第19話.ショタコンと潜伏邪神ファン
枝が踏み折られた音を聞いてレオンハルトが勢いよく振り返る。
「っ、アイリーン、下がれ!」
「!!」
鹿だと思って呑気に構えていた私はようやく慌てて振り返った。
するとそこには、黒いボロを纏った男がニタニタと笑いながら立っていて、その身体から立ち上る黒々とした闇の気配から一目で彼が邪神ファンだと分かった。
「お前が『精霊の愛し子』だな……ヒヒヒ」
「結界が、あるのにっ……」
「結界など、張られる前に入り込んでしまえば無意味よ……ヒヒヒッ」
「っ!」
気持ち悪い笑い方しやがって……!
確かに結界を張る前に侵入されてたらどうしようもない。村の警備はノワール一人だからうち漏らしもあるだろう。
レオンハルトに庇われながら、私は潜伏邪神ファンを思い切り睨んだ。
その気配からして多分、それなりに強いやつだと思う。
けれど、幸いにも相手は一人のようだし何とかして倒さなきゃ。
「殿下」
「……なんだ」
「力を貸してください」
王太子殿下が直接戦って怪我なんかしたら護衛の方々の責任問題的にまずいので、やってやるぜとか言い出す前に私の手伝いを頼む。
「当たり前だ」
「よろしくです」
私は全身に魔力を巡らせ、両拳を握り締めた。レオンハルトはバチバチと弾ける金雷を全身に纏い、爛々と光る翠玉の双眸で潜伏邪神ファンを睨む。
「お前の心臓で、あの御方は、お目覚めになる……ヒッ、ヒヒヒヒッ!」
心臓はお断りです!!
ざわっと闇の力が膨れ上がる。
触られたら何されるか分からないので踏み込まれないように牽制しながら戦おう。
こちらには電気柵のような王太子殿下がいるから牽制は彼に任せる。
オッシャッ、いっちょやってやるぜ!!
魔力を込めた右足で地面をダンッと叩くように蹴る。瞬く間に大地に巡っていく魔力は周囲の木々に入り込み、それらを私の支配下に置いた。
結界用の魔導具作りの時に土属性の練習いっぱいしたもんね。ふふん。
木々がパキパキと音を立てて急成長し潜伏邪神ファンに襲い掛かる。
「素晴らしい魔力だ……これこそ我らの神が求めるもの!!」
叫んだ潜伏邪神ファンの身体から溢れ出た黒々とした闇の波濤が、私の操る木々を簡単に呑み込みながらこちらへ向かってきた。
この闇の力に触れると魔法が弱くなっちゃうんだよね。くそ、本当に最悪だ。
「甘い!」
レオンハルトがそう言って右腕をサッと振る。溢れ出した金の雷たちが闇に食らい付いた。
何だろう、私の魔法が水属性魔法に比べて慣れないってのもあるけれど彼の魔法はとても良く効いている気がする。
ピカピカしているから光と闇的な感じで強いのかな……分からん。
予想通り相手がそこそこ強いと分かったので私は銀の光作戦に移行する。邪神ファンの使う闇の獣から、本家闇パワーである闇の精霊まで幅広く対応できるあの銀の光だ。
人間である潜伏邪神ファンに有効かは分からないけれど取り敢えずやってみよう。
「ふっ!」
両手をバッと突き出し、空気中に魔力を放出する。この辺りは潜伏邪神ファンのせいで大気中の精霊の数が少ない。
銀光を盛大に放つには彼らの協力が必須である。私の魔力で目に見えない小さな精霊たちを集めるのだ。
ふわふわと銀の光が生まれ始める。
それを見た潜伏邪神ファンが「お、おぉぉ……!」と感極まったような声を出すけれど無視だ無視。気持ち悪いからね。
「光よ!!」
濃密に満ちた魔力に言葉が乗る。大気を震わせる言霊、煌々と輝き始める銀光の球体が五つ。
「ぐっ、おぉぉっ、ぐおぉっ!!」
潜伏邪神ファンの闇を押し返す。あと少しでぶっ飛ばせそうだ。
けれど、ピンチなのにこいつはニヤニヤと笑っている。
「これは、これは……魔力だけならば、押し負けていただろう……ヒヒヒヒヒ」
「なっ……!」
「アイリーン!」
男は笑って自らの意思で闇を完全に引っ込めた。勢い余ってふらりとした私へ向けて走ってくる男が構えている銀色のナイフが目に入る。
レオンハルトが私の腕を引っ張り、自分のもとへ引き寄せて「『鋭雷』三刃!」とその名の通り鋭い金の雷を放つ。
それをもろに食らった潜伏邪神ファンは目を丸くして、今やっとレオンハルトの存在に気づいたという顔をした。
狂っている。本当に、私しか見えていなかったんだ。
ドサッと倒れた男はピクリとも動かなかった。厳しい顔でそれを見下ろしたレオンハルトは右手を空へ向けると一筋の雷撃を放つ。
「これでギルたちが来るだろう。まさか潜伏している者がいたとはな」
「助けてくださってありがとうございました。巻き込んですみません……」
「お前が謝ることじゃない。むしろ、俺のいるときに遭遇して良かったと思う。お前が一人きりだったらと思うと……」
おもむろに指の背で頬を撫でられる。
ヴッ……触れるところが非常につやつやすべすべ……どこのハンドクリーム使ってるの……?
「ごほん……この森は一度全体を見回った方がいいな」
「あ、それなら」
私は手の中に水を集め、ぷちぷちといくら程のサイズに千切ってフワッと宙にばらまいた。
「これが目になるので、あとで家で見てみようと思います」
すごく疲れるけどね、これ。
ふよふよと四方八方に飛んでいく水滴たちを見上げるレオンハルト。
「すごいな……無理はするなよ」
「はい、勿論」
いざとなったら師匠にも手伝ってもらうんで。
―――――………
警戒心を隠さないリオと取り留めのないことを話していたギルバートは、森の中腹から金色の雷が空へ昇り、バチッと大きく弾けるのを見て立ち上がった。
「……サラジュード殿、リオとここに」
何かあったからこその合図だろうと見当をつけ、サラジュードにリオを任せて、護衛騎士の二人と共に森に踏み入っていく。
先ほどの合図から場所を推測し足を進める。何がいるか分からないので警戒は怠らない。
(いったい何事でしょうね……)
あれはレオンハルトに余裕がある時の合図だ。ならば危機的状況ではないと考えられるのでギルバートに焦りはない。
本当に危ない場合は、しっちゃかめっちゃかな勢いの雷が打ち上げに失敗した花火の如くピューヒョロピューヒョロあっちこっちへ打ち上がる。
サクサクと芝を踏み分けて、静かな森の中を進んでいくと「あっ、寮長」というアイリーンの声がした。
その声に辺りを見渡すと『水縛』で黒いボロを纏った男を縛り上げ、大木に背を預けた状態のアイリーンとその隣に立つレオンハルトの姿が木々の向こうにあるのが発見できた。
「ご無事でしたか」
「ああ」
「これは……」
ギルバートはレオンハルトとアイリーンの無事を確認したのち、縛られて地面に転がっている男を見下ろす。
「村に結界が張られる前に潜伏していたようだ。捕らえて王宮へ連れ帰ろう」
「了解いたしました」
護衛騎士二人に拘束を任せ、三人きりになったところでレオンハルトが「不幸中の幸いだな」と呟いた。
「あの男はアイリーンに“お前が『精霊の愛し子』だな”と言って襲い掛かってきた。恐らくだが、邪神信徒どもの多くは『精霊の愛し子』の存在や所在は分かっていても、それが誰かまでは分かっていないんじゃないか」
「一部の奴らには顔を知られてるみたいなんですけどねぇ……」
レオンハルトの推測に頷きつつも、アイリーンは首を横に振る。
「あれを逃がさないようにしなければいけませんね」
そして尋問しなければ。
ギルバートはレオンハルトと目だけで頷き合った。
アイリーンに手出しはさせない。
そのとき、横でぼんやりと「邪神ファンやだなぁ」と呟いていたアイリーンは
(鹿だったら捌けたのに)
と物騒なことを考えていた。
野生動物を捌くというのは、田舎生まれ田舎育ちに必須のスキルなのであった。




