第10話.ショタコンの魔法
私とリオ、そして師匠は机を囲んで向き合い、話し合っていた。後日また飽きもせず突撃してくるであろうレオンハルト――改めタップダンス王太子への対策を立てるためである。
「まずはわしの話をしておこうかの……」
「……十年前、っていう話ですか」
「そうじゃ」
私はごくりと唾を飲んだ。
師匠の心の地雷原。タップダンス王太子と同じにならないように気を付けなきゃ。
私の緊張を他所に、リオはこてんと首を傾げて師匠のしわしわな手に触れた。
「だいじょうぶ、ですか?」
ほぉぉぁっ?! 尊いぃっ!!
なんて優しく、心遣いのできる子なのだろう。私は内心の荒ぶりを必死に押さえつけて微笑んだ。
「……リオ、お主は優しいな」
「でしょ……ゲフンッ! ……それで師匠。何があったんですか?」
あぶねぇ……「でしょう!」って言いかけた。私は必死に輝きかけた表情を取り繕って真顔になる。
そんな私を師匠が胡乱な眼差しで見てきた。やめろ、そんな目で見るな!!
「……十年前、わしは王宮に仕える宮廷魔導士長じゃった」
すごく偉そうな役職名、と思ったのが顔に出たらしい。ジロッと師匠に睨まれる。
「当時わしは二人の弟子を抱えていた。その内の一人がシャロン……わしの、孫娘じゃった」
私はそっと口許を押さえた。師匠の語り口から、魔力が暴走して命を落としたのはその孫娘さんなんだと分かってしまったからである。
「とても優秀な子じゃった。だが……自力では魔力の制御ができないほど、身体が弱かった。わしは、あの子を王宮に連れていくべきではなかった……」
師匠は祈るように重ねた両手に額を押し付けた。その声に滲む永遠に消えない後悔の色。痛ましさに私は胸が切なくなる。
「あの日……あの子の才能に嫉妬した宮廷魔導士が、補助の魔導具を悪戯で取り上げたのじゃ……わしが作ったあの魔導具を」
ちらと隣を見る。リオはこの話を聞いてどう思っているのか気になった。
すると彼はいつになく真剣な表情で、じっと師匠を見つめて話を聞いているではないか。
いい子すぎる……
この状況じゃなければ確実に頭を撫でていた。
私の視線に気づいた(もしや、邪だったろうか?)リオがこちらを見る。そして彼は眉尻を少し下げ、形の良い桃色の唇に切なげな微笑を微かに乗せて、それは……それはもう、四歳の男の子がするとは思えない表情をした。
「っ……」
この難しい話を、彼は確かに理解しているのだ。そして、それがもうどう足掻いても取り戻せない失われた過去であると分かって、こんな表情をするのだ。
私は涙が出そうになるのを堪える。聡明なこの子に、二度とこんな顔はさせるまいと誓った。
師匠もリオの表情に気づいたのか、しわしわな手を伸ばしてきてリオのふわふわな金髪を撫でる。
「ありがとうリオ。じゃが、お主がそんな顔をする必要はない。アイリーンが心配するぞ」
「……うん」
「いい子だ」
固かった師匠の表情が少し和らいだ。
「さて続けるか……そして、あの子は暴走した。じゃが、それを必死に抑え込んだ。たった一人で……わしはその時、側にいなかった……」
結果、と師匠は吐息のように続ける。
「あの子の……シャロンの心臓は、あの子自身の魔力によってっ……」
「師匠」
その先は、と私は師匠の手をそっと掴んだ。ゆるゆると首を横に振ると、師匠の青い目の中に微かな安堵が見えた。
「……あの子は誰も巻き込まなかった。それでも、王宮内での暴走は許されざること。わしは職を辞し、この村に来た」
師匠はそう締め括る。
私は掛ける言葉が浮かばないまま、じっと師匠の手を握り続けた。
やがて師匠が大きく息を吐いた。
「二人ともありがとう。こうして誰かに話したのは初めてじゃ。少し、胸が軽くなった様な気がする」
「そうですか……」
「さて、今後の対策に移ろう。恐らくあやつらは村長の家を宿として借りるに違いない。あそこが村一番広いからの」
村長御愁傷様、と私は脳内で合掌した。突然十一人も泊めなきゃいけないなんて最悪すぎる。
しかもそれが王太子なんて言う、最高に気を遣わなきゃならない相手だとは。私だったら「私、前世で何かした?!」って神様に聞きたくなるね! 前世、憶えてるけどもさ。
「あのひとたち、また、くるの……?」
「来るじゃろうな……しかも標的は、わしとアイリーンじゃ」
「うえっ」
机の下で、リオの手が私の手に触れた。大丈夫、という意味を込めて握り返す。暖かくて柔らかな小さい手。可愛い。
「最悪、わしだけが行けば事はそこそこに丸くはなる」
「駄目です。師匠は、私の師匠なんだから王宮なんて、行かれちゃ困ります!」
「……そうじゃな。勿論、わしも絶対に行きたくないと思っておる」
何だか熱烈な告白をしてしまったような気恥ずかしさ。しかもそれを普通に流されてしまったから余計酷い。
私は少し俯いた。恥ずかしいぞ……これ。
「喜ばしいことに、アイリーンは今日自身の力について正しく認識したようじゃ。それについて、言うてみよ」
「はい。ええと……私の力は、言葉に魔力を乗せて、それによって魔法を発動する、みたいな……そんな感じで……」
「まあ、だいたい当たっておる。魔法の発動については、先日貸した本で読んだな。内容は、憶えておるか?」
一応憶えている。
確か……魔法とは、自身の内にある魔力を、鍵言によって大気に満ちる魔力に伝えることで発動する。
鍵言は精霊が使う言葉に近く、大気の魔力の中に生きる精霊に言葉を伝えやすい。
「……でしたっけ」
「そうじゃ」
師匠は頷く。
「お主は『精霊の愛し子』という特異体質じゃ。それ故、お主の言葉は彼等に真っ直ぐ届くのじゃよ」
「えーと……」
「それって、おねえちゃんがいったことぜんぶ、せいれい? が、ちゃんときいてくれるってこと?」
「賢いのうリオは。アイリーン、この聡明な弟を少しは見習うように」
「はい……」
師匠の言う通り、なんて賢いのだろう。悔しさなんてない。誇らしさしかないね。
「そう言う訳じゃ。お主が魔力を乗せたお主の言葉は、鍵言以上に精霊に届きやすい。それに加え『精霊の愛し子』には固定の属性がない。大抵の事は行えよう」
そう言いながら席を立った師匠は、水を入れた木のコップを持って戻ってくる。そして私に渡した。
「水に浮かぶよう言ってみよ」
「え、あ、はい」
いきなり何だ、と思ったが隣でリオが目を輝かせているのでやるしかあるめぇと私は俄然やる気になった。
コップに両手を添えて、すーっと息を吸う。
「……浮かべ」
手の平から魔力が伝わっていく感覚。コップの中で水が震え、ふわりと浮き上がった。
「わぁっ、おねえちゃん、すごい!!」
「うふふ」
浮かび上がった水球。リオははしゃいでそれに指を突っ込んで「きゃーっ」と喜んでいる。
師匠は「ふむ」と言って、今度は少し離れたところにある棚を指した。
「あそこにパンがあろう」
「ありますね」
「呼び寄せてみよ」
「……」
つい、宙をすーーーんと滑る丸いパンを想像してしまった私は真顔になった。
「パンがとんでくるの?! わぁ、おねえちゃん、やってみせて!!」
「ええ任せて」
途端私は輝いた笑みを浮かべる。師匠が胡乱な眼差しで見てくるが今度は気にしない。だってリオが可愛いし。
そして私はパンを睨み付けた。朝焼いた丸くて結構大きいパン。母さんが焼いたのだから、美味しいに決まっている。
「パンよ来い!!」
すーーーん。
「ぶふっ」
私の言葉に、パンは予想通り宙を真っ直ぐ滑って飛んできた。私は噴き出し、パンはそのまますーーーんと机に乗る。
「見事じゃ。風属性の魔力は見えなかったから、やはり属性の固定がないと言うのは魔力効率が良さそうじゃ」
「ふ、ふふっ……なにが、良いですって?」
「はぁ……お主は一旦笑いを収めよ」
「くっ、ふふ、はい、ふふ……」
私の笑いはしばらく止まらなかった。