第34話.ショタコンの受難(1)
創立祭が始まったわけだけど、私は最初からダンスがスタートするのかと思っていたんだよね。だから始まらねぇなぁと首を傾げていた。
そしたらラタフィアが、いきなりダンスとかそんなことはなくて、まずは挨拶とか歓談の時間になると教えてくれた。
ふぅん。ラタフィアとカイルの周りには人が集まってきていて忙しそう。
けれど平民の私に死角はないな。よしよし、ご飯食べよう。
私はこそこそとお皿を手にして、気になるテーブルを回り始めた。
めっちゃ美味いな……
想像以上の美味に、私はほわほわしながら歩き回っている。ローストチキン、想像以上だった。美味しかったものを、愛する弟リオへのお手紙にしたためることを決める。
むっ、あんなところにとても美味しげなローストビーフがっ! 食わねば。
そして一歩を踏み出した私に、たいそうご機嫌でいらっしゃる様子で近づいてくる金ぴか頭が見えた。視界の端に入っているので意外と近い。急げ、私。
「アイリーン」
「あっ、ジェラルディーン!」
やらかしたっ!
ジェラルディーンに話し掛けられたからつい返事しちゃった。振り返った先には花顔に苦笑を浮かべるジェラルディーンと、尻のところにぶんぶん振られる尻尾の幻が見えるレオンハルト王太子殿下であった。
うぅ、ローストビーフ……
私はそんな気持ちを隠しもせず、美味しそうなローストビーフにちらちら視線をやりつつ、仕方なく諦めて「こんばんは」と礼をした。
「楽しんでいるようね、アイリーン」
「うん。美味しいものいっぱいでね、楽しいよ」
そう答えるとジェラルディーンはラタフィアと同じような「あー、この子はもう」っていう優しい顔をして「良かったわね」と言う。
そりゃそうか……創立祭は、正式な夜会だもんね。社交シーズンの始まりにも被っているわけだし、呑気に美味しいものを堪能するなんて、ちょっと変な話だろう。
思いながら、ちらっとレオンハルトを見る。その身に纏う、鮮やかな緑と金の装飾が見事な正装。特別な染料によって生み出される鮮やかなこの緑色は、王族しか使うことのできない禁色の様なもの。
衣装には同じ染料から作り出す更に深みのある緑色も使われており、見た目からして流石第一王子の正装、と言った感じ。
確かに、とても綺麗だ。緑が、ね。
さて、そんな麗しの緑を纏った王太子殿下であるが、彼は隣にいるジェラルディーンを気にしつつも、衣装の緑に負けない美しい翠玉の目を輝かせて私を見ている。
何だろなー、何考えてんだろなー。こういう公の場で面倒なことをするのだけはやめてね。
きらきらしているレオンハルトが口を開くまで、私はジェラルディーンと仲良くお話をしよう……としたら給仕の人がさらりと皿を持っていってしまった!
なるほど、会話に邪魔だからか!
流石、仕事人だね……流れるようにスムーズだったから、ついすんなり渡してしまったよ。
こんなパーティーで王太子であるレオンハルトの近くにいるなんて「へい、そこのイベントさん、遊ばない?」と言っているようなもの。自殺行為だ。
だからこの会話は早く切り上げてご飯に戻るつもりだったのに!
ここ、お皿を置いてあるテーブルのどれからも遠いじゃんか! 私のローストビーフッ!!
―――――………
花に集る虫のような人々を流水の様に上手くかわし、レオンハルトはジェラルディーンを伴って最近会うことができていなかったアイリーンの元へ行った。
彼女は皿を片手に、綺麗な琥珀色の目を輝かせてテーブルを回っていた。老若男女問わず、様々な人からちらちらと視線を送られていることには気づいていないようである。
ゆったりと歩み寄り、ジェラルディーンが声をかけたことで彼等の方を振り返ったアイリーンの姿に、レオンハルトは心を踊らせた。
艶やかな銀の髪は繊細な三つ編みの籠の如しシニヨンに結われ、青のリボンと薔薇の花で飾られており、優美な細い首が露になっている。
さらりと溢れた様に垂らされた右の横髪が、可憐な美貌にハッとする様な色香を与えていた。耳元には、青い石に白の糸の房が揺れる耳飾りがある。
首から華奢な肩へのラインは白百合の様に美しく、ほっそりした腕は先程給仕に流れるような動作で食器を持っていかれたために所在無さげだ。
そしてその身に纏うドレスが、神秘的な印象を持つ彼女に似合うこと似合うこと。レオンハルトはつい見とれて、彼女を上から下まで眺めてしまう。
淡いコバルト・バイオレットのドレスの胸元はシンプルなストレートビスチェ。綺麗なデコルテを大胆に見せながら、淑女らしい慎ましやかさもあって、そっと覗く繊細なレースが美しい。
胸のすぐ下を細い銀のベルトでぎゅっと締めたギャザースカートは裾がふわりと柔らかく広がり、薄い生地の柔らかな重なりが可愛らしさを演出している。
正式な夜会用のドレスらしく、その裾は踝までと長い。足にはまるでレース生地の様な、花柄の奥に白い肌の覗く銀色の靴を履いていた。
いつもと違って、アイリーンはその桜桃の粒の様な艶やかな唇に控えめに薄紅をのせている。
それがまた、人の目を引きつける愛らしさを引き立てており、レオンハルトは何故だかそわそわした。
「ひ、久しぶりだな」
「ええ、そうですね」
なんともそっけない。レオンハルトは口をきゅっと引き結んで「何故……」と内心首を傾げる。ジェラルディーンとは楽しげに話しているのに。
この時アイリーンは「早く終われ……切り上げて別の所へ行くなり、踊りに行くなりどうにかしてくれ……できるならジェラルディーンを置いていってほしいけど無理だろうから、仕方無いから二人でどこかへ……」と考えていた。
その心情は表情にこそ出ないが、つい時折急かすような視線をレオンハルトに向けてしまうのである。
ただ、その真意は、彼女の可愛らしいドレス姿にテンション爆上がりのレオンハルトには届いていなかった。
そっけなくされたが、レオンハルトはめげない子であった。金蘭の美貌と讃えられる顔に魅力的な微笑みを浮かべ、爽やかに話を続けようと試みる。
「その……綺麗、だな」
「どうも、ありがとうございます」
「楽しんでいるか?」
「ええお陰様で」
そうしてレオンハルトは一般的な話題を早々に失った。
彼はどうしよう、と婚約者に視線を送ったが「早く切り上げましょう」と視線を返されてしまい、内心ガックリと項垂れる。
ジェラルディーンは、いざと言う時には頼れる婚約者であるが、こういう時は何も力になってくれない。それどころか、時には相手の味方をする。
(婚約者の前で別の女性に話しかける男性に対する態度としては、途轍もなく寛大である。そしてアイリーンが友達でなければもっと苛烈であったろう)
レオンハルトは溜め息をついて、話そうとゴニョゴニョしていた口を止めた。




