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97 池の鯉

 すみれは祐介の気持ちを優先した発言をしたが、内心ではかなり複雑だった。白石詩織はすでに亡くなっているのだから一刻も早く忘れてほしい、という気持ちの方が実際には強かった。彼女のせいで、祐介さんが自分との恋愛に踏み出せないのだ、と思うと、恨みすら抱いた。しかし、それが不謹慎でわがままな感情だという自覚があったから、すみれはその感情を打ち消そうと必死になっていた。そして、そう必死になればなるほど、白石詩織という存在が恐ろしいほど大きくなってゆき、疎ましく感じられてくるのだった。


(この感情は罪なのかな……)

 嫉妬に苦しむ自分と比べると、白石詩織は、死者であるがゆえにあまりにも純粋な存在と化している、とすみれは思った。その可哀そうな死者は、祐介さんにとってあまりにも特別な存在となってしまったのだ、あまり、差が付けられてしまっているのだ、とすみれは悔しく思えてくるのだ。


(白石詩織がいなければ、今頃、すべて上手くいっているはずなのに)

 そう思うとすみれは頭がカーっと熱くなり、すべての不幸を彼女のせいにしたくなる。めちゃくちゃにしたくなる。彼女なんて永久に忘れられてしまえばいいのに、と憤る。無闇に当たりたくなる。そして、悲しくなる。直後にすみれは、ひどい疲労感に襲われ、なんて馬鹿なことを考えているのだろう、と自分という存在が情けなくなるのだった。

 


(駄目だ……、わたしなんかじゃ)

 祐介は、梶原と国吉のことを聞きこむために社務所に向かった。そこでは、お御籤やお守りを並べて販売していて、御朱印の受付も行っている。被害者の国吉は、ここの御守りを持っていたのだから、上手くいけば、彼の情報を聞き出せるかもしれないところだ。


 しかし、すみれはとても捜査をする気持ちになれず、ひとり祐介のもとをそっと離れた。


 すみれは日本橋の上に立つと池の底を見下ろした。そこには太った鯉が心地よさそうに泳いでいた。旋回する時に、びちゃりと音を立てる。鯉は、すみれの顔をみると、ぱくぱくと口を動かして、しばらく何かを訴えていたが、諦めたのか、違う方向をくるりと向くと、泳いで行ってしまった。すみれは、今自分はどんな顔をしているんだろう、と思った。この世の不幸をすべて背負ってしまったようなそんな情けない顔だろうか、嫉妬に狂った鬼のような浅ましい顔だろうか、それとも誰の記憶にも残らないような哀れな顔だろうか。

 すみれは考えれば考えるほど、自分が嫌になった。

 はあ、とため息をつくと自然に、涙が一滴、頬を伝って池に落ちた。


「突然の雨音(あまおと)に、鯉が驚いておるよ」

 すみれが振り向くと、そこにいたのは胡麻博士だった。

「胡麻博士」

「どうしたのだね。あんなにはしゃいでおったのに、今君は深い悲しみの底にいる」

「わたしってなんて罪深いんだろうって思ったんです」

「罪はあるものだよ。生きている限りはね。誰しもがそうなのだよ」

「でも、亡くなった人にまで嫉妬しているんです」

 すみれは、涙がこみ上げてきて、うっうっと嗚咽すると、しばらくものが言えなくなって、池の底も見えなくなった。もう自分なんて嫌だった。どうしてもこんなに醜い心をもって生まれてしまったのだろう、と心の中で繰り返し呟いていた。ただ、わたしは祐介さんのことが好きなだけなのに、どうしてこんなにつらい想いをしなければならないのか、こんなに醜い自分になってしまうのか、とすみれは自分のことを責め続けた。


 胡麻博士は、池の底にいる鯉を見つめると、突然、手を叩いた。鯉が餌をもらえるのかと思って何匹も寄ってきた。池の中で、ぐるぐる動いている。胡麻博士をそれをじっくりと眺めている。

「この鯉たちを浅ましいと思うかね?」

 すみれは、涙を拭いながら、そんなことはありません、と首を横に振った。


 そして胡麻博士は、力強い声ですみれにこう語りかけた。

「すみれさん。嫉妬するということは、それはね、君が生きているということなのだよ。君が今つらいのは、生きているということなのだよ」

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