第1話.ショタコンと秘密話
ふらりふらりと大講堂から出てくる影がある。よろよろと心なしか死にそうだ。
何やら満身創痍に見えるその人は、実のところ私である。
「終わった……終わったよ、ラタ……」
「ふふ、そうですわね。終わりました」
私が疲れ果てた状態で言った言葉に、後に続いて出てきたラタフィアが穏やかに頷く。よし、夢じゃなかった。そう思った私は次の瞬間握り拳を天へ向けてシュバッと突き上げた。
「夏休みだぁぁーーっ!!」
実家に帰れる、つまり我が最愛の弟リオに久々に会えるのである!!
期末テストが今日で終わり、私たちは夏期休暇に突入。実技は良かったが、先程までやっていた筆記試験は私に絶大なダメージを与えている。それゆえの満身創痍だ。
しかしそんなことはもうどうでもいい!
試験の結果は後日鳩さんが運んでくるらしいが、成績よりもリオに会えることの方が私にとっては重要である。
「うるさいわよ、アイリーン」
「だって、本当に久々に弟に会えるんだもん! 抑えられないよ!!」
見事な金の縦ロールを揺らして、隣を歩きながらそう言ったジェラルディーンに鼻息荒く答えると、彼女は溜め息を吐いてゆるゆると首を横に振った。
「あれ、ジェラルディーンも弟いたよね? 嬉しくないの?」
「家族に会えることが嬉しくないわけではないけれど、そこまで大騒ぎはしないわ」
「私そんなに大騒ぎ……?」
「ええ、かなり」
「それはごめん……お口閉じるね」
二人にも迷惑がかかるのでお口はチャックする。だが完璧に静かになるわけではなく、ふんすふんすしてしまった。
「荷物はまとめましたか?」
「勿論よ。数日前から片付けているわ」
なにっ?! 私はとっ散らかしたままだぞ。流石二人とも女子力と言うか何と言うか……単純に、用意が良いだけかね。
「……その表情を見るに、貴方はまだなのね」
「えっ、バレた、何で?!」
そんなに顔に出やすいだろうか……私は考え込んで自分の頬をむにょむにょした。ラタフィアが苦笑し、ジェラルディーンは心底呆れた、と言う風味の溜め息を吐く。
その時だった。
「ジェラルディーン!」
前方から、たいそう目立つ金髪頭が接近してきた。我らが王太子殿下レオンハルトだ。
何ともまあ輝かしい笑顔。きっと彼も試験終了が嬉しいんだろうと推察する。
前期で彼が成長した点は私の名前ではなくジェラルディーンの名前を呼んでやって来るようになったことかな。
「御機嫌よう、殿下」
しっとりと薄く微笑んだジェラルディーンが軽く膝を折り、見事なカーテシーでレオンハルトを迎えた。ラタフィアも同じようにしているので、私も下手なりに(これでも上手くなってきたのだ!)礼をとる。
「礼はいらない。顔を上げてくれ」
早々にこう言われて三人一緒に姿勢を戻した。
「二人とも、少しの間アイリーンを借りても構わないか」
指先で金の髪を緩く掻きながら、レオンハルトはおもむろにそう訊いた。
私は目をぱちくりと瞬き――何故? お断りでござると思って――ジェラルディーンは何も言わず目を細める。ラタフィアは「あらまあ」とそんな私たちに目を向けた。
気まずげに「駄目か」と言って翠玉の目を泳がせるレオンハルト。そこで、少しだけ首を傾けたジェラルディーンが口を開く。
「理由をお訊きしても?」
「……場所を変えよう。来てくれ」
こちらをチラチラと窺う大量の生徒たちに意識を向けたらしいレオンハルトは小声でそう言い、すぐさま身を翻す。
私たちは首を傾げ、不思議だねーの視線を交わしながらそれについていくことにした。
――――………
そうしてレオンハルトが向かったのは、以前寮長たちのお茶会(&ノワールによる私襲撃事件)があった、白薔薇の庭の奥に隠された水上の四阿であった。
もう初夏なのに、相も変わらず、形状は桜で形態とサイズは蓮な白花が水面に咲き乱れている。春に咲いていたからもう枯れてると思ったよ。不思議。
レオンハルトはジェラルディーンの手を引きながら、水上にポコポコと並ぶ白の飛び石を渡っていく。ラタフィアはその後ろを躊躇いなく進んでいた。
私も、震えつつそれを追った。
この前と同じ失敗はしないぞ。水に落ちることを恐怖して震えるバンビ形態になっていたせいでアーノルドにやられた地獄を忘れはしない。絶対にだ。
やがて、四人全員が無事に白亜の四阿に到着した。水上の飛び石を渡りきった私の心は無事じゃないが、身体が無事だからいいだろう。
黙して腰を下ろしたレオンハルトは、ここでようやく溜め息と共に口を開いた。
「ここならば誰にも聞かれないはずだ」
「……これほどまでに秘匿せねばならないお話でいらっしゃいますのね」
「ああ」
ジェラルディーンが白花の咲き乱れる青く澄んだ池に目を向けて溜め息を吐く。小首を傾げたラタフィアが「それは、私たちがいても平気なのでしょうか?」と訊ねたが、レオンハルトはすぐに頷いた。
そのことで、どうやら二人は心得たようである。私は「多分『精霊の愛し子』のことだよねぇ」と思っていたので、知らないはずの二人がいても平気と言うことで混乱し始めた。
その話じゃないなら何の話なのさ?!
それなら、借りてもいいかの問い、必要なかったじゃん! 問答無用じゃんか!!
「……アイリーン。お前に話したいことが二つある」
「へぁっ、はいっ、何でしょう?!」
危ねぇっ、混乱してたから変な声出た。
「まず一つは、お前の師、サラジュードについてだ」
「えっ」
その話する感じ? えっ、私に対してレオンハルトの好感度を下げに下げまくったあの事件の発端のお話しする感じ?!
しかも、私、学園で師匠のこと秘密にしているんだよね。師匠が嫌がるし。さらっと名前を言わんでくれないか。
「サラジュード……もしかして、サラジュード・ゴーシュですか?!」
ほらぁっ! ラタフィアが食い付いたじゃんか!!
師匠は元宮廷魔導士長だから、貴族にはよく知られているだろうと思って名前すら言わないでいたのにこれだよ。
しかもレオンハルトは目をぱちくりさせて「言っていなかったのか?」とか宣いなさっている。
「……師匠が秘密にしたがるので」
「…………すまん」
「アイリーン、お話は後で聞かせていただきますわよ」
「わかった」
よしなさい、とジェラルディーンに止められたラタフィアがギラギラした目で後でのお約束を取り付けに迫ってきたので、死んだ顔で頷いておく。
すまない師匠、これもこれも、レオンハルトのせいだから怒らないでね。
「俺は……夏期休暇中に、もう一度サラジュードに会いに行こうと思っている」
「は……」
えっ、パードゥン?
師匠の心の地雷原でタップダンスした貴方が、もう一度いらっしゃると?
えっ、ご正気? ご乱心?
「えーと、それは……」
成長したとは言え、師匠とリオの中でのレオンハルトの印象は『くそ傲慢なタップダンス王太子』だからね?
私はしばらく唇を噛んで、目を見開いたまま辺りに視線を泳がせるという奇妙ムーブで返答に悩んでいたのであった。




