第7話.ショタコンの鳥肌とクッキー
虫の声が、昼間に比べてかなり涼しくなった空気に響く夜、私は手紙片手に家の裏手の森の中にいた。
「……ノワール」
「ああ、いるぞ」
少しかすれた愉しげな笑い声と共に、私の背後にノワールが現れた。ふわりと宙に浮いたまま、私の肩に手を触れて「何か用か」と耳元で囁く。
「手紙」
ふわふわと私の前へ回り込んできた彼にレオンハルト宛の手紙を見せる。途端にノワールは「はぁ」と溜め息を吐いてつまらなそうな表情になった。
「予定、決まったのか。早かったな……」
「うん。お願いできる?」
「……他でもない愛し子の頼みならば勿論やるとも。だが面白くないなぁ」
金色の瞳を三日月の形にして笑うノワールの表情に、私はぞぞぞっとして二、三歩後ずさる。
そんな顔しても何も出ないぞ!
「くく、警戒するな」
「するに決まってるでしょ」
「そんな表情も可愛いがな」
すーっと距離を詰められる。相手が浮いているから分が悪い。いつの間にか周囲に黒紫の蝶々がたくさん舞っている。幻想的だけど囲まれている感がすごいぞ、これ。
「な、何が欲しいの」
菓子か、菓子だと言ってくれ。それならいくらでもやるから。だから変なことだけは言わないで!!
私の言葉の中に、内心の必死さを聞き取ったのかノワールの笑みが深まる。アッ、これはいけないやつだ。変なこと言うぞこいつ!
いとも容易く私の手首を捕らえたノワールは、そのままお互いを引き寄せるような形で私の耳に口を寄せた。
「君の唇を」
「わっ鳥肌立った」
低く甘い囁きに身体が全力で拒絶反応を起こす。鳥肌とか通り越して最早アイアムチキンである。ナチュラルにセルフ罵倒。
「…………」
私の正直すぎる言葉に、ノワールが少しばかり離れる。その顔は……何て言おう、端的に言えばしょっぱい顔だった。
詳しく言えば「理解しがたい」という気持ちに「何だこの愉快な生き物」的な心を振り掛けて「残念無念」っぽい心境を如実に表した……つまり彼はめちゃめちゃ形容しがたい表情をしていたわけである。
ノワールは長いまつ毛が嫌味なほどに並ぶ目を伏せ、やれやれと溜め息を吐いた。
おい、やれやれはこっちの台詞だ、隙あらば変態にメタモルフォーゼする精霊め。
「ここで頬のひとつでも染めてくれれば愉しいんだがな」
「貴方の頬を貴方の血で染めましょうか」
「……その顔でそんな物騒なことを言うな」
そう言うのなら得意だぞアァン? とジト目でガンを飛ばしたら、ノワールは悲しそうに小さく呟いて私の手から手紙を抜き取った。
……仕事を頼む立場だから、あまり偉そうなことは言いたくないんだけどね、だって隙あらばこれなんだもの……と内心言い訳をする。
「……分かった、行ってくる。俺のいない間、酒だけは絶対に飲むなよ」
「お酒なんて飲まないよ……よろしくね」
手を振ったノワールは夜気に溶けるように消えていった。うむむ……少々申し訳なさが湧いてくる。やはり帰ってきたら菓子をやろうと決めた。
足音を忍ばせて家に戻る。リビングに微かな明かりがあったので覗いてみたら父さんだった。
父さんは刃物の手入れをしていて「女の子があまり夜出歩くもんじゃないぞ……お前は逞しいからあまり心配していないけどな」と言われる。
それを否定できないところが女子として切ない。
はーい、と返事をして二階の部屋に上がる。静かにガチャと扉を開いた。
「っ!!!」
あばばばばば、一瞬心臓止まった!!
えっ、もしや今私が開いたのは天国の扉だった……?
私の部屋のベッドに天使が横たわり、すやすやと眠っていた。
窓から差し込む月光に青を帯びるふわふわの金の髪、長いまつ毛に縁取られた目蓋を閉じて、小さな手で掛布を握り締めた天使。
薄く開いた唇からすーすーという健やかな寝息が聞こえてくる!
っ~~~!!(言葉にならない)
ここは天国です! 私のリオが健やかに眠っているここが天国です、異論は認めません!!
私が帰ってくるのを待っている間に眠ってしまったらしい。お゛ぉ……この天使を待たせた私は重罪人だ……可愛い、尊い、その寝息だけ聞いて生きていける気がする。
そろり、そろりと音を立てないように忍び寄る。夏とはいえそれなりに冷え込む夜であるから、掛布を直そうと手を伸ばしたその時。
「んん……おねえ、ちゃん……」
ん゛ん゛っ!!
また心臓止まった。ギュンッと押し寄せる萌えと尊みの大波小波。船に揺られたショタコンはザバーッと幸せの島に流れ着くのだ……
馬鹿みたいに震えまくる手を何とか動かして掛布を直す。そのついでに頭を撫でると「んふふ……」と眠ったまま微笑むリオ。
むやみやたらにアメージンググレイス歌いたくなる……尊い、尊いよ……
私は両手を握り合わせ、その場に跪いてしばらく世界のすべてに感謝した。
―――――………
翌朝、思い立ってクッキーを焼いた。
母さん直伝のレシピである。気の向くままにプレーンやチョコチップなど、それなりの数を焼いた。
ふんすっ、と張り切るリオが手伝いをしてくれたのだけれど、エプロンに三角巾を装備した「お手伝いスタイル」が最高に可愛くて(私が勝手に)大変だった。
だって可愛いエンジェルが私の隣で「よいしょ、よいしょ……」と言ったり鼻唄を歌ったりしながら、一所懸命に生地をこねているんだよ?
焼き上がって少し冷めた一枚を口に入れたときの花が咲くような表情の輝きも、私の頬についた粉を拭き取ってくれたときの微笑みも……
ぬわーーーっ、萌えが尊さと手を組んで襲いかかってくる。勿論、喜んでやられる所存だ。
いくつかに分けて軽くラッピング。母さんと父さんの分に、私とリオの分。それから師匠のともう一つ。
「うーん? 一つおおいよ、お姉ちゃん」
「ふふ。お手紙を運んでくれる蝶々にあげるんだよ」
「えっ! ちょうちょさんがお手紙を運んでくれるの?! わぁ、見てみたい!!」
「恥ずかしがりやさんだからどうかな~。もしかしたら、外を飛んでいるときがあるかも」
ノワールに会わせる気はないけれど(危険すぎる)、ふわふわ飛んでいる黒蝶の方ならまあ見るぶんには安全かなと思うので「時間のあるとき、おうちの中からそっと探してごらん」と伝えておく。
結構な頻度で外を飛んでいるのを見かけるから、きっとリオも見ることができるはずだ。
また夜に。私は最後の一包みを部屋に置いて、リオと一緒に師匠の家へ向かった。
今日も今日とて最強のショタコンになるため修行するである。
感想100件記念短編を書きましたので、読んでいただけたら嬉しいです。




