第17話.ショタコンと三年前のやり直し
師匠に呼ばれ、その隣にそっと腰を下ろすリオ。菫色の双眸は油断なくレオンハルトを見つめ、薄桃色の唇はきゅっと引き結ばれていた。
「…………こんにちは」
長い沈黙の後、リオは小さな声で、しかしきちんと通る澄んだソプラノでレオンハルトに挨拶をした。
ッヅンッ!!
えらい、えらすぎる。尊い。
まさか、レオンハルトがもにょもにょしている間に先手を打つとは。今すぐ頭を撫でて褒めたい。
リオに先手を打つとか、そういう気は無かったかもしれないが、レオンハルト明らかに「あっ」みたいな顔をしているし、ギルバートは「ほほう」みたいな顔をしてリオを見ていた。
すごいでしょう、この子、我が家自慢の可愛すぎる弟です。ふふん。
「……ああ」
ア゛ァンッ?! 尊く可愛いリオのご挨拶に対する返事はそれだけでいいと本気で思ってます?!
ギリッと目に力がこもる。多分表情はあまり変わっていないだろうけれど、瞳は黄金の色を宿しているはずだ。
それに気づいたのはレオンハルトではなくギルバート。とんとん、と優しくレオンハルトの肩をつついた彼はこそっとその耳元へ口を寄せる。
それからようやくレオンハルトが私を見て、盛大に慌てたような表情になった。
「っ、そのだな、お前にも、感謝する。名は、何と言ったか」
「……リオです」
「……リオ……か」
「?」
不思議だ。
私は思わず首を傾げていた。
ウルトラスーパー可愛い我が弟リオの名前を聞いて、レオンハルトが少し言葉に詰まったように見えたのである。
まあ確かに? 超可愛くて尊いの塊みたいなエンジェルの名を知る栄誉にあずかったわけだから、喜びのあまり言葉に詰まっても仕方ないけど?
でも、レオンハルトはショタコンじゃないもんね……
「!」
え……もしや……ショタコンなの?
私の心中は穏やかではない。感情の荒波がザッパンザッパンどんぶらこ。そんな私を置き去りに、話は進んでいく。
「……サラジュード、そしてリオ。俺はお前たちに、自分の一方的な思い込みで随分とひどいことをした。すまなかった」
ねえ王太子殿下はショタコンなの?
「……アイリーンの言っていた通り、ご成長なさったようですな」
ねえちょっと?
「アイリーンがそんなことを?」
本当か、と視線で問われる。気まずくてそっと視線をそらしたらギルバートの美しい微笑みが視界に入った。圧を感じて普通に怖い。
「あ、いえ、まあ、えー、はあ……」
肯定でも否定でもない言葉を適当に発しながら、今にも口からまろび出そうな「アーユーアショタコン?(薄ら笑い付き)」を必死に押さえる。
「それは……少し、気恥ずかしいな」
「アイリーンは殿下をよく見ているんですね」
「ふ。そのようだな、ギル」
私はザッパンザッパンどんぶらこ、師匠は何やら腹の中で考えていそう、王太子殿下と側近は苦笑し合い――そんな中、リオは一言も答えずにじっとレオンハルトを見つめていた。
「……もうお姉ちゃんを連れていこうとしませんか」
やがて、リオの唇からこぼれ出した言葉はそんなものであった。私は感極まって眉間に思いっ切り力を入れる。
真剣な表情になったレオンハルトがリオを見つめ返し、真っ直ぐな光を宿した翠玉の瞳を細めた。
「ああ、約束しよう。もう二度と、お前から姉を奪おうとはしない」
「僕のいないところでは、お姉ちゃんをぜったい守ってくれますか」
「勿論だ。俺以外にも、アイリーンを守ろうとする者は多い。安心してくれ」
あーー、我慢できん。
弟の思いが尊いを通り越して更に尊いので、たまらず涙腺が緩み、目に涙が滲んできた。
もう、なんて、優しい子なんだろう。一生をかけて愛するわ。私こそ絶対にリオを守るし、誰にも傷つけられないようにするって誓う。
「それなら……前のことは、もう、だいじょうぶです」
「ありがとう」
ちらと見れば師匠も俯いて目頭をきつく押さえているではないか。うん、分かる、尊すぎて色々極まるよね。
でもこのままでは司会進行不在になるので、私は涙声にならないよう全力で喉に力を入れて「これなら、私も、殿下を許せます」と伝える。
若干無礼なり、だけどこの言い方しか見つからなかったし、レオンハルトやギルバートはこれくらい許してくれると思うからね。
「それでは、殿下のお話を聞くといたしますかの」
師匠も立ち直った。
てぇてぇの威力があまりにも強すぎたけど一応何とかなった師弟である。
「そうだな……すまない、アイリーンはリオと共に席をはずしてくれ」
「はい」
恐らく超機密事項なんだろう。
私は大人しくリオをつれて師匠宅を出ることにした。
―――――………
パタン、と静かな音で戸が閉まる。その向こうからはすぐにアイリーンの声が聞こえてきて、恐らく弟を褒めているのだろうなぁとレオンハルトは思った。
弟。レオンハルトにとっては複雑な気持ちになる存在である。
「大体のことは想像がついております」
「……流石だな」
恐らくアイリーンに教えた「探してほしい者がいる」という話から推測したのだろうとレオンハルトは少し目を伏せた。
「お前の、その者の本質を見抜く目を貸してくれないか。探し出してほしい者がいるんだ」
サラジュードは美しい青を宿した目を閉じて、大きく息を吐いた。
「失われた、第三王子ですな」
「……ああ」
カローレ家の滅亡のきっかけとなった悲劇の第三王子。
レオンハルトの、二人目の弟だ。
再び目を開けたサラジュードの表情はとても悲しげだった。レオンハルトも同じ顔をしている自信がある。それほどまでに悲劇であったのだ、あの事件は。
「わしの目だけでは探せませぬぞ」
「アーノルドの魔力を補助に入れる。あいつの魔力は“探す”ことに長けているんだ」
「なるほど、アーノルド殿下の」
「頼む、力を貸してくれ。このままでは、いずれこの国は火の精霊の最後の慈悲すら失うだろう。それでは国は滅ぶ。俺はこの国を、俺から数代も経たず滅ぶ国にしたくない」
膝の上に乗せた握り拳に力がこもる。レオンハルトは「頼む」ともう一度言ってサラジュードを真っ直ぐ見つめた。
彼の青い瞳が、隠された火と風の子をきっと見つけてくれるはず。だからどうか頷いてほしい、そう願って。
「……火の精霊から、何か接触がありましたのか」
「いや、新たな接触はない。しかし、五年前の大火の時に、第三王子を救わねばいずれはこの国から去ってやる、と」
「そうでしたか……」
レオンハルトの答えを聞いたサラジュードはこっくりと頷いた。目を輝かせたレオンハルトだったが「しかし」と言う彼の言葉に浮きかけた腰を元通りに下ろすことになる。
「陛下は彼を見つけ出して、今更どうなさるおつもりか」
「……父上は、本人の意志に任せると」
「…………」
長い沈黙だった。
やがてサラジュードは深く頷き、第三王子の捜索に手を貸すことを了承したのであった。




