。
あと、魔法専門の研究機関でもある学園の図書館にあってもおかしくないよね? あそこ、すごく難しい本が超大量にあって教授たちがよく読んでいるの見るもん。
つまり、それほど貴重な本ってことだよね。それがこんな風に棚の隅っこにぽつんと置いてあるとかどういうことよ。何かしら大きなものの力を感じる。怖い。
きょろ……きょろ……と辺りを恐る恐る窺ったけど何もいないみたい。変わらず静まり返った図書室の中には、私以外にリオが日の当たる席で真剣な表情をして大きな本を読んでいるだけだった。
うーん、高い位置にある窓から差し込む陽光に照らされたリオの金糸の髪の何ときらきら美しいこと。やはり天使。
多分大丈夫、この一連の流れは運命だったのだと自分に言い聞かせて次のページを開く。
目次もなく、いきなり本文が始まっていた。けっこう薄い本だからかな。
『かつて、精霊たちはその姿を我々によく見せたのだと言う。彼らは我々人間によく似た姿をしており、とても美しかったそうだ』
『しかし、常人には彼らの言葉は理解できなかったらしい。魔法行使の際に使われる鍵言は彼らの言葉であるが、どの地域の言語族にも属さぬものであると言語学者ガックスケリアが証明している』
『つまり彼らの言葉は独自の進化を遂げた固有の言語ということになるのだが、ある時彼らの言葉を解する人間が生まれた。史上初の“精霊の愛し子”である』
『その“精霊の愛し子”は、まったく普通の夫婦の間に生まれたらしい。そして言葉に不自由があるわけでも、精霊たちの言葉を話すわけでもなかったそうだ』
『身の内に宿す魔力は無属性。精霊たちの囁き声を聞いて未知の魔法を使い、逆に彼らに人の言葉を教えて、精霊と人とが直接言葉を交わせるようにしたと言う』
『精霊は人に干渉してはならない。しかし精霊にも心がある。言葉が分かるようになったことで、彼らと人との関係は深まっていったそうだ』
『そしてある時、現代では邪神と呼ばれる大いなる者が、精霊を愛し、殺した人間の中から生まれたのである』
そこまで読んで思わず声が出そうになった。待って、あまりにも詳しい話すぎて頭が追い付かない。そんな状態で、呆然と口から言葉が漏れる。
「邪神は……人間、だったの……?」
これを書いたのも人間でしょ? どうしてこんなことを? 淡々と事実を述べているような書き方だけど、もしかしてフィクション?
ノンフィクションだとしたら、これは誰から聞いた話なの?
ぞっと背筋が冷える。得体の知れないものを目の前にした感覚だ。でも、自分のために読まなきゃ。
『それを聞いて私は衝撃を受け、それから高揚した。神のような存在である精霊を、ただの人が殺すことができる。そして大いなる者は、我々と同じ人から生まれたのだと』
『精霊を殺すという禁忌を犯し、その魔力の全てを喰らった人間は、生きながら神のようなものへと変貌したそうだ。そのものの魔法を受けた人間は獣のようになり、精霊は力を失ったらしい』
『現代でも姿無き力の弱い精霊が大気の中に満ちているが、かつてはもっと多かったそうだ。それが現代のようになったのはその時のことが原因で、これにより人の魔法は古代より弱くなったのだろう』
『強き精霊たちは力を合わせて大いなる者を黒の森に封じ、幾重にも結界を張り、楔を打ち込んで封殿を建てた』
『それからだそうだ。“精霊の愛し子”の数が減ったのは。生きていたものは姿を消していき、生まれる数も減った。それと同時に精霊たちは次第に人の前に姿を現さなくなり、やがてお伽噺の中の存在となった』
『恐らくだが、これは精霊たちへの罰なのだろう。大いなる者が生まれたのは精霊と人とが関係を深めたからであり、そうなるようにしたのは彼らに人の言葉を教えた“精霊の愛し子”なのだから』
『“精霊の愛し子”たちは、罪を苛む太古の闇へと呑まれて消えたのだ。そして彼らがいなければやがて精霊たちも消えていくだろう』
『何故なら彼らは、赦されざる罪を犯したからである』
『我々に救いをもたらす大いなる者を、地の底に封じるなどという愚かな大罪を』
『同胞よ、忘れるな。我々は敵対者である精霊に打ち勝つことができる。それを証明するため、私は今から大いなる者を封じた一人である風の精霊を殺す。今までの話はこれが語ったものであり、愚かにも未だ己の行いが正しかったと思っているようだ』
『そしてその後、この精霊の愛し子の心臓を我らの主に捧げよう。大いなる者の復活が少しでも早まるように祈りを込めて』
『精霊の愛し子たちは数を減らし、闇へと消えていった。だが、思うに必要数があと少しだから自然に減ってきたのであろう。我らが主が目覚めるのに必要な心臓は、本当に、あと、少しなのだろう』
『同胞よ、諦めてはいけない。必ずや精霊の愛し子を探し出せ。どのような情報でも掴んで離すな。愛し子は我らの希望だ』
そこで本は終わっていた。
私は押し退けるようにして本を閉じ、ガタッと音をたてて立ち上がった。心臓がばくばくと激しく鼓動している。冷や汗が止まらない。遠くの席でリオが不思議そうな顔でこちらを見たのに気づいたけど、何も言えそうにない。
どうして、どうしてこんなものがここにあるの?
図書室の静寂すら恐ろしい。駆け寄ってきたリオに腕を伸ばしてかき抱く。リオは驚いたようだったけど、それを気にする心の余裕もない。
「お姉ちゃん……? どうしたの?」
「ごめん、リオ……お願い、少しだけでいいから」
「……うん、いいよ」
床に膝をついて、肩にぎゅっと顔を埋める私の頭を、リオの手が優しく撫でる。
「だいじょうぶだよ、お姉ちゃん。僕がいるからね」
「うん、うん……」
私はしばらくそのまま動けず、リオには迷惑をかけた。でも、リオは何も言わずにずっと優しく頭を撫でてくれていた。
動けるようになって、ちらりと見た机の上にその本はまだあったけど、触る気になれなくてそのままにして帰ってしまった。
あれは、私と同じ『精霊の愛し子』を殺し、精霊すら殺した邪神の信徒が書いたものだ。
どうして公爵邸の図書室にあるのか。
会う人、会う人全てを疑ってしまいそうで、私はその日、体調不良と言い訳をして昼食も夕食もとらずに部屋に閉じ籠った。
私は、いったいどうしたらいいんだろうか。
作者は「まさかこんな本だとは思わなかった」等と供述しており。




