第41話.ショタコンのお断り
どこまでも、底の無い暗闇に沈む。
きっと、目覚める頃には儀式の祭壇の上なんだ……――――
「――って、いやっ、駄目だ! 全身全霊お断り! ノーッサンキューーッ!!」
私は恥も外聞もなく大声で叫んで無理矢理意識を引っ張り戻し、同時に全力で魔法をぶっ放した。
「なっ?!」
「きゃあっ!!」
怪しい男とサラサッタが悲鳴をあげて吹っ飛んでいく。
ギリギリ無意識だったからか、覆い被さってくる暗闇を全身全霊で払いたかったらしい私は遠慮なく思いっきり竜巻の魔法を放っていた。しかも超特大、スケールおかしい。
そもそも、闇に呑み込まれかけていたのにぶっ放せた私もおかしい。なんでだ?!
魔法チートの『精霊の愛し子』が、普段無意識に掛けているリミッター的なのを無視して全力投球した竜巻の魔法は、私を監禁していた屋敷(屋敷だったのか!)を紙をちぎるみたいに簡単に破壊した。
何で意識を取り戻したかって言うと、個人的理由としては何かね、猛烈に嫌な予感がするんだ!!
そして、そろそろお花摘へ行きたい欲求も大変なことになり始めている。急がなければ。
「おっしゃーっ、すたこらさっさ!!」
私は結構なサイズの屋敷を、調度の数々と共に瓦礫の塊に変えてしまったので、屋敷の主に見つかってはまずいと思った。
そして、今は(恐らく瓦礫に紛れて)姿の見えない邪神ファン二人がいつ復活するとも知れないので早々に逃げることに決めた。
―――――………
闇の精霊に渡された黒い蝶を追って、一同は王都ゴーデミルスの夜道を全力で駆けていた。
先頭は鮮やかな金の髪を風に翻すレオンハルト。それに続くのは水宝玉の瞳を険しく細めたギルバート、橄欖石の目に焦りを宿したアーノルド。後方に、周囲を警戒しながらエドワードとメルキオールが続く。
ラタフィアとジェラルディーンは危険だと言うことで学園に残った。目立つ五人が姿を消したことで何か起きたのかと騒ぐ者が出ないよう、目を光らせる仕事である。
二人のこの仕事には、騒動が大きくなることでアイリーンが誘拐された理由を探る者が出ることを防ぐ意味がある。
二人は彼女が『精霊の愛し子』であるとは知らないが、女の子である友のために後の醜聞になりかねない騒ぎを大きくしたくないと思っているため、全力で取り組む所存だ。
(アイリーンッ……無事でいてくれ!)
レオンハルトは至高の翠玉の双眸をひたと黒蝶に据え、必死に走っている。
邪神への良質な供物である『精霊の愛し子』として、誘拐が死に直結するアイリーン。必ず助け出す。ジェラルディーンにも「必ずわたくしたちの友を取り戻してくださいな」と言われた。
黒蝶はひらひらと、紫の鱗粉を撒きながら夜風の中を飛んでいく。影に闇に紛れそうになるその黒い羽を見失わないよう、五人は必死だった。
「はぁっ、兄上、ここはっ、ぜぇ、貴族の邸宅が、げほっ、多い区域じゃ、ないかなっ?!」
体力が絶望的に足りず、すでに息も絶え絶えなアーノルドが言った。確かに、と同意の声を上げるエドワード。こちらは息を切らすことなく余裕で走り続けている体力馬鹿だ。
「では、邪神の信徒は貴族の関係者、と言うことですか?」
「有り得ない話じゃないと思うけど……」
ギルバートが言い、メルキオールがこくりと頷く。
王都に暮らす貴族の邸宅や、王都の外に領地を持つ貴族が仕事で王都に滞在する時のための邸宅が並ぶ区域。様々な人間が暮らしているのだから、一人二人、そう言ったよろしくない者がいてもおかしくない。
「っ、この魔力の気配……」
突然、何かを感じ取ったメルキオールが夜闇に鮮やかなピジョンブラッドを黒蝶の進む先へ向けて呟いた。
続いて、その魔力の性質として“探す”ことに長けたアーノルドが真っ青になった顔を上げる。
「っ、アイリーン、嬢、の……」
残りの三人は顔を上げて、二人の見る方向へ目を向けるが確証は得られなかったようで、レオンハルトが顔を険しくして「急ぐぞ」と言った。
直後。
少し先で、膨れ上がり爆発する魔力の気配と、何かが破壊される激しい音が発生した。
それから、夜空に浮かぶ雲を打ち払うが如く、瓦礫を巻き上げながら高く伸び上がって暴れる恐ろしく大きな竜巻が五本見える。
五人は顔を見合わせて頷き合うと、足を早めた。
「ここは、ドロマミュール伯爵邸では?」
「……ああ。だった、な」
黒蝶は思いの外近い場所で一旦止まり、そしてふわりと姿を消した。
そこは直前まで五本の竜巻が暴れていた場所で、かなりの広さがある敷地が瓦礫まみれとなっている。
ギルバートの記憶通り、そこは先程までドロマミュール伯爵邸であった場所だ。
局所的な竜巻の暴虐は、それなりに立派であった伯爵邸を見事に破壊して瓦礫の山にしていた。
その場に漂っている魔力の名残は、アイリーンの魔力の他に少しだけ、二人分の闇の魔力がある。
「アイリーンはどこだ?!」
「……殿下、あれ」
瓦礫の山に突撃しようとしたレオンハルトの肩をギルバートがガシッと掴み、呆れ顔のメルキオールが近くの薄暗い道を指差した。
素直に足を止め、そちらに目をやるレオンハルト。
「……っ! アイリーン!!」
「げっ」
今、明らかにこの国の王太子殿下に向けて「げっ」と言った者が、小道の暗がりに足音を忍ばせて立っていた。
その者にとって幸いにも、この場の五人の誰もその「げっ」には気づかなかったのであるが、その実彼女自身が、自分が「げっ」と言ってしまったことに気づいていない。
それよりも、今この状況で五人に見つかったことに焦っていた。
薄青色の月を隠していた雲が風に流されてゆき、ゴーデミルスの街に再び蒼い月光が降る。
小道の暗がりにも等しくそれは降り、振り返ったまま固まっていた彼女の姿が明らかになった。
月光に薄青く、幻想的に淡い光を放つ銀の髪。先程の大魔法か、それ以前の何かによって少し乱れた結い髪からは、飾りとしてあったはずの青と白の薔薇の花が消えていた。
暗がりに、魔法の余波で微かに煌めく琥珀の双眸。薄く息を漏らす唇は少し震えている。
白い肌によく似合うコバルト・バイオレットのドレスのスカートを軽く握り、足を斜めに踏み出しているので走り去る途中だったらしいことが窺えた。
レオンハルトはその姿に息を止める。月光に青白く浮かび上がる様な彼女の姿が、無粋な吐息で掻き消えそうに儚く見えたからだ。
肩をがっしり掴んでいたギルバートの手が緩む。メルキオールが一歩引き、エドワードとアーノルドは彼女を見つめたまま動かない。
誰も動かなかった。五人の視線と蒼然と冷たい月の光に晒されたアイリーンすら。
そんな中で、彼はふらりと一歩を踏み出した。
水に沈んだ宝物を、ようやく手で掬い上げられた時の様な切ない安堵の微笑みを浮かべて。
「アイリーン……」
そしてついに手が届く。
彼女の実感が早く欲しくて、レオンハルトは最後の、腕一本分の距離をすぐに詰めた。アイリーンの唇が、音も無く何かを呟く。
「無事で、良かった……」
強く両腕に閉じ込めて、その体温にようやく存在を確信した。震え始める彼女を安心させるように耳元で囁く。
「もう大丈夫だぞ……俺が、俺たちが、来たからな」
微かに息を呑む音。身動ぎするアイリーンを逃がすまいと両腕に力を込めた。
「殿下……」
「ああ、アイリーン」
本当に一番安堵したのは自分なのにと自嘲しながら、レオンハルトはもう一度、確かめるように彼女を呼んだ。




