第29話.ショタコンゴーストバスター
その夜、ふっと何かの気配を感じて私は目を覚ました。
ああ、心配でリオを眺めているうちに同じベッドで眠っちゃったんだな……と思ったところで不審者のことを思い出す。
ガバッと起き上がって気配がした方へ勢いよく向き直り……――ガクッと肩の力が抜けた。
「……不審者ってさ、もしかして貴方?」
「いやまさか。この俺のどこが不審だと言うんだ?」
「うーん、端的に言って全体?」
ソファーに腰掛けていたのが見慣れた姿のノワールだったので、そんなやり取りをしながら私は長い溜め息を吐く。
喉を低く鳴らして笑った闇の精霊は「屋敷の人間がバタバタしてると思ったら、何か入り込んでいたのか」とか言ってる。なるほど、不審者のことは知らなかったようだ。
部屋に無断で侵入する時点でご立派な不審者……変質者? だけどな!!
「リオに接触されたから、すんごく警戒してるの」
「ほお。君じゃなく弟にか」
それは君が警戒するわけだ、と言ってノワールはリオを見やる。つられたように私も後ろを振り返ると、私がガバッと起きたりしていたにも関わらずリオは変わらず静かに眠っていた。良かった、起こしちゃってたらどうしようかと。
「ふむ……」
ノワールは腕を組んで何やら思案顔だ。
「何か覚えでもあるの?」
「うーん、少し、な……」
何だ何だ、気になるじゃん。
首を傾げて「怪しい人を見たとか?」と問い掛けるがノワールは「違う」と首を横に振る。
「……一応聞くけど、邪神関係じゃ、ないよね?」
「ああ。それは大丈夫だ、安心していい」
「よかった……」
「奴らじゃないことは確かなんだが、どうにも曖昧な気配でな……」
「曖昧……?」
ぬっ、もしや幽霊か?!
オバケってこの世界にもいたりする?!
まあ、いざとなったらこの拳で戦うよ!
そんな私に向けて、ノワールはうなじをぽりぽり掻きながら苦笑する。
「何て言ったらいいんだか……お」
言い淀んでいたノワールが突然短い声を上げて動きを止めると、いつものようにふわりと空気に解けて消えた。
えっ、と困惑していたが、次の瞬間コンコン、とドアがノックされたことで、私はなるほど、と頭を掻いた。
ノワールも知らない人が見ればどこから入り込んだか分からない不審者か、時代錯誤な格好をしたコスプレイヤーである。
若干緊張しながら「どちら様で?」とドアの向こうの誰かに声をかけた。これで怪しい奴だったら衛兵のジェフさんは音もなくやられたことになる。
まあ……ノワールが何も言わずにいなくなる時点で危険人物じゃないんだろうけど。
「夜分遅くに失礼します」
「……あ、寮長ですか?」
「ギルバートと」
「アー、ハイ」
この受け答えは間違いなくギルバートである。
ドア越しのやり取りでそう確信したものの、こういう状況だから警戒に警戒を重ねようと思って「あのー、ジェフさんは……」と言うと「おります!!」と元気な声が返ってきた。
よし、多分、大丈夫だろう……
一応全身に緩く魔力を巡らせながら、そっと鍵を回してドアを開ける。
見上げた先に夜の薄明かりの中でも鮮やかな水宝玉の双眸を発見して安心した。
「こんばんは。あの、もしかして不審者が捕まったとかですか?」
「いいえ、残念ながら」
うへぇ。
「おかしいくらいに侵入の痕跡が見当たらないのです。それで、公爵邸の衛兵たちから『侵入者など本当にいるのか?』という声が上がり始めまして」
「…………」
言いながら渋い顔をするギルバート。
……それってさ、リオが嘘を言っているって言いたいのかな?
おいおい衛兵さんたちよ……あの天使が嘘なんてつくわけないだろ……節穴か??
私の苦渋い顔に気づいたのだろう、ギルバートが「疲労は疑心を生みますから」と眉根を寄せて言う。
確かにそうだ。私たちが守られて、ぬくぬくとベッドの上にいる間、衛兵たちは屋敷中を駆け回っていたのだから。
彼らを責めるのはお門違いか……よし。
一つの思いつきを胸に、私はギルバートに「リオを頼んでも構いませんか?」と訊く。
困惑したのか、目を見開いた彼は「構いませんが……」と明らかに説明を求める顔をした。
「ちょっと、やってみたいことがありまして」
ヨッシャア、炙り出してやるぜぇ、不審者ぁ!
首洗って待ってろぉ!!
―――――………
「ここがこのお屋敷の丁度真ん中だと思われますが……」
「ありがとうございます」
「あの、いったい何を?」
「まあ見ててください。成功するかは分からないけど」
眠っているリオをギルバートに任せ、ジェフさんに案内してもらって、ザハード公爵邸の大体ど真ん中、らしいところへやって来た。
中庭とかだったらいいなぁと思っていたんだけど、屋敷の前に広がる庭があれだけ立派だからか、中庭はなかった。残念。
ここは中央の大広間で、多分、大きなパーティーとか開くところだと思う。床はつるつるで、ちょっと撫でてみたけど頑丈そうだ。
「よし……」
上手く調整しないと手の骨がお陀仏になるやつだと思いつつ、私は呼吸を整えて全身に魔力を巡らせ始める。
ジェフさんは戸惑った表情のまま、私から少し距離を置いたところに所在なさげに佇んでいる。
「あの、すみませんが広間の外へ出ていただけませんか?」
「えっ、あ、はいっ!!」
これから使うのが『精霊の愛し子』感満載の魔力だから出てもらったんだけど、これはあれだ……門外不出で秘伝の何かすんごい技を使うんだ……と思われたやつだな。
まあいいか、と微妙な感じになった気持ちを切り替えて、ふーーっと大きく息を吐き、私はぎゅっと右手を固く握り締めた。
身体的な力が込められたそこへ、魔力がどんどん集中していく。
その魔力の塊が拳から溢れ出て、銀の光の奔流を見せるほどになったところで、私は「サーチアイだぞ、サーチアイ……」と呟いた。
……丁度いい言葉が私の語彙にはなかったんだ許してくれ。正確には言霊じゃないけど、こうして、やりたいことを何となく魔力に込めるのは大事だからさ。
ぴかり、と魔力が瞬く様に煌めいた。それを、私のやりたいことが行き届いた合図と勝手に思い、私は銀光に包まれた右拳を振り上げる。
「オラァッ!!」
気合いを込めた声と共に、拳を振り下ろす。冷たく硬い床を恐れちゃいけない。自分の魔力の硬さを信じて、思いっきりぶつけるんだ。
ドォォンッと低い地鳴りの様な音を立てて、私の魔力が床に勢いよく浸透していくのが分かる。
そして次の瞬間、床下できゅっと集合したそれが極薄の膜の様な性質に変じて物凄い速さで球状に広がった。
飲み込まれるような感覚が一瞬、次いでこの屋敷全体を通って結界の様な形に広がったそれがキャッチした情報が脳味噌に飛び込んでくる。
「っ……!」
慌てて情報を生命だけに限定しようと魔力を操作したら、今度は小動物や植物の情報まで飛び込んできて、あまりのことにゲロりそうになった。
人間、脳を使いすぎるとゲロしそうになるんだなぁ。
「っふ、ぐぅ……」
目を閉じて全力集中する。限定するなら魔力持ちだけだ。魔導具なんかも引っ掛かるけど、この方がよっぽどマシだろう。
駆け回る衛兵たち、公爵の炎とよく似たジェラルディーンの炎が見える。
レオンハルトの金雷の気配はピリピリと緊張しているようだ。落ち着いている青の水流はラタフィア。
そしてふわふわと優しく温かな紅の炎を宿しているのはリオで、その傍らには穏やかさと芯の強さを兼ね備えた爽快な水の気配。
ギルバートはちゃんとリオのそばにいてくれているらしい。
その時、何やら勢いよく移動していく小さな気配を見つけた。屋敷から遠ざかる方向へ、人とは思えないスピードで動いている。
場所はこのカントリー・ハウスの敷地の周辺を囲む森の中だ。
「っ、いた!」
微弱だけれど、かなり鮮やかな火の魔力を宿しているようだ。
このままノリで捕まえられないかな、と思ったら広がりきった魔力の膜の残りが思考の先で動き、その小さな気配が動いている森の中で魔法に変じた。
えっえっ、マジ??
これはチート過ぎるぞ私。
その場のノリと勢いってすごいな。
木々の根が思いのままに土から飛び出て動き始める。子ネズミみたいにすばしっこい気配はそれを何とも勢いよく避けて……
……これ、避けてないよね??
私が操る木の根にめっちゃ衝突していると思われる軌道を描く気配。と言うか、木の根を通り抜けられた感覚が伝わってきたから間違いなくこれは避けていない。
「え……もしかして本当に……幽、霊??」
そう思って気が少し緩む。その隙を見破られたのだろうか、小さくて弱い気配から勢いよく炎を浴びせられ、木の根がいくつか灰になった。
操っていたそれがやられたことによって意識がグンッと身体に戻ってくる。心臓が早鐘のようになっていて、へにゃりと冷たい床に座り込んだ私は呆然としながら呼吸を繰り返した。
そして。
「オバケ出たぁぁぁっ!!!」
でかい声で叫んで、それから取り逃がした悔しさに床を叩く。
「ゴーストバスターし損ねたっ!!」
あーーっ悔しい!!!




