第24話.ショタコンと悪役令嬢の幸せ
到着の日の夜は、恐らくレオンハルトがジェラルディーンと仲良くお話するだろうから、私はリオと二人、部屋で大人しくしていた。
「うふふ、お姉ちゃん聞いて?」
「うん、いいよ。ご機嫌だねリオ」
私が三人寝ても平気そうな大きさのベッドに転がり、隣のベッドに寝転んでいるリオの声に答える。ベッドはリオの小さな身体にはかなり大きく、彼の華奢な肢体をふんわりと受け止めていた。
「公爵さまがね……」
話しながら嬉しそうにコロコロと転がっている。可愛い、なんちゅう可愛さ。
「僕が火属性だっておはなしをしたら、図書室にある魔法の本はすきに読んでいいよっていってくれたの」
「それはすごい、私も行きたい……ちょっと待って、リオいつの間に公爵様と……?」
「ごはんのあと!」
「ひょえーーっ」
子供の行動力よ!!
私なんて夕食の時、公爵に突然「ジェラルディーンは、学園で上手くやっているかな?」って訊かれて「ダッ、はいっ、すごく優しくて、ミュッ、み、皆に頼られてます!」って噛み噛みで正直に答えちゃったせいでジェラルディーンには睨まれたし、公爵には笑われたし、なかなか散々な記憶しかないんだけど……?
答えの内容的には、公爵は嬉しそうだったし、ラタフィアやレオンハルトは笑っていたから、間違ってはいないんだけどね?
噛み噛みすぎるのが問題だ。
その癖、公爵がリオについて「賢い良い子だな」って言ってくれたときには「はいっ!(実際の発音はハァイッ!!)」とかでかい声で真っ直ぐ答えちゃった。
なんにも噛まねぇの。ショタコンの意地かな。
そんな姉の醜態の後でリオは公爵と勉強の話をしていたと……?
偉すぎてお姉ちゃん目が潰れそう。
流石、尊さマックスエンジェル。
遠回しに(尊さによって)私を殺しにかかってない……?
弟尊し、姉尊死。
「いっしょに、本を読みに行こうねお姉ちゃん!」
「かわっ……ごほん、うん。可愛い」
「えっ」
「おふっ」
隠しきれなかったよジョニー……
―――――………
頬を赤くしつつ「かわいい……」と言われたことに複雑そうな顔をして唇をツン、と尖らせたリオの前で、いやジョニーって誰よッ、とアイリーンが頭を抱えていた頃。
星明かりの下、夜の庭園を歩いている若い二人がいた。
一人は、夜の暗さが己の落ち着かない表情を隠してくれると安堵しながら、そわそわしている王太子レオンハルト。
そしてもう一人は、夜の蒼を纏ってなお絢爛と輝く紅薔薇の美貌に年相応の緊張感を滲ませたジェラルディーン。
「…………」
二人の間には長らく言葉がなかった。
ただ、何か言おう、という意志の気配は感じられる。
レオンハルトは美しき婚約者にその心を問いたかったし、ジェラルディーンは彼が何を知りたいのか訊ねたくてたまらなかった。
しかし素直な心を聞き出すにはお互いの信頼が必須。お似合いだ、と称される二人にはお互いの間に揺らがぬそれがあるという自信がなかった。
それでも、とレオンハルトは口の中をきゅっと噛んだ。こういうとき、最初の一歩を踏み出すべきは今まで彼女を振り回してきたであろう自分なのではないかと思うから。
アイリーンの言葉を思い出す。
もう、彼女のことを考えるのに後ろめたい思いは感じなかった。
「……ジェラルディーン」
「……はい」
長い沈黙の末の、突然の呼び掛けに対する彼女の返答に滲む微かな緊張の理由を察せないほどレオンハルトは愚かではない。
「……俺は、随分お前を困らせていた、と思う」
これが本題ではないのに、ジェラルディーンが答えに窮する気配を感じて、レオンハルトは言葉に詰まる。
逃げ出したい気持ちに襲われるが、そんな己を落ち着かせるように深呼吸する。目を閉じて、開いて覚悟を決めた。
「俺なりに、色々なことを考えた。お前のことや、アイリーンのこと……そして国のことも」
相槌をうつ気配はない。
それでも言葉を続ける。
「お前は出会ったときから大人びていたから、きっと、俺は甘えていたのだろう」
そこでレオンハルトは足を止め、早鐘を打つ心臓を心の中で宥めながら、ゆっくりとジェラルディーンの方を向いた。
彼女もまた、足を止めて、不安と期待を揺らす紅玉髄の瞳でレオンハルトを見上げていた。
「不安にさせて、すまなかった」
怯える己を叱咤して、彼女の白い頬に手を触れる。
「俺に、こんなことを言う資格はないのかもしれないが言わせてくれ。お前を、愛おしく思っている」
身体を震わせたジェラルディーンが目を見開く。青褪めていた白い頬に赤みが差して、冷たかったそこは次第に熱を帯び始めた。
「殿、下」
どんなときでも常に隙を見せなかった彼女が今、言葉に詰まり、震えて、それでもレオンハルトから目を離さずにいる。
だからレオンハルトは待った。散々自分のペースで彼女を振り回してきたのだから、今度は自分が待たなければならないと思って。
「わ、わたくしは……」
華奢な肩を震わせて浅い呼吸を繰り返しながらジェラルディーンは紅い唇を薄く開いた。
何か言わなければ、と心は急かす。しかし身体は震えるばかりで、全身にくまなく叩き込まれた教育も今ばかりは何も役に立たない。
「っ……」
そしてキャパオーバーを起こした彼女の大きな瞳から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「ジェラルディーン?!」
「も、申し訳、ありません……」
「謝ることじゃない。大丈夫か……?」
ふらりと揺らいだ彼女をレオンハルトは慌てて支えた。
触れた身体は華奢で、簡単に手折れてしまえそうな薔薇のようだった。苛烈な炎のようだと思っていた彼女は、本当はこんなにも儚く、不安に震える普通の女性だったのだ。
「っ、わたくしは、ずっと……」
紅玉髄の双眸が、涙に濡れながらレオンハルトを見上げる。
「ずっと……殿下のことを、お慕いしておりました……」
「ジェラルディーン……」
揺らぐ至宝の紅玉髄。彼女の瞳はこんなに綺麗だったろうか、とレオンハルトは思った。
「生涯をかけて、貴方様を支えようと、そう思って、生きて参りました……」
「…………」
「愛されなくとも、将来の王妃として必要とされていればそれで良いのだと、そう思って……」
ジェラルディーンは切なげな表情で眉根を寄せ、目を細めて「でも」と続けた。
「これからは、愛される王妃になれるのだと、そう思ってよろしいのですか……?」
レオンハルトは目を見開き、そして力強く頷いた。
「愛している。俺を信じてくれたお前を、支えてくれるお前を……そして、大切なお前を」
「わたくしも愛しております。少し頼りなくて優しい貴方様を、強くなってゆく貴方様を……」
二人は固く抱き合った。そして見つめ合い、想いのままに口付けをする。
「……頼りないところは、すぐに直す」
「ふふ……楽しみにしておりますわ」
「見ていろよ」
抱きしめ合う二人を見ているのは夜空の星と月だけ。しかし誰に誓わなくとも、きっともう二人は大丈夫だ。
―――――………
ジョニーって誰よッ、とやっている間にリオはこてんと眠ってしまった。穏やかな寝息が聞こえる……尊い。
何だか猛烈に良い感じがするので(何に対する“良い感じ”なのかは全く分からないけれど)もうジョニーが誰でもいいか、となって私は薄い灯りを消した。
おやすみ、リオ。良い夢を。
こうして、リオにつられて早寝した私は夢の中で「ジョニィィィ」と鳴く邪神ファンに追いかけられ「ジョニーって誰よッ」って叫びながら夜が明けかけの時間に目覚めることになった。




