98 すみれと祐介
すみれの気持ちは高揚してきた。自分は生きている。そして恋をしている。そこには逃れられない苦しみが広がっている。どうしたら、この苦しみを乗り越えることができるのだろう。こぼれ落ちた涙を拭うことも忘れて、すみれはその場で叫んだ。
「胡麻博士、わたしはどうしたらいいのですか!」
胡麻博士はすべて見抜いているかのように優しく笑った。そしてたちまち厳しい表情に変わると、威厳のある声で、こう言った。
「自分の気持ちをもう偽らず、もう何も飾らないことだ。そして、正直になって、君が罪深いと恐れていた、醜いと嘆いていた、その本心をそのままぶつけてしまうことだよ。その時、君の憐れなその姿は、他の誰よりも美しいことだろう。生きているということは醜い。とんだ恥さらしなのだよ。だが、それはそのまま、なによりも美しいのだ。生きているということがなによりも尊いのだよ!」
胡麻博士がそう叫ぶと、すみれは胸を引き裂かれたように感じた。こうしてはいられないと思った。祐介さんのもとに行かなければならないと思った。そして自分の気持ちの何もかもをぶちまけてしまわねばならないと信じた。それがどのような結末を呼び寄せるものか、そんなことは関係がなかった。ただ、生きているというありさまが、いかに醜かろうと、それをそのままぶつけてしまわねばならないという確信だけが、今すみれを突き動かしていた。
「この鯉のように無心で泳ぐのだよ」
そう静かに呟いた、胡麻博士の目はいつになく、すべてを見通しているような深みを持っていた。
「行ってきます!」
すみれは胡麻博士にお礼を言うと、彼をその場に残し、楼門の方へ走っていった。
楼門の先には、祐介が立っていた。祐介は何かを考えている様子で、俯いているのだった。彼自身は、すみれの言葉に救われていた。しかし、彼はすみれの本心までは見抜けていなかった。だから、すみれが走ってきても、まったく状況を理解できていなかったようだ。
「あっ、すみれさん。さっき、そこの巫女さんに聞いたら、ですね……」
と祐介は言いかけて、すみれの泣きはらして赤くなった顔に気づき、静かになった。すみれの真剣な瞳は大きく見開かれ、まっすぐ、祐介の瞳を捉えていた。
「祐介さん……」
祐介は、何も言わないで黙っている。二人の間に気まずい沈黙が流れた。祐介は、すみれを傷つけてしまったことも察したらしい。しかし、すみれの真剣な表情の意味はまだ分かっていないらしい。
すみれは震えた声でぽつりぽつりと語り出した。
「私、自分の気持ちを、ずっと偽っていました。亡くなった人のことを、忘れなくていいって言った時、私、本当は、すごく悲しかったんです……」
祐介は、その言葉に驚いて、すみれの迫ってくる気持ちの強さに息を呑んだ。
「祐介さんの心の中に、亡くなった人がいる限り、わたしはいつまでも一人ぼっちみたいなんです」
すみれは声を震わせた。
「わたし、祐介さんともっと心からお話ししたい。もっとまっすぐに見つめ合って……」
すみれは、自分の手を握り締めた。涙がまたこみ上げてきたのだ。
「わたしは祐介さんのことが……」
そこまでで、すみれは言葉にならなくなった。何も言えないすみれを祐介はじっと見つめていた。もう駄目だ、とすみれは思った。その時、すみれにとって驚くべきことが起こった。祐介が小さく頷いて、すみれに手を差し伸べたのだった。すみれは、あっと思って頷くと、その手をそっと握った。
「すみれさーん」
その瞬間、未空の声が聞こえた。すみれは、はっとして手を引っ込めた。そして祐介に背を向けてしまった。だから祐介がどんな表情をしたか、すみれは知らない。ただ未空と父親の拾三は楼門から入るなり、ふたりの不自然な様子に気づいて、気まずそうに黙ってしまった。




